odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

カール・マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」(岩波文庫) 代表するもの(党)は代表されるものの関係は固定的ではなく、代表されるものは代表するものを見捨てて扇動政治家を選んだ

 1848年2月のフランス革命から51年12月のルイ・ナポレオンのクーデターまでをレポート。この時代、マルクスはパリの現場を見ているわけではない(4月上旬にケルンに移動。翌年のドレスドン蜂起のあとプロイセン政府の追放令がでて、フランスにもドイツにもベルギーにもいられなくなり、ロンドンに移住した)。情報は時々刻々と入手していただろうし、同じ亡命仲間からの情報提供もあっただろう。1852年2月に一気に書かれたらしいので、とても臨場感がある。状況が変動する渦中でもあるので、書き洩らしている事態もあるようだ(フランス軍のローマ遠征など)。この一冊で2月革命の全貌をつかむのはできないので、別途資料を参照することが必要。
笠井潔「群衆の悪魔」の感想で、2月革命をまとめているので、そちらをご参考に。)

第1章 ・・・ 

ヘーゲルがどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(ファルス)として、と、かれは、付け加えるのをわすれたものだ(P17)」

という有名な書き出しで始まる。ここでは単純に1848-51年の革命が、1789年の革命と異なり、敗北し、政治の巻き戻しになったことを揶揄しているとみればよい。重要な契機は1848年6月の蜂起で、ここでプロレタリアが敗北したこと。マルクスは、世界史的な偉大な出来事に参加したことを賛美しているが、それで数千人の死者や1万数千人の流刑者が浮かばれるわけではあるまい。

第2章 ・・・ 1848年2月蜂起で王政を打倒、穏健内閣が成立。その後憲法制定会議が招集され、憲法が発布される。そこにはブルジョア的な自由が盛り込まれた革新的なものであった。大統領と議会の権限があいまいで、互いに行き過ぎをけん制する機能をもたなかった。そのことの修正に政権党は熱心ではなかった。

第3章 ・・・ 1848年6月暴動までの政治状況。王政がなくなったあと議会が制定。与党は秩序党。これは王政復古を願う大土地所有者と大ブルジョアの集まり(あと官僚、僧侶など)。野党は山岳等と社会民主党。前者は農民と小ブルジョアの支持があり、後者は労働者プロレタリアートの指示がある。普通選挙の実施と労働権の確立の政策をめぐって、与党は反対。労働者と市民は激怒して街頭に繰り出すが、指導者である筋金入りの社会主義者は逮捕済。ここで小ブルジョアプロレタリアートを裏切って、秩序党の支持にまわる。となると街頭の労働者・市民には軍が当たり、大虐殺。ここで議会は閉鎖され、秩序党も身動きが取れなくなり、ボナパルトのみが屹立する事態になる。

第4章 ・・・ 6月暴動のあとの反動。1949年6月国営仕事場の閉鎖、同年11月新憲法の発布、1951年5月普通選挙の廃止。野党の山岳党と社会民主党の和解があったが、小ブルジョアの権利も縮小される(集会や政府批判の雑誌新聞の取り締まりなど)。1850年は好況で失業率が大幅に低下したなどしてプロレタリアも批判行動を抑えるようになる。その間に、1848年12月ルイ・ボナパルトが大統領に選出(同年8月の補欠選挙で当選)。

第5章 ・・・ 1849年から51年までの概観。秩序党の内閣と、国民議会と、ナポレオン大統領の3つの権力があり、それぞれ権勢しあう。内閣と国民議会は、秩序党と山岳党の政争に明け暮れる。内閣が更迭され、社会民主党の党首が逃亡(1949年6月)。後継内閣も数回解任され、最終的には秩序党の内閣も総辞職。これらに対する市民の抗議はなかった。ナポレオンは軍隊を饗応し、自分の支持を取り付ける。

第6章 ・・・ 1851年は小恐慌。なので、産業ブルジョアジーは政争に明け暮れる議会と内閣に愛想をつかそうとしていた。まあ、自分らの利益のために、政治の混乱ではなく静穏を要求した。まあ、危機を前にしながら見過ごせというわけだ。でもって、大統領は議会の権力を無くしていき、国民議会を切羽詰まらせる。

第7章 ・・・ 1951年12月のナポレオンのクーデター。この3年間の総括。


 マルクスは、1848年2月革命の敗北をこんなふうに(第7章)に総括する。
1)2月の市民革命は、ブルジョアジーと小ブルジョアジーの協力もあって成功し、民主国家が作られる。普通選挙と、マルクスは見逃している国営仕事場の設置が重要施策。政治参加の範囲を広げ、失業とセイフティネットに国家が責任をもつというのが先進的な施策。
2)しかし、このような社会民主主義国家はブルジョアジーの要求するものではない。税金の増加で企業の利益すなわち経営者・資本家の利益の減少を意味するから。小ブルジョアにとっては、失業者支援が市場の競争相手を増やすことになるので、やはりこの施策は受け入れられない。また、1789年革命で土地分割が行われ土地所有者になった農民もうけ入れない。失業者支援の原資は農民の増税で賄われるから。
3)そういうわけで、まずパリの市民、プロレタリアートブルジョア他の権力で叩き潰される(1848年5月暴動)。重要なことは、政権を取った「民主主義者」は、デモクラシーの要求に対して軍隊を差し向けたということ。
4)以後議会と内閣の権力闘争の過程で、ブルジョアもまた政治的権力を失う。ここで政治闘争が路上から議会に移動したことが重要な転機。路上で革命を実現した人たちは、議会ができたことで政治活動ができなくなる。
5)それは皮肉なことに普通選挙で拡大した選挙民(おもに農民)が、都市市民他の政党に加担せず、一人の煽動政治家を選択したことによる。「ナポレオン・ボナパルト」という名をもつナショナリズムが彼らを引き寄せたのだった。2)から5)までのできごとのポイントは、代表するもの(党)は代表されるもの(ブルジョアとか農民とか手工業者とか小売商とか)の結合関係は固定的ではなく、しばしば代表するものは代表されるものを裏切り、理解し合わなくなったということ。で、代表されるものは代表するもの(党)を見捨てて、ナポレオンを選択した。
6)ルイ・ナポレオンは原則として支持集団をもたない。そこで中間階級(ここでは小ブルジョアや土地所有農民など)に取り入る。彼らに甘言を約束し支持を取り付ける一方で、反対勢力への弾圧を強化。そして2月革命の成果(議会、政党内閣、普通選挙、セイフティネット施策など)をすべて廃棄。ここに独裁政治が誕生する。
 こうして2月革命が敗北するわけだが、マルクスの総括だと、中間階層の政治的不安定さと資産への執着、それによる保守志向が大きな原因とみる。ようするに革命的・民主的な言辞を吐こうとも、農民・小ブルジョアは信用ならん、社会民主政権の誕生の瞬間に彼らは革命を裏切るから。そうすると、革命の主体は資産をもたず政治的に追い詰められているプロレタリアートにしかない、とみなすことになる。
 自分はよくしらないが、この総括はその後の社会主義共産主義運動に大きな影響を及ぼしたのではないかな。この本の50-70年後のレーニンボルシェヴィキは都市プロレタリアートオルグと組織化にいそしんだし、共産党党員はまず労働組合の支援とオルグにまわったものだ。
 あと、この2月革命の進み方は、その後の歴史で何度も反復されたなあとも思う。王政や独裁性の抑圧に抗して、市民や民衆が決起。一時的に民主性議会が成立するが、支持基盤が弱いために、政権が安定しないで混乱。暴力の力を持つ軍が治安維持を名目にクーデターを起こし、別の独裁制が確立。だからマルクスのまとめは、近代の市民蜂起や革命の推移のある類型を示したものだといえる。市民の支持を集めた集団や政党がないと、市民・民衆蜂起はあらたな抑圧権力を生む。さらに、弱小政党の連立だと、議会や内閣で主導権争いをして、市民や民衆の支持を急速に失う。協力して安定政権になればよいのだろうが、ささいな政策や施策の違いが増幅強化して修復不可能になるのだろう。まあ、近代の政党だと「人民戦線」方式のやり方ができないのだな。そこが煽動政治家に足をすくわれる理由かな(われわれも政党の主導権争いに愛想を尽かしていけない、安易に煽動政治家に乗っかってはならないという苦い教訓になる)。
 でも、この本をみて、おい待てよと思う。第5章の段階、1850年の好況時にはプロレタリアートは決起しなかった。生活の安定があるとき、市街で暴動を起こすモチベーションは欠けている。第6章の段階、翌年の不況時にもプロレタリアートは決起しなかった。そこもまた生活の問題がある。もちろん1848年5月にプルードン、ブランキ以下の社会主義者アナキストで社会変革の運動の指導者がほぼ全員逮捕ないし追放され、烏合の衆になっていたのも理由に数えてよい。しかし、指導者の存在は暴動の必要条件ではないよな。2月と6月の暴動はなにかの働きかけがあったためにプロレタリアートが決起したわけでもあるまいに。
 という素人まるだしの運動論をやってしまった。どうにも恥ずかしいな。
(追記 柄谷行人マルクス その可能性の中心」(講談社文庫)が、「ブリュメール十八日」の読み直しをしているので参考になる。そこでは階級は経済的な共同性だけでは成り立たない、「階級が階級としてあらわれるのは、まさに党派、言説を通してである(P101)」とされる。上記のような代表するものと代表されるもののずれがあるわけだね。)


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