odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ジョン・ディクスン・カー「眠れるスフィンクス」(ハヤカワ文庫)

 中年男性ドナルド・ホールデンは帰国したとき自分が死んだことになっているのを知った。MI5で諜報活動をすることになったので、戸籍から抹消されていたのだ。モーム/ヒッチコックの「アシェンデン(第3逃亡者)」だね。酸いも甘いも経験して、帰国したら、熱愛していた娘のことが気になった。屋敷に向かうと、幸い娘は自分のことを覚えていてくれたが、その姉が変死したのを知る。まあ、英雄が帰国したら、家族に不運が発生したわけだね。クイーン「フォックス家の殺人」の導入によく似ている。

 さて死んだ妻マーゴットは明るく陽気で誰にでも好かれる社交的な女性。クリスマスの晩に、マーシュ家では余興で殺人ごっこをすることにした。屋敷の主人がもっている殺人犯の仮面をかぶる。たぶんカードを引いて被害者と加害者を決め、暗闇で悲鳴を上げる。残った連中が殺人犯のひとまねをして、誰が犯人かを当てるゲーム。面白いのは、参加者みなが過去50年くらいの殺人犯のことをよく知っていること。浴槽の花嫁事件の犯人を皆知っているのだよ(牧逸馬の犯罪実録はこういう背景で書かれたのだね)。皆でもう遅いから寝ようとなった時に、マーゴットは浴室で倒れ、脳出血で死んだと検診された。
 しかし、妹シーリアは自殺であると主張する。なぜならマーゴットの夫ソーリイは彼女を痛めつけ、ときに虐待していたから。そのことをソーリイはかたくなに否定する。検視した主治医も事故であると主張する。どうやら、シーリアには話したくない何事かがあるらしい。
 一方、ソーリイは妻の死から半年が過ぎたので、再婚と予定している。屋敷の主人の娘、19歳のドリス。世間知らずで怖いもの知らずの新世代だな。年の差20歳があるけど、どちらも問題にしていない。まにしろマーゴットの残した遺産でシーリイは安定した生活ができるから。
 1947年初出であっても、戦争の惨禍の様子はほとんど描かれない。物資不足で、食料も雑貨も店頭になく、闇で買わねばならないとか、インフレで生活が苦しいとかそういう状況は、田舎ではなかったのかな。
 さて、フェル博士が登場し、シーリアに頼まれて姉の葬儀のあと、ちょっとした仕掛けを納骨所に仕掛けた。床に砂をまいて、人の出入りがあるかどうかがわかるようにしたのだ。警官立会のもので、鍵を開けると、なんと中の柩はぐちゃぐちゃに並べ替えられている。高価な柩は800ポンドもするのであって(350kgもあることになるが本当?それとも価格だったのかな?)、しかも砂はまるできれいなまま。ゴブリンかポルターガイストが悪さをしたかのよう、そういえばシーリアは姉の死後ひんぱんに幽霊をみるといっている?となると、この奇怪な現象は悪鬼のせいか。あいにく、諜報活動経験者も株式仲買人もとうぜんフェル博士も合理的で懐疑的な人なので、取り乱すことはしない。なにしろ納骨所を開けた時にはすでに謎を見破ってしまったのだから。


※ 動く棺の元ネタは「バルバドス島の動く棺」というものらしい。詳細はたとえば、
バルバドスの動く棺桶 オカルトファン ~ 超常現象
のちにコリン・ウィルソンが「世界不思議百科」(青土社)1989で謎解きを 試みていて、カーとおなじ推理を披露している。皆神龍太郎/志水和夫/加門正一「新・トンデモ超常現象56の真相」(太田出版)でもデバンキングをしている。モーリス・ルブラン「棺桶島」にも同じ謎と同じ推理があったと記憶する。


 さて、ドリスには画家ロニーという気弱な青年がつきまとっているとか、マーゴットは頻繁にロンドンに出かけていた形跡があり、しかも誰かと不倫していたらしいとかもわかる。そうして事件の核心はマーゴットの使っていたロンドンの占い部屋にあることがわかり、ホールデンは一足さきに駆けつける。すると、そこにソーリイに、屋敷の主人ダンバースが先回りしている。皆マーゴットの秘密を知っていたのか。
 人は見かけによらぬもの、そして被害者がなにか隠し事があったために、事件の見え方がこんがらがってしまった、というのがこのミステリの趣向。ホールデンとシーリアの恋愛があまり燃え上がらないのと、オカルト趣向がスルーされたのと、事件の謎がシンプルだったので、クライマックスを作り損ねた。佳作というのもちょっと、というような作品。