odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

筒井康隆「筒井順慶」(新潮文庫)-1968年前半の短編「色眼鏡の狂詩曲」「あらえっさっさ」

 1968年の中編と前半の短編。作品の並びは全集6に準じる。文庫の収録作品とは一致しない。テト攻勢ソンミ村虐殺事件)、プラハの春五月革命文化大革命公民権運動(キング牧師、R・ケネディ暗殺)。公害続発、大学闘争。メキシコオリンピック。アポロ8号(最初の地球全景写真)。

筒井順慶 1968.09-12 ・・・ 駆け出しの流行作家が「おまえは筒井順慶の末裔だからその歴史小説」を書けといわれ、取材を開始。一方、酔って2社に長編書下ろしの約束をして、どちらに渡そうかと悩む。筒井順慶の末裔の美人を追いかけ、編集者2名の追跡をかわし、途中洞ヶ峠でラリってしまう。一方、取材であきらかになるのは、筒井順慶の資料は少なくて、人物像が浮かばないこと。資料の羅列で面白くないといわれ、会話をさせても、のっぺらぼうのまま。ラリったときには、現実の編集者他と歴史上の人物が重なり、編集者と作家が集まった時に筒井順慶が現れる(ここの順慶の演説がとても「人間的」)。著者初の歴史小説(のはず)。過去の書き手のように想像力でおぎなうことはせず、資料の混乱はそのまま描き、状況がドタバタ、ハチャメチャになるのを許す(「こちら一の谷」1975.07も参照)。

君発ちて後 1968.03 ・・・ 夫が蒸発して残された妻、欲求不満と妄想が高まっていって……。ゆっくりと狂気が侵食していく。このころふいに失踪する人が増え、「蒸発」と騒がれた。今村昌平「蒸発」1967年という映画を参考に。

最終兵器の漂流 1968.04 ・・・ 北極にある最終兵器の管理チーム。氷山が流れ出し、シロクマが格納庫を破壊しようとし、このままでは兵器が作動してしまう。どうしよう。「悪魔との取引」テーマの変奏。二段オチでした。

色眼鏡の狂詩曲 1968.04 ・・・ 17歳のアメリカ人少年の書いた擬似政治小説を翻訳してみた。題して「日中大戦争」。あまりの内容に「おれ」は憤激。この小説の世界認識は21世紀の「ネトウヨ」そのままだな。途中旅客機が墜落するが、当時飛行機事故が続発していた。山口雅也「日本殺人事件 正・続」(角川文庫)、都筑道夫「三重露出」(光文社文庫)、ソムトウ・スチャリクトル「スターシップと俳句」(ハヤカワ文庫)も参照。
山口雅也「日本殺人事件」(角川文庫)
山口雅也「続・日本殺人事件」(創元推理文庫)

ふたりの印度人 1968.06 ・・・ じろじろ眺めていたら無言の人が家までついてきて。無理くり言えば「走る取的」だし、大江健三郎「人間の羊」だし。でも、21世紀にはアウト。

懲戒の部屋 1968.06 ・・・ 満員電車で痴漢に間違われた「おれ」は鉄道公安に行き、女権保護委員会の査問を受けて。これも21世紀にはアウト。

アフリカの血 1968.07 ・・・ 黒人の父と日本人の母の子でモデルの彼は、仕事を失い、恋人が別の男といるのを知る。血が彼を本来に戻す。差別を主題にしながら、この扱いは21世紀にはアウト。

美女 1968.07 ・・・ 古今東西の美女の品定め。これも21世紀にはアウト。

いずこも愛は…… 1968.08 ・・・ なんどでも繰り返し出会う恋人。

落語・伝票あらそい 1968.08 ・・・ どっちが支払うかでもめているマダム二人。次第にエスカレートしていって。

マイ・ホーム 1968.08 ・・・ 堅実な人生設計をしていたのに、よい方向によい方向に転がっていく。それもまたつらい。これが逆転すると「大いなる助走」になる。

亭主調理法 1968.08 ・・・ 結婚して幸福になるはずが亭主はいつも遅い。いらいらが夫婦喧嘩になって……。モンティ・パイソンの第2期最終回の最終スケッチみたい(こんなふうに迂遠に書かないと、ネタバレしてしまう)。

時の女神  1968.08 ・・・ 子どものときに出会った白いスーツの女に憧れて。筒井版「ジェニーの肖像」「たんぽぽ娘
あらえっさっさ 1968.08 ・・・ これまでNHK創価学会、主婦連などをおちょくってきて、次のターゲットは芸能プロダクション。芸能記者慰労会での痴態に、どんちゃん騒ぎ。のちの「美藝公」の芸術国家と比較。

九十年安保の全学連 1968.08 ・・・ 分裂に分裂を重ねた全学連、1990年安保には一派5人しか動員できない。国会がタレント議員ばかりで、議会がショー化された時代。発表年は全共闘運動が最も盛んだった時代。参考エントリー:
高木正幸「全学連と全共闘」(講談社現代新書)
中島誠「全学連」(三一書房)



 ここではふたつ。
 「筒井順慶」が傑作。作者が登場する小説はめずらしくないが、一人称の作者が小説世界のキャラクターになって、ドタバタを演じていく。はてにはラリって歴史上の人物と小説のキャラクターと作者が一堂に会する。作者と小説世界のレベルの壁を壊して、どのレベルで話をしているのかがわからなくなる。ここではハイミナールという薬を飲むことで、レベルの壁を融解した。この時代はレベルの壁を壊すにはこの方法しかなかった(ということをどこかのSFの感想で書いた記憶が)。このあと十数年後には「虚構」概念を取り入れることによって、バーチャルリアリティの技術もなしに、レベルの壁をぶち壊すことになる。「脱走と追跡のサンバ」「虚人たち」の遥かな先駆。
 サマリーに「21世紀にはアウト」と書き込んだ作品が並ぶ。人権意識が50年たってすっかり様変わりした。このころアメリカでは公民権運動、ブラックパワーがあったのだが、作者の感度はここまで及ばなかったようだ。むしろ女権拡大運動を揶揄することがめだつ。人種の偏見も根強い。入江徳郎「泣虫記者」春陽文庫1952年のようなこの国の<システム>であたりまえとされた、今から見ると差別と偏見がまだまだ強く残っていたのだな、と嘆息。(1970年代になってから、作者の小説から急速に消えていくので、念のため*1)。

  

*1:追記2021/6/3 とこう書いたけど、バブルの時代から作者のミソジニーが復活。「イチゴの日」「残像に口紅を」「パプリカ」など。