odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ウィリアム・シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」(新潮文庫) 苦悩するブルータスが主人公。主君が暴君になったら、家臣はどうすべきか。リーダーなしの合議ではいきあたりばったり。

 ローマ史は詳しくないので、史実とつきあわせない。本書の記述だけでまとめる。
 戦勝したシーザーが帰還するとき、元老たちは眉をひそめる。此度の勝利によってシーザーの権威はますますあがり、専制の様子を呈してくる。割を食うのは元老たちであり、市民(現代のそれとは異なる)の政治参加は制限されるのだ。そこでまずキャシオスが立つ。そしてシーザーの友人であるブルータスを陰謀に加わるよう説得する。ブルータスは彼らの考えには賛同できなかったが、シーザーの専制を憎むので、暗殺に加わることにする。成功ののち、シーザーを退けた理由を説明するが、そのあと彼らに仲間入りしたアントニーによるブルータス弾劾演説によって空気は一変する。すなわち、ブルータスの高潔は偽りであり、シーザーの遺言は市民に財産を分与すると書いてあるからだ。ブルータスとキャシオスの仲たがいと和解があり、ついにはキブルータス軍とアントニー軍の戦いになる。キャシオスのまわりにはカラスが飛び交い、ブルータスの前にシーザーの亡霊が現れるなど不吉な徴が次々と起こる。そして、決戦となる。

 最後の合戦シーンは、時代小説や歴史小説の記述の範となるもの。敗色濃いブルータスの焦燥に、律儀な部下の献身に、将の器でなかったキャシオスの嘆きにと、何度も描かれるようなシーンが現れる。当時の舞台では幕がないので、俳優に出入りで場面が切り替わったのだが、この畳みかけるような勢いには驚くであろう。
 シーザーという巨大な権力(加えてカリスマ的な人気がある)を前にして、元老たちは苦悩する。あいにくローマ帝国の政治体制では投票や多数決で政権を移動することができない。あくまで皇帝が死んだときだけだ。そこで焦る元老たち(たぶん高齢者:でも福田恒存先生の訳ではみな若者だ)はテロを計画する。テロリストの例として、計画の実施と裏切りの疑心暗鬼から出るけん制にばかりを気にする。そして実行の恐怖を克服するために、自己ばかりを見つめ直す(なので決起直前のブルータスは実存主義者のようであり、マルロー「人間の条件サルトル」のテロリストやレジスタンスと同じ心情を共有する)。そして暗殺が成功したのちのことを十分に考えていないので、暗殺成功の意気軒昂が衰えると、いきあたりばったりになる。そういう権力簒奪をもくろむ俗人のダメさ、みっともなさがみえる。
 一方、シーザーの友人であるアントニーは老獪な政治家。いったん暗殺グループに仲間入りをしたとみせかける。元老の中では少数派で、シーザーの知己であるから暗殺の可能性があった。見かけの恭順のあと、かれは政治的寝技をつかう。すなわち元老たちの工作を行うのではなく、いきなり市民に対して問いかけるのだ。情報が乏しく、日ごろの会議を見ていない市民はアントニーの扇動に乗せられる。そしてアントニーが望むようにブルータスやキャシオス弾劾の運動を始める。なるほどアントニーは最初ではないが古代帝政期のポピュリストであった。
(中村保男の解説だと、理想主義者のブルータスと現実主義者のキャシアスの対立、占いや予知夢を信じないキャシアスにルネサンス人を見る、アントニーも扇動で人気を得るが一方で粛清も行うマキャベリスト、扇動にのせられて暴動とリンチを行う市民の愚劣さ、なども指摘。なるほど、その通りです。)
 1599年初演(解説によると)の古い文芸作品が、現代の政治につながる。

 

 堀田善衛「ミシェル 城館の人1」によると、シェイクスピアモンテーニュを読んでいて親近感を持っていたという。モンテーニュの知人の筆になる「自発的隷従を排す」という論文があり、モンテーニュも若い時に読んで影響を受けた。その内容は、

「人間の自由についての、ほとんど最初の叫び声であり、暴君打倒論であり、またほとんど最初の無政府主義論でもあった(P376)」

ということになる。当時のフランスは王権と教権が同じくらいに強くて、カソリックプロテスタント宗教戦争のごとき戦乱と社会的騒擾にあった。そこにおいて、モンテーニュなど一部のインテリ(という言葉も階層もないが)は奴隷的隷従は廃されるべきであると考えていた。経済的自由や社会的自由を求めるものもあり、公的自由を行使する者もあらわれていた。一個人に権力が集中する暴君は正当ではない。
 とすると、シェイクスピアのこの作は歴史的な故事を再現するものではなく、とても現実的な政治的主張であるといえるかもしれない。初演1599年の数十年後には清教徒革命がおきて王権を放逐するに至るのであった。
 この後もシェイクスピアは派閥闘争に勝ち残り、しかし政治的ビジョンを持たない暗愚な暴君が没落する話を繰り返した(四大悲劇がことにそう)。シェイクスピアの創案になるというより、ギリシャ・ローマの古典に親しむこと、フランスの政治状況を見ること、政治思想を聞くこと、これらにインスパイアされたリアルな劇を構想したのだ、と妄想する。

 

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