odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョン・ディクスン・カー「眠れるスフィンクス」(ハヤカワ文庫)

 中年男性ドナルド・ホールデンは帰国したとき自分が死んだことになっているのを知った。MI5で諜報活動をすることになったので、戸籍から抹消されていたのだ。モーム/ヒッチコックの「アシェンデン(第3逃亡者)」だね。酸いも甘いも経験して、帰国したら、熱愛していた娘のことが気になった。屋敷に向かうと、幸い娘は自分のことを覚えていてくれたが、その姉が変死したのを知る。まあ、英雄が帰国したら、家族に不運が発生したわけだね。クイーン「フォックス家の殺人」の導入によく似ている。

 さて死んだ妻マーゴットは明るく陽気で誰にでも好かれる社交的な女性。クリスマスの晩に、マーシュ家では余興で殺人ごっこをすることにした。屋敷の主人がもっている殺人犯の仮面をかぶる。たぶんカードを引いて被害者と加害者を決め、暗闇で悲鳴を上げる。残った連中が殺人犯のひとまねをして、誰が犯人かを当てるゲーム。面白いのは、参加者みなが過去50年くらいの殺人犯のことをよく知っていること。浴槽の花嫁事件の犯人を皆知っているのだよ(牧逸馬の犯罪実録はこういう背景で書かれたのだね)。皆でもう遅いから寝ようとなった時に、マーゴットは浴室で倒れ、脳出血で死んだと検診された。
 しかし、妹シーリアは自殺であると主張する。なぜならマーゴットの夫ソーリイは彼女を痛めつけ、ときに虐待していたから。そのことをソーリイはかたくなに否定する。検視した主治医も事故であると主張する。どうやら、シーリアには話したくない何事かがあるらしい。
 一方、ソーリイは妻の死から半年が過ぎたので、再婚と予定している。屋敷の主人の娘、19歳のドリス。世間知らずで怖いもの知らずの新世代だな。年の差20歳があるけど、どちらも問題にしていない。まにしろマーゴットの残した遺産でシーリイは安定した生活ができるから。
 1947年初出であっても、戦争の惨禍の様子はほとんど描かれない。物資不足で、食料も雑貨も店頭になく、闇で買わねばならないとか、インフレで生活が苦しいとかそういう状況は、田舎ではなかったのかな。
 さて、フェル博士が登場し、シーリアに頼まれて姉の葬儀のあと、ちょっとした仕掛けを納骨所に仕掛けた。床に砂をまいて、人の出入りがあるかどうかがわかるようにしたのだ。警官立会のもので、鍵を開けると、なんと中の柩はぐちゃぐちゃに並べ替えられている。高価な柩は800ポンドもするのであって(350kgもあることになるが本当?それとも価格だったのかな?)、しかも砂はまるできれいなまま。ゴブリンかポルターガイストが悪さをしたかのよう、そういえばシーリアは姉の死後ひんぱんに幽霊をみるといっている?となると、この奇怪な現象は悪鬼のせいか。あいにく、諜報活動経験者も株式仲買人もとうぜんフェル博士も合理的で懐疑的な人なので、取り乱すことはしない。なにしろ納骨所を開けた時にはすでに謎を見破ってしまったのだから。


※ 動く棺の元ネタは「バルバドス島の動く棺」というものらしい。詳細はたとえば、
バルバドスの動く棺桶 オカルトファン ~ 超常現象
のちにコリン・ウィルソンが「世界不思議百科」(青土社)1989で謎解きを 試みていて、カーとおなじ推理を披露している。皆神龍太郎/志水和夫/加門正一「新・トンデモ超常現象56の真相」(太田出版)でもデバンキングをしている。モーリス・ルブラン「棺桶島」にも同じ謎と同じ推理があったと記憶する。


 さて、ドリスには画家ロニーという気弱な青年がつきまとっているとか、マーゴットは頻繁にロンドンに出かけていた形跡があり、しかも誰かと不倫していたらしいとかもわかる。そうして事件の核心はマーゴットの使っていたロンドンの占い部屋にあることがわかり、ホールデンは一足さきに駆けつける。すると、そこにソーリイに、屋敷の主人ダンバースが先回りしている。皆マーゴットの秘密を知っていたのか。
 人は見かけによらぬもの、そして被害者がなにか隠し事があったために、事件の見え方がこんがらがってしまった、というのがこのミステリの趣向。ホールデンとシーリアの恋愛があまり燃え上がらないのと、オカルト趣向がスルーされたのと、事件の謎がシンプルだったので、クライマックスを作り損ねた。佳作というのもちょっと、というような作品。

ジョン・ディクスン・カー「夜歩く」→ https://amzn.to/4braSPq https://amzn.to/3WAHDWh
ジョン・ディクスン・カー「髑髏城」→ https://amzn.to/3Uzj2Pc https://amzn.to/3WvXaa1
ジョン・ディクスン・カー「絞首台の謎」→ https://amzn.to/3Wv3CxX
ジョン・ディクスン・カー「蝋人形館の殺人」→ https://amzn.to/3JRiXRY
ジョン・ディクスン・カー「毒のたわむれ」→ https://amzn.to/3USvVoE
ジョン・ディクスン・カー「魔女の隠れ家」→ https://amzn.to/3UTxKlm
ジョン・ディクスン・カー「帽子収集狂事件」→ https://amzn.to/4b8UeEx https://amzn.to/4bxpbCk https://amzn.to/4dCerUT
ジョン・ディクスン・カー「剣の八」→ https://amzn.to/3ycSGLr https://amzn.to/4bd6wvC
ジョン・ディクスン・カー「死時計」→ https://amzn.to/4b8TQpO
ジョン・ディクスン・カー「盲目の理髪師」→ https://amzn.to/3UDqMiW https://amzn.to/3wEPjw2 
カーター・ディクスン「白い僧院の殺人」→ https://amzn.to/3ydX4K2 https://amzn.to/4bAvwwV
カーター・ディクスン「プレーグコートの殺人」→ https://amzn.to/3JUW7sz https://amzn.to/3JRjof4
カーター・ディクスン「赤後家の殺人」→ https://amzn.to/3Wzf9w2
ジョン・ディクスン・カー「三つの棺」→ https://amzn.to/3USgMng
カーター・ディクスン「パンチとジュディ」→ https://amzn.to/3WAdjuZ https://amzn.to/3ygtpQn
ジョン・ディクスン・カーアラビアンナイトの殺人」→ https://amzn.to/3JUWh39 https://amzn.to/3WvY1Yh https://amzn.to/3JS7bXo
ジョン・ディクスン・カー「四つの凶器」→ https://amzn.to/3QDVNlY https://amzn.to/3ydTTls
ジョン・ディクスン・カー「火刑法廷」→ https://amzn.to/3UUOVlx https://amzn.to/3UQKqJN
ジョン・ディクスン・カー「曲った蝶番」→ https://amzn.to/4dBKq7G https://amzn.to/4dA0JSv https://amzn.to/3UQK6L5
カーター・ディクスン「ユダの窓」→ https://amzn.to/4dAq5Qk
ジョン・ディクスン・カー「死者はよみがえる」→ https://amzn.to/4bvLjNh
ジョン・ディクスン・カー「テニスコートの謎」→ https://amzn.to/3ybaINY
カーター・ディクスン「読者よ欺かれるなかれ」→ 
カーター・ディクスン「五つの箱の死」→ https://amzn.to/3wxhcX1 https://amzn.to/3WATnrV
ジョン・ディクスン・カー「震えない男」→ https://amzn.to/3ws17lq https://amzn.to/44CtkCH
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 1」→ https://amzn.to/3JWFJIg
ジョン・ディクスン・カー「猫と鼠の殺人」→ https://amzn.to/3WBnyiG
ジョン・ディクスン・カー「連続殺人事件」→ https://amzn.to/3QGovlX https://amzn.to/44y9AAb
ジョン・ディクスン・カー「皇帝のかぎ煙草入れ」→ https://amzn.to/4bvLiJd https://amzn.to/3wl51fY https://amzn.to/3WBcmmm
カーター・ディクスン「貴婦人として死す」→ https://amzn.to/4dMRGhp https://amzn.to/3QCLWwu https://amzn.to/3QDE0LC
カーター・ディクスン「爬虫類館の殺人」→ https://amzn.to/3Wv49Qt  https://amzn.to/4bxblzW
カーター・ディクスン「青ひげの花嫁」→ https://amzn.to/4bvWgOZ
ジョン・ディクスン・カー「囁く影」→ https://amzn.to/3UTuPsZ
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 2」→ https://amzn.to/4bAd5IF
ジョン・ディクスン・カー「眠れるスフィンクス」→ https://amzn.to/4bdcbSq
ジョン・ディクスン・カー「疑惑の影」→ https://amzn.to/4bb7o3V
カーター・ディクスン「墓場貸します」→ https://amzn.to/3JVNwpB
ジョン・ディクスン・カー「ニューゲイトの花嫁」→ https://amzn.to/4adJtzt
カーター・ディクスン「赤い鎧戸の影で」→ https://amzn.to/3QDS1sw
ジョン・ディクスン・カー「九つの答」→ https://amzn.to/3yf9j9d
カーター・ディクスン「騎士の盃」→ https://amzn.to/3wxhgGf
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 3」→ https://amzn.to/4bv5n2u
ジョン・ディクスン・カー「喉切り隊長」→ https://amzn.to/3ygt3t1
ジョン・ディクスン・カー「バトラー弁護に立つ」→ https://amzn.to/4btt3UO
ジョン・ディクスン・カー「火よ! 燃えろ」→ https://amzn.to/3yf7ZmN
ジョン・ディクスン・カー「死者のノック」→ https://amzn.to/4afT0WM
ジョン・ディクスン・カー「ハイチムニー荘の醜聞」→ https://amzn.to/3URgFZo
ジョン・ディクスン・カー「ビロードの悪魔」→ https://amzn.to/4b1Xwtj
ジョン・ディクスン・カー「ロンドン橋が落ちる」→ https://amzn.to/4dA3B1D
ジョン・ディクスン・カー「死の館の謎」→ https://amzn.to/44Aj3a0