odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

鼓直編「ラテン・アメリカ怪談集」(河出文庫)

 1990年の前後に、この文庫は国別の怪談アンソロジーをいくつも出した。ドイツ、アメリカ、フランス、イギリス、ロシア、東欧、中国、日本。そしてラテン・アメリカ。ラテンアメリカ文学はそれまで単行本で出版されていて。サンリオ文庫がまず文庫にした。このアンソロジーは2番目の文庫になると思う。今では岩波や新潮、ちくまなどにある(ただしすぐに店頭から消えてしまうし、古本屋でもめったにみかけない)。
 収録されている作家は、名の知れた人たちばかり。ガルシア=マルケスカルペンティエール、プイグ、リョサがもれているくらいかな。ここに収録されている作家をおっていくと、ラテン・アメリカ文学のおおよその道筋をつくることができる。

火の雨(ルゴネス)1906 ・・・ アルゼンチンの平原に突然、溶けた鉛が降り注ぎ、町と平原と湖水を焼いてしまった。それは三日間続き、再び降り始める。世界の破滅。溶けた鉛が降る理由は分からず、人は死に直面し、それを受け入れるしかない。

彼方で(キローガ)1934 ・・・ 結婚を反対された恋人が自殺する。そのあと、彼らは埋葬の様子を見て、彼らだけの愛を交し合うのだが。死が甘美であるとともに、耐えられないほどの無であるかのような。ポーの影響大。

円環の廃墟(ボルヘス)1944・・・ 「伝奇集」と重複するので省略。夢見る人が新たな生命を生み出そうとしていて、しかしつくるものとつくられるものの関係があいまいになっていって。

リダ・サルの鏡(アストゥリアス)1967 ・・・ 屋敷で皿洗いをしている娘リダ・サルが、主人の息子の夫になりたいと願う。魔術師に恋仲になれる呪いを依頼した。そのためには、衣装に身を包んだ自分の姿の全身を鏡で見なければならない。そんなものをもたない娘は、夜の中、森を走り回る。この世では成就できない恋に焦がれる身の憐れ。

ポルフィリア・ベルナルの日記(オカンポ)1961 ・・・ 貧乏なイギリス娘がアルゼンチンにわたり、家庭教師になる。9歳の女の子と仲良くできているはずだった。でも、彼女に日記を書くことを薦めると、彼女は未来をすでに知っていることとして書いていく。「恐るべき子供」の変奏。あるいは、魔女? 様々な解釈が可能になり、子供の不可解さがいや増していく。

吸血鬼(ムヒカ・ライネス)1967 ・・・ 貧乏な東欧の君主国に古い城があった。吸血鬼映画を企画していたイギリスの映画会社は、その城に目をつけて借りることにし、城主にも主演になるよう口説いた。撮影にはいると、スタッフは青ざめ、けだるくなり、悪夢に悩まされるようになった。ストーカー「ドラキュラ」を換骨奪胎。現代に吸血鬼物を作ろうとすると、こんな風にパロディになってしまうんだよな。

魔法の書(アンデルソンインベル)1961 ・・・ 考古学者のラビノビッチが古本屋であるノートを見つける。それは意味をなさないアルファベットで書かれていたが、最初のページをめくると読める。しかし目をそらすともう読めなくなっていた。学者は十分な準備をして、休みなしに読み続ける。そこにはイエスと同じ年、同じ町で生まれ、「さまよえるユダヤ人」となった男の一生が書かれている。体力は限界に近づき、彼は読み終えることができない。冒頭で本は「人の一生では読み終えない」とあったではないか。なんとも魅力的な本に関する小説。読むたびに内容が変わり、絶対に読み終えることのできない本。この本をほしいと熱烈に願う。

断頭遊戯(レサマ・リマ)1981 ・・・ 古代中国を舞台にした、幻術師と皇帝、その妃、北方の<帝王>の愛憎を寓話のように語る。情けない自分の頭では何の寓意かよくわからない。

奪われた屋敷(コルタサル)1951 ・・・ 「悪魔の涎・追い求める男」(岩波文庫)と重複するので省略。

波と暮らして(パス)1949 ・・・ 海岸で出会った波と同棲を始める。彼女との愛の生活。でも長続きせず、ついに…

大空の陰謀(ビオイ・カサレス)1948 ・・・ テストパイロットのモリス中尉は事故を起こして救出されたが、彼を知っている軍人は誰もいない。スパイかと疑われてもう一度テスト飛行をすることになったが、また事故を起こした。今度も彼を知る軍人は誰もいないし、過去の事故を知るものもいない。それを聞いたホメオパシー医師の推論。怪談というよりSF仕立て。

ミスター・テイラー(モンテローソ)1959 ・・・ 南米の原住民と干し首の輸出を始めたテイラー氏。あまりの干し首人気で、おおわらわの巻。笑った、笑った。

騎兵大佐(ムレーナ)1956 ・・・ ある軍人が上官の葬儀にでた。庭に集まった軍人たちは疲れていたが、一人だけ笑い騒ぐ男がいた。彼につられて、場は和んでいく。妙になれなれしい男は見知らぬものだったので、翌日の葬儀で尋ねたが、だれも知らないし、前夜にはいないと答える。ポオ「ウィリアム・ウィルソン」の現代版かな。

ラクトカツィネ(フエンテス)1954 ・・・ メキシコの古い屋敷を買ったら、内庭に麦藁菊を摘む老婆がいた。なぜか気になり、彼女の出てくるのを待つ。老婆は主人公の手を取り、屋敷の一角に招く。ローデンバック「死都ブリュージュ」の現代版。メキシコ・シティは過去と現在が入り混じる、生死の境のない土地。だからそこは文学的想像力が最大に発露されるのだ。

ジャカランダ(リベイロ)1970 ・・・ リマの近くにあるジャカランダ。そこを訪れた大学教授。休暇を終えて出ていこうとするが、町からは出ることができない。その町で妻が亡くなり、墓もあり、教授は妻を愛している。これもローデンバック「死都ブリュージュ」の現代版。死の都。愛するほどに憂愁が深まる。


 古典的な怪談、幽霊屋敷とか黒魔術とか幽霊とか動く絵とか人間消失とか怪物の襲撃とか、は入っていない。「怪談」を期待する人にはごあいにくさまな選択になっている。むしろSFやファンタジーに近しいものがあるし、この国には「純文学」として紹介されたものもある。
 そうなるのは、いくつか理由がある。まず、収録されたのは20世紀にはいってからのもので、古典的な怪談をストレートに書いても誰も怖がらない時代の作品。オカルトや霊体を素直に信じるには、人々の心が擦れ、科学的合理的な見方が当たり前になってしまった。怪異があったとしても、遭遇した人の思い込みや錯誤であるという説明でたいてい片が付いてしまう。そういう時代では、恐怖することよりも恐怖する心理に興味が移ってくる。このアンソロジーの作品でも、怪異より、関係者の心理に重点を置いているのが多い。
 もうひとつは、ラテン・アメリカという土地。リアルに描くと、そのままファンタジーになってしまう。生者のすぐよこに死者が住んでいて、動物たちが精霊と会話しているところ。黒魔術も白魔術も生活に根差していて、呪いや報復を恐れたり、期待するような人たちが生きている。西洋や中国のように隅々まで人間の監視の目が届いているわけではないから、ものものしい舞台や状況をつくらなくとも怪異や不可思議がおきてくるのだよね。この認識も、メキシコのカタコンブ、カリブ海ヴードゥー、ペルーのインカ帝国、ブラジルのアマゾン密林、アルゼンチンの大サバンナなどを一括しているという誤りをおかしているわけで、全然正確ではないのだが、まあ、おおざっぱにこういう見方が可能だということにしておこう。
 そのうえで、作家たちは西洋に滞在した経験を持つインテリとエリートたち。彼らは科学と合理の認識の方法を持っている。なので、アニミズムや自然崇拝と理知的な認識が混交して、小説が摩訶不思議な雰囲気になる。主人公たちの認識は明晰で、理知的に対応しようとするのに、状況と環境がどんどん変わっていき、それに引きずられて、認識や存在の根拠が疑われていく。そのような書き方が、19世紀の怪奇小説と異なっていて、とても面白い。
 まあなかにはボルヘスみたいに自然などには目もくれず、言語で迷宮をつくろうという桁外れな発想をする人もいるのだが。
 その多様性がラテン・アメリカ文学の魅力。小説の面白さがみっしりと詰まった一冊。ここから気になる作家の長編に挑むのがよい。