odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

カルロス・フエンテス「アウラ・純な魂」(岩波文庫)

 メキシコの作家カルロス・フエンテスの短編集。例によって初出が書いてないが、たぶん初期の作品ばかり。ネットで発表年を調べた。

チャック・モール 1954 ・・・ タイトルはメキシコの雨の神。この偶像が販売されているらしい。キリスト教に反感をもつ小役人がチャック・モールを買ってからしばらくしたら、溺死した。そうなるまでの小役人の手記。手記を読んだ友人が部屋を訪れると「インディオ」が迎える。このインディオはメキシコの地母神にあたるのかな。

生命線 1958 ・・・ 1913年のメキシコ革命かクーデターの時代。ベレン監獄から脱出した兵士(革命家?)4人の放浪と再逮捕、銃殺。生きるに厳しい時期であって、生と死を直視せざるを得ない人々の描写。淡々と描かれているだけに、読者の背筋は寒くなる。メキシコという場所が作者にとって特別であることがわかる。

最後の恋 1962 ・・・ 頑張って会社を立ち上げ大きくした男が老年になってバカンスをとる。若い女をつれて、メキシコの最新リゾート地にいく(ヨーロッパで戦争があって、南フランスやイタリアなどにいけないのだ)。若い女は、浮遊するように他の若い男の誘いにのって、青春を謳歌する(俺の文章は古めかしいなあ)。そこにある老年男の寂寥、追憶、不安、来るべき死の予感。少年に仮託された美や永遠への憧憬のないマン「ヴェニスに死す」だな。長編の一エピソードの抜粋だそう。

女王人形 1964 ・・・ 14歳の時に出会った7歳の娘。ひと夏の楽しい思い出から15年。弁護士になった「ぼく」は娘アミラミアの家を訪ねる。ブラッドベリ「みずうみ」のような幼少期への追憶と感傷と詠嘆。でも、話は奇妙にねじくれていき、「ぼく」の思いはみたされず、幻滅を味わうことになる。解説によると、屋上の部屋にある人形と地下にあるものはメキシコないしアステカの女神であるそうな。土着の女神はよそものを排除し、その場所に住まうもの(この場合は、アミラミアの部屋に住む老夫婦)にだけ豊饒と祝いを授けるというのかしら。

純な魂 1964 ・・・ メキシコのたぶんシティで、仲の良い(ほとんど一心同体の生活をしてきた)兄妹。兄フアンが思春期を迎えると、妹クラウディアに距離をおくようになったが、二人の信頼は変わらない。兄はジュネーブに仕事を見つけ、さまざまな西欧の女性を恋をする(が結実しない)。そこまでは妹は兄を応援していたが、妹に似ている女性クレールと結婚することになる。小説は、ジュネーブに向かう妹の独白。そこで以上のことが語られ、フアンとクレールの愛がねじれていき、妹への憧憬が兄に生まれてくる。そして、明かされるフアンとクレールの生活。最後にクレールの父がクラウディアに手紙を返す。

「あなたは心根の冷たい方ですね(P150)」

 このセリフの意味が分からなかったが、解説を読んで了解。なるほど兄フアンと妹クラウディアの愛は神話的で残酷なものだったのだね。そこまでしてメキシコはヨーロッパの知性を手元から離さずにいられないのか。作家がメキシコという場所を大切にする背景には、このように象徴的にヨーロッパを殺さなければならなかったのかしら。

アウラ 1962 ・・・ 新聞広告で「月4千ペソ」の給料に魅かれて青年フェリーペはコンスエロ婦人を訪ねる。まるでフェリーペを待っていたかのようにコンスエト婦人は彼を雇い、部屋を与えた。仕事は亡き夫リョレンテ将軍の自伝を編集すること。奇妙なことに館の内部には一切日光が入らない。雇い人の姿は見えないのに食事はちゃんと出てくる。婦人のほかはアウラという娘が一人いて、彼の世話をする。毎夜、フェリーペは夢の中でアウラと密会を重ね、それは婦人も知るところらしい。という。ゴシックロマンス風の話が進んでいく。手がかりになるのは、亡き将軍の手稿。そこにはコンスエロ婦人に魅了され、彼女の愛を獲得し続けるために懸命になる男の姿。アウラに魅かれていくフェリーペは、手稿に書かれた通りのことを繰り返しているよう。この邸から出ようとアウラに持掛け、アウラは婦人の部屋で待つという。アウラはむしろ「オーラ」と発音するとこの小説にふさわしいのだろうな。コンスエロ婦人は永遠に生きることを願い、その願いがアウラという少女(いや、ときに40代にもなり、年齢を持たない)に結実する。ここではそういうドッペルゲンガーとか影が主人を支配するとかそういう趣向にこだわるのではなく、永遠の愛というロマン派の欲望にフェリーペが囚われ、循環する時間の中に進んで入っていくことに興味を持とう。愛が至純であるところでは、肉体は放棄され、精神(というか欲望)だけが「ある」というわけで、その「ある」がきわめて甘美で情熱的、そして性において「ある」が炎のように輝きをもつ。そこが愛という至高体験


 この一冊からなにかを引き出すのは相当に危険だと思うけど、
・母性の強さ。女神、地母神などなど人間を魅了させ、自分のもとに引き寄せ、そのとりこにして、逃がさない強いきずなを持つものとしての女。その存在が、ほとんどの小説の底流にあって、男は母ないし女神のいうがままに、なすがままに翻弄され、地下の暗く湿っているが、とてもエロティックな場所に閉じ込められる。逃れるためには自殺するしかないくらいの強烈な引力。
・そのような引力のもとでは、知性や理性はほとんど力を持たない。いや、それらは解体されて、意味を失っていく。
・進む時間、ブロック化された時間の解体。フエンテスの世界では時計はとまり、時間を図るすべがない。たぶん現在に過去と未来が一気に現れ、それぞれの区別がなくなっていく。だから、その無時間の場所では、アステカの滅んだ女神や永遠のために魂を売った女が現れ、男を支配する女性と手を組み、未来の姿を見ることになる。一舜と永遠が一致している。
・引力を持つのはメキシコという特別な場所。西洋の理性や宗教をもってしても、征服しえない特殊な世界。たぶんその力は滅ぼされたアステカ帝国を場所が記憶していることに由来する。
あたりなのかなあ。メキシコはマチズモの国かと思っていたけど、男の肉体とか理性は無力で愚からしいのだ。自分がバカなことをしている、逃げるべきであると認識していても、少女や女神のもとを離れないのが不思議でね。超常現象よりもそのような男の心理のほうが怖い、と思った。
 もちろん少し古いタイプの怪奇小説として読んでもとても面白い。「ラテン・アメリカ怪談集」(河出文庫)に別の一編が収録されていた。