odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

カーター・ディクスン「騎士の盃」(ハヤカワ文庫)

 イングランドの近郊にあるデルフォード館。17世紀にさかのぼる古い貴族のもので、幸い戦禍にあわずに1953年の現在までよく保存されている。イギリスの貴族はこの種の建物を保存しなければならず、みかけほど資産をもっているわけではないそうな。現在はトム・ブレイスという若者が住んでいる。戦争中に従軍看護婦として英国に渡ったヴァージニアと見初め、結婚し、今では9歳の男の子が10代目ブレイスを名乗ることになっている。

 さて、問題はこの家に伝わる「騎士の盃」という逸品が盗まれかかったということだ。家の歴史と同じくらい古く、しかも宝石と金をふんだんにつかっている。たいていは銀行の金庫にしまっているが、その地の展覧会で展示することになったので、持ち出していたのだった。奇妙なのは、鍵のかかった密室に入れておいたのが、朝、テーブルの上にのっかっている。トムとヴァージニアはマスターズ警部に持ち込んで、「事件」の解決を依頼する。そして深夜、マスターズがその部屋にこもったとき、賊に襲われた。しかし盃は盗まれなかった。さて、どうやって賊は密室に入ったのでしょう、そしてなぜ盃を盗まなかったのでしょう。これが謎で、実のところ、殺人はおろか盗難も起きていない。にもかかわらずとりあえず340ページを読み進むのはこの謎がまあ、興味深いからだ。
 むしろ作者は老人たちの奇妙な振る舞いを描くことに熱中しているとみえる。デルフォード館の近くに住んでいるヘンリー・メルヴェル卿は80歳を超えて流石と体を動かすのは難儀とみえるとはいえ、いたずら好きは消えておらず、持ち前の音痴でもって教会の慈善演奏会で奥様方をけむに巻いてやろうとするわ、トムの息子に弓矢の使い方を教えて執事や女性政治家の尻を狙うわ、最初はそのような教育に文句を言いに来たヴァージニアの父にしてアメリカの議員ウィリアムがH・Mの誘いにのって半裸の女性政治家と「ウィリアム・テルごっこをするようになるわ、マスターズはおりからのデルフォード館の鉛管工事の道具に蹴躓いてもう一回頭を打つわ、てんやわんやの騒動になってしまう。唯一沈着なのはH・Mの屋敷にいる執事だけ(例によって主人よりもずっと頭がよくて、ずば抜けた知識の持ち主というのが笑える)。彼のもったいぶった口調で、上記のドタバタが報告されるというのがおもしろい。あと、H・Mの音楽教師であるイタリア人も、つたない英語で皆につっこみをするし、ときには自分を「ワトソン博士」であると宣言して、なかなかの探偵能力を発揮する。
 イギリス史にはうんちくを傾けたい作者の常として、この館の因縁話が語られる。すなわち17世紀の内乱で活躍したある貴族とある娘の恋愛があった。それがガラス戸のサインとして残されているという。アメリカからきたヴァージニアはこの種のロマンスに首ったけなので、毎夜このガラス戸のまえでトムとの愛を語らう。まあ、かの国には歴史がないから、この種の骨董品には興味津々になるのだ。
 上記のように、H・Mが80歳を超え、田舎に隠遁したとなると、もはや彼を探偵にすることはできない。そのために、この事件がH・Mの最後の事件。まあ、コンメディア・デ・ラルテのストックキャラクターを模しているとなれば、彼の退場もこのようなスラップスティックコメディでよいのだろう。老年の悲しみや別離という余韻はまったくないのだけど、それがよい。

ジョン・ディクスン・カー「夜歩く」→ https://amzn.to/4braSPq https://amzn.to/3WAHDWh
ジョン・ディクスン・カー「髑髏城」→ https://amzn.to/3Uzj2Pc https://amzn.to/3WvXaa1
ジョン・ディクスン・カー「絞首台の謎」→ https://amzn.to/3Wv3CxX
ジョン・ディクスン・カー「蝋人形館の殺人」→ https://amzn.to/3JRiXRY
ジョン・ディクスン・カー「毒のたわむれ」→ https://amzn.to/3USvVoE
ジョン・ディクスン・カー「魔女の隠れ家」→ https://amzn.to/3UTxKlm
ジョン・ディクスン・カー「帽子収集狂事件」→ https://amzn.to/4b8UeEx https://amzn.to/4bxpbCk https://amzn.to/4dCerUT
ジョン・ディクスン・カー「剣の八」→ https://amzn.to/3ycSGLr https://amzn.to/4bd6wvC
ジョン・ディクスン・カー「死時計」→ https://amzn.to/4b8TQpO
ジョン・ディクスン・カー「盲目の理髪師」→ https://amzn.to/3UDqMiW https://amzn.to/3wEPjw2 
カーター・ディクスン「白い僧院の殺人」→ https://amzn.to/3ydX4K2 https://amzn.to/4bAvwwV
カーター・ディクスン「プレーグコートの殺人」→ https://amzn.to/3JUW7sz https://amzn.to/3JRjof4
カーター・ディクスン「赤後家の殺人」→ https://amzn.to/3Wzf9w2
ジョン・ディクスン・カー「三つの棺」→ https://amzn.to/3USgMng
カーター・ディクスン「パンチとジュディ」→ https://amzn.to/3WAdjuZ https://amzn.to/3ygtpQn
ジョン・ディクスン・カーアラビアンナイトの殺人」→ https://amzn.to/3JUWh39 https://amzn.to/3WvY1Yh https://amzn.to/3JS7bXo
ジョン・ディクスン・カー「四つの凶器」→ https://amzn.to/3QDVNlY https://amzn.to/3ydTTls
ジョン・ディクスン・カー「火刑法廷」→ https://amzn.to/3UUOVlx https://amzn.to/3UQKqJN
ジョン・ディクスン・カー「曲った蝶番」→ https://amzn.to/4dBKq7G https://amzn.to/4dA0JSv https://amzn.to/3UQK6L5
カーター・ディクスン「ユダの窓」→ https://amzn.to/4dAq5Qk
ジョン・ディクスン・カー「死者はよみがえる」→ https://amzn.to/4bvLjNh
ジョン・ディクスン・カー「テニスコートの謎」→ https://amzn.to/3ybaINY
カーター・ディクスン「読者よ欺かれるなかれ」→ 
カーター・ディクスン「五つの箱の死」→ https://amzn.to/3wxhcX1 https://amzn.to/3WATnrV
ジョン・ディクスン・カー「震えない男」→ https://amzn.to/3ws17lq https://amzn.to/44CtkCH
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 1」→ https://amzn.to/3JWFJIg
ジョン・ディクスン・カー「猫と鼠の殺人」→ https://amzn.to/3WBnyiG
ジョン・ディクスン・カー「連続殺人事件」→ https://amzn.to/3QGovlX https://amzn.to/44y9AAb
ジョン・ディクスン・カー「皇帝のかぎ煙草入れ」→ https://amzn.to/4bvLiJd https://amzn.to/3wl51fY https://amzn.to/3WBcmmm
カーター・ディクスン「貴婦人として死す」→ https://amzn.to/4dMRGhp https://amzn.to/3QCLWwu https://amzn.to/3QDE0LC
カーター・ディクスン「爬虫類館の殺人」→ https://amzn.to/3Wv49Qt  https://amzn.to/4bxblzW
カーター・ディクスン「青ひげの花嫁」→ https://amzn.to/4bvWgOZ
ジョン・ディクスン・カー「囁く影」→ https://amzn.to/3UTuPsZ
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 2」→ https://amzn.to/4bAd5IF
ジョン・ディクスン・カー「眠れるスフィンクス」→ https://amzn.to/4bdcbSq
ジョン・ディクスン・カー「疑惑の影」→ https://amzn.to/4bb7o3V
カーター・ディクスン「墓場貸します」→ https://amzn.to/3JVNwpB
ジョン・ディクスン・カー「ニューゲイトの花嫁」→ https://amzn.to/4adJtzt
カーター・ディクスン「赤い鎧戸の影で」→ https://amzn.to/3QDS1sw
ジョン・ディクスン・カー「九つの答」→ https://amzn.to/3yf9j9d
カーター・ディクスン「騎士の盃」→ https://amzn.to/3wxhgGf
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 3」→ https://amzn.to/4bv5n2u
ジョン・ディクスン・カー「喉切り隊長」→ https://amzn.to/3ygt3t1
ジョン・ディクスン・カー「バトラー弁護に立つ」→ https://amzn.to/4btt3UO
ジョン・ディクスン・カー「火よ! 燃えろ」→ https://amzn.to/3yf7ZmN
ジョン・ディクスン・カー「死者のノック」→ https://amzn.to/4afT0WM
ジョン・ディクスン・カー「ハイチムニー荘の醜聞」→ https://amzn.to/3URgFZo
ジョン・ディクスン・カー「ビロードの悪魔」→ https://amzn.to/4b1Xwtj
ジョン・ディクスン・カー「ロンドン橋が落ちる」→ https://amzn.to/4dA3B1D
ジョン・ディクスン・カー「死の館の謎」→ https://amzn.to/44Aj3a0