odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

リチャード・マーシェ「黄金虫」(創元推理文庫)-2 帝国主義の宗主国は植民地からの報復を恐れる

2024/01/16 リチャード・マーシェ「黄金虫」(創元推理文庫)-1 イギリスホラーの古典。闇バイトに応じた青年は動物や異生物による人体侵襲に恐怖する。 1897年の続き

 

 異教の神、昆虫の恐怖(イギリスにはあまり昆虫はいないのではなかったかな)、催眠術、目的不明の陰謀。当時のイギリスは世界中に植民地を持っていた。ビザなしで渡航できたので、植民地出身者の流入も多かった。すると、これらの恐怖感情には外国人嫌悪が含まれているのかもしれない。

第3部 昼も夜も恐怖は尽きず ・・・ マージェリー・リンドン嬢の手記。レシンガムにプロポーズされて天にも昇る心地がしても、父と喧嘩になるわ、状況がわからないシドニーにパーシーもプロポーズしてきておかんむり。第2部の最期の事件の直前に、リンドン邸の前に行倒れがあって、介抱していた。若者はレシンガム用心しろと何度も叫ぶので、マージェリーはシドニーを呼ぶと、こいつを知っているという。行き倒れたロバート・ホイルから第1部の話を聞いたので、不思議な家に行こうという。シドニーはマージェリーを置いていくつもりなので、マージェリーは強引についていくことを承諾させた。問題の屋敷は見つかり、無人の部屋に入ると、ロバートはなにかに取り憑かれたよう。一人残ったマージェリーは黄金虫を織り込んだ絨毯と、女神像を見つける。身体を上ってくる感じがして失神してしまった。
(30年前のコリンズやディケンズガボリオやボアゴベの時代では女が冒険についていくことはあり得なかったが、世紀末には女性もアシスタント扱いではあっても冒険に加わるようになった。ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」。でも同時代のスティーブンソンやハガード、ドイルにはないので、この作品は先駆的。またマージェリーが好きな人がいるのを公言しているのに、わきまえないシドニーやパーシーが気に入らないというのもよい。女性が自己主張するようになってきたのだ。同時期に婦人参政権運動がイギリスで起こる。)

第4部 追跡 ・・・ 探偵オウガスタス・チャンプネルの手記。レシンガムが事務所に来て、20年前(彼は今40歳前)のできごとの謎を解いてくれと頼む。すなわち、カイロに漫遊した際、美しい歌姫に一目ぼれしてついていったら、望洋とした気分になって数か月も性の饗宴と生贄の犠牲をみていたのである。歌姫の部屋には女神像と黄金虫。恐怖に襲われて逃げ出し、以来思い出したこともなかったが三週間前に黄金虫の絵を見てしまった(第2章)。そこにシドニーが駆け込んできて、マージョリーがさらわれた、追跡しなければと叫ぶ(探偵とシドニーは旧知)。例の部屋に駆け込むと誰もいない。地下室にマージェリーの服がある。隣家の婆さんが言うには、ぼろを着た男が出ていき、そのあと巨大な荷物を担いだアラブ人が出て行ったという。3人は馬車を雇って、ロンドンの駅に行き、アラブ人のあとを追う。キップ係が見ていたので、電報で各駅と警察に手配した。彼らの追跡は間に合うのか・・・。
(1897年にはロンドンを起点とする鉄道がイングランド全土に張り巡らされ、駅は電報網でつながっていた。そこで探偵たちは馬車と鉄道という最新の乗り物を駆使し、ときに速記のような技術も使ってコミュニケーションを素早く行うのである。でも当時の技術では追いかけるほうの通信速度は逃足とどっこいどっこいだったので、まんまと逃げおおせることも可能だった。なので、追跡チェイスはスリルとサスペンスを醸す良い手段だった。クライマックスの追跡劇はクイーン「エジプト十字架の謎」ウィリアム・ヒョーツバーグ「ポーをめぐる殺人」を思い起こさせた。これが1970年代には追いかけるほうが逃げるものを圧倒するようになってしまう。)

 

 とはいえ、肩透かしになってしまうのは、アラブ人と黄金虫の謎が解かれないこともあるが、それよりも追跡する3人がアラブ人と決闘するシーンがなかったことにつきる。物語前半でシドニーが催眠術にかけられたくらいか。レシンガムの若気の至りも20年間恐怖を感じるには底の浅いものだった。脱出に際して窮地に追い込まれ、アラブ人に呪いの言葉を発するなか辛くも逃げおおせるくらいの試練を与えてもよかったものを。そういう細部の不満も含めて、この500ページに喃々とする物語と同じものを現代のモダンホラー作家は50ページ程度に圧縮し、その後に大冒険の物語を作るのだがなあ。たしかに冒険小説や怪奇小説の黎明期であるとはいえ、同時代に冒頭にあげたような傑作があったのであり、読み比べると本書はどうも見劣りする。
 さらに不満は、物語の場所がせせこましい。アラブ人がアジトとしたのは、場末の人が借りなかった廃屋同然のボロアパート。「ドラキュラ城」「幽霊塔灰色の女)」のような神秘と威厳を全く感じない。ほかにはシドニーの独身部屋に、リンドン家のリビング、彼ら上流階級がしけこみクラブやパブ。ロンドンのありふれた場所ばかり。冒頭にあげた傑作長編にある舞台のおもしろさがない。
 それよりも、この小説はイギリスの植民地であるエジプトへの偏見を助長し、アラブ人差別を誘発するものだから。レシンガムの若気の至りの冒険でも、1897年現在の怪奇でもアラブ人には固有名が与えられず、類として存在するだけで、怪異と黒魔術の使い手である。現実のアラブ人はイギリスにたくさんいたはずだが、彼らが人間と認められず、さまざまな場所で排除と嫌悪の対象になっていた。それをこの小説は利用して偏見を助長する。イギリスでは古典らしいが、この国でが埋もれていた。そのまま埋もれていい。

 

リチャード・マーシェ「黄金虫」(創元推理文庫

https://amzn.to/3H6qpr3