odd_hatchの読書ノート

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ウィルキー・コリンズ「月長石」(創元推理文庫)-3

2018/02/22 ウィルキー・コリンズ「月長石」(創元推理文庫)-1 1868年
2018/02/20 ウィルキー・コリンズ「月長石」(創元推理文庫)-2 1868年


 もっとも大きな謎は解けたとはいえ、まだまだ未解明な点が多々あり、捜査と冒険はこのあとも続く。

第四話 エズラ・ジェニングズの日記からの抜粋 ・・・ 医師によるフランクリンへの再現実験のようす。ヴェリンダー家をあの夜と同じにし(完全なものにはできないというベタリッジの復唱がおかしい)、フランクリンに暗示をかける。ダイヤモンドを盗み出すところまでは成功したが、隠せなかった。
(ジェニングスは若いころのあやまちでアヘン中毒になった。そのため容貌が変化し、他人から差別を受けている。そのうえ慢性の内臓病で余命は少ない。終始、孤独な人生。人生の終わりに、フランクリンの「無実」のために一肌脱ぐ気になったのは、同じような境遇にいる若者への同情か、それとも自己の目的を再発見したのか。「私は幸福なひとときを過ごしたのだ」という最後の言葉が印象的。作者コリンズも晩年にアヘンを吸引した。その萌芽となるのか。作中にド・クインシー「阿片中毒者の告白」の名がでてくる。)

第五話 ふたたび、フランクリン・ブレークの物語 ・・・ フランクリンはロンドンに戻って、宝石店兼質屋を見張ることにする。船員風の男が質屋をないり、でていて、見失った。弁護士の小使いの少年が自発的に後を追って行方を探っていた(ベーカー・ストリート・イレギュラーズの祖父みたいな存在!)。引退隠棲したカッフ部長刑事をやってきて、弁護士たちの捜査状況を確認。とまれ、船員風の男を追いかけようということになり、安ホテルに行くと、部屋で死んでいるのを発見。カッフはさっそく変装をみやぶり、かつらやドウランを外していく。そこに現れた意外な顔。

第六話 カップ部長刑事の寄稿 ・・・ その後の調査による事件の解明と犯人の動機の説明。ダイヤモンドはインド人が回収したものと推測。
(ここでは犯人の二重性に注目。昼の顔と夜の顔があり、昼では犯罪の仮面を隠している。このような犯罪者の肖像はゴシック・ロマンスにはありえず(そこには二重性はない)、近代の小説の範疇にはいる。この二重性は、ディケンズの「エドウィン・ドルードの謎」の悪役、スティーブンソンのジキル博士とハイド氏」のタイトルロールに共通する。)

第七話 キャンディ氏の手紙 ・・・ エズラ・ジェニングズの死亡を伝える手紙。
(カッフ部長刑事とキャンディ氏の手紙に書かれている「新事実」は、以前に書かれた別人の手記の記述と照合することが求められている。そうすると、別人の手記ではあまりたいしたこととは思えないできごとに、重要な意味があったことが判明する。このような書き方はいかにも「探偵小説」的。阿片吸飲者のジェニングスは孤独な生活をしていたが、晩年の半年に他人を危機から救出することに熱中する。それが死に際の平穏に結びついたのだとされる。ここはコリンズの晩年を思うと、何とも皮肉なことだ。コリンズは作家として忘れられ、阿片吸飲と貧困で悲惨な最後を遂げた。)

第八話 ガブリエル・ベタレッジの寄稿 ・・・ レイチェルとフランクリンの結婚式。レイチェル懐妊を予言する「ロビンソン・クルーソー」。
(結局、「月長石」はヴォレンダー家に戻らなかった。ダイヤモンドという富の象徴が家に闖入することで、家の関係者がてんやわんやの騒ぎを起こし、互いに疑心暗鬼になり、生活を変えることになった。老衰でない亡くなり方をした二人が痛ましい。そのような苦痛と犠牲を経験して、家は再興する。出所不明の富は混乱と不誠実をもたらすということか。それまでの聖杯伝説のような再生物語は、近代の法制国家では妥当ではない。自身の努力による出世と世俗的な成功が資本主義社会にはふさわしいともいえる。)

エピローグ ダイヤモンドの発見 ・・・ ロンドンを脱出した三人のインド人のゆくえ。夕映えの聖堂に輝く月長石(ムーンストーン)。
(ほとんどの登場人物のそのあとが語られる。インド人のゆくえですら説明される。とても丁寧な幕引き。)


 事件の様相は二転三転する。第二期第三話のフランクリンの手記からすこしずつ真相が解明されていく。その展開のしかたが、どんでん返しで以前の解釈をひっくりかえしちゃらにし、再構築するのではない(そういうクイーンのような執拗さはない)。ロザンナの手紙であきらかにされたことをレイチェルの証言が補強し、自身の疑惑を医者の助手が実現可能性を示唆し、弁護士と部長刑事の捜査で真相が完成する。ひとつの解釈を補強しつつ、複雑な状況を論理的・合理的に説明する。複数の人がそれぞれの思惑と推理で行動したので、事件は複雑になったのだ。
(このような解決であったのが、70年後に書かれた マイケル・イネス「ある詩人への挽歌」(現代教養文庫)1938年。そういえば、この小説も複数の登場人物の手記で構成される形式になっていた。イネスは「月長石」のパスティーシュをねらったのかしら。)
 とはいえ、19世紀半ばの過渡期的な探偵小説では、謎解きで満足することはあるまい。むしろ、コリンズの手による生き生きとしたキャラクターが恋愛やコメディを演じているのを楽しむ方がよい。T.S.エリオットが愛好したように、この小説は再読が可能な優れた娯楽文学なのだ。まあ、深刻な思想的対立や社会悪の摘出などを好む日本の昔の読者には受けが悪いだろうけど。一方で「探偵小説」のカテゴリーにいれると、ミステリーのカタルシスを望む読者には肩透かしになるだろう。なにしろ、なかなか話が進まないビクトリア時代の悠長な物語を読まされるのだから(そのうえ、ヴァン=ダインの「二十則」に抵触する趣向がたくさんでてくるし。厳格な形式主義者は探偵小説と認めないだろう)。
 21世紀には販売の難しい小説。いっそ「白衣の女」と同じく岩波文庫に入れて「古典」扱いにするといいかな。

 「月長石」はなんども映画化、ドラマ化されている。もっとも古いのは1916年の映画らしい。この国では好事家のみ知っているマイナー作家だが、地元では人気があるようだ。
Wilkie Collins' THE MOONSTONE (1934) - David Manners
www.youtube.com
The Moonstone - La piedra lunar. Subtítulos en castellano. (1996)
www.youtube.com