odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フレドリック・ブラウン「発狂した宇宙」(ハヤカワ文庫) スペースオペラの格好をしたスペースオペラ批判。

 SF雑誌の編集者キース・ウィストンが次の号のことに思いをはせているとき、第一次月ロケットがすぐ横数ヤードのところに墜落。その衝撃で失神した後、キースはなんとも得体のしれない世界で目覚めた。細部はまったく現在(1949年当時)のアメリカなのに、ドルは使えない(クレジットという別の通貨に変わっている)。身の丈7フィートの月人が街路を闊歩している。世界の英雄はドペルという冒険家にして天才的博士。彼の指揮のもとに地球はアルクトゥールス星と熾烈な宇宙戦争の最中にある。したがって、キースはまったくのよそ者であり、アルクトゥールスのスパイと間違えられ、逃亡ののち、夜間外出が禁止されているアメリカでニューヨークに向かう。当面、この世界で生きていこうとして、作家になることを決めた(ここらへんのバイタリティはすごいなあ)。でも、その世界の雑誌の編集者(元の世界の知り合いと同じ名前)に見せたのがまずかった。剽窃、盗作とみなされ、アパートの一室でWBI(世界サイズのFBIと思いなせえ)と大立ち回り。そして、彼は闇の稼業の男を見つけて、月ロケットを盗み出す。目的はひとつ、この世界をコントロールしているドペルに文句を言うこと。

 多元宇宙ものの古典。宇宙というのはひとつではなくて、無限の可能性のある宇宙が無限にあって、たまたまわれわれはこの宇宙に生まれついてしまったが、別の宇宙に<飛ぶ>ことができる、というイメージ。もしこの考えに恐ろしいところがあるとすると、我々の宇宙は<この私>がコントロールしている宇宙なのではない、別の誰かのイメージする宇宙であるのかもしれないということ。すなわち<この私>がいる根拠はなくて、だれかの夢なのかもしれないということ。独我論が成り立たなくなるのだよね(「火星人、ゴーホーム」独我論をベースにしているので、あわせて参照されたし)。魅力的でしかも戦慄的なイメージは、SF作家だけでなく、哲学者も物理学者のその可能性を大真面目に議論しているのであって、いずれその「実在」が証明されるかも。とはいえ、別の宇宙に「飛ぶ」ことはできないのだが。
 ブラウンの着想の面白いのは、まずはこの多元宇宙ものの典型を1949年に書いてしまったということ。オリジナルは別の人にあるのかもしれないが、ベストセラーになったということで元祖を主張してもよいだろう。このあとPKDが「虚空の眼」1957年でもう一つひねった作品をものし、可能性を開拓しつくした。以来、多元宇宙をストーリーの主軸にすることはできなくなってしまった。
 でさらに面白いのは、1920-30年代のスペースオペラの設定で書いていること。惑星間航行が日常で、奇怪な姿のベムが地球人を襲い、薄絹のヒロインが窮地にあるところを、全身タイツのヒーローが間一髪で救出するというような。バローズ「火星」シリーズ、ハミルトン スミス「レンズマン」シリーズ、スミス「スカイラーク」シリーズなどスペースオペラの傑作はすでに人口に膾炙していて、それはだれもが知っている。それをこのように書くというのは、スペースオペラの格好をしたスペースオペラ批判であるわけだ。まるで、セルバンテスドン・キホーテ」のような趣向。合わせて、当時のSF出版界もパロディになっているというので、ますますややこしい。
 そして、ストーリーは一人の孤独な男が危機にある街にふらりと立ち寄り、住民の誤解にあい、敵の脅威を受けながら、絶体絶命の危機を知恵とガッツで乗り切っていく。そういうハードボイルドや西部劇の物語。
 一作で三通りの読み方ができるという贅沢な娯楽小説。タイトルをもっとくだけたものにすれば、もっと読まれるのではないかしら。madを「発狂した」とするのはすこし固すぎる。

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