odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

大江健三郎「現代伝奇集」(岩波書店)「身がわり山羊の反撃」「『芽むしり仔撃ち』裁判」

 1980年の前半にまとめて発表された短編と中編を収録。個人的な記憶でいうと、収録された小説はのちに単行本にまとまるまで待たず、初出雑誌を入手してリアルタイムで読んだのだった。大学図書館や書店をさまよっていた時の記憶が懐かしい。

頭のいい「雨の木」 1980.01 ・・・ 「雨の木」を聴く女たち」(新潮社)で感想を書いたので省略。

身がわり山羊の反撃 1980.2-3 ・・・ 四国の山奥の「在」という村。川を流れる大岩の上の高台に数世代前の移住者家族が住んでいる。大水がでて家が流されたとき、中学生一人が生き残り、村の共同教育で医師になろうとする。修学旅行の中学生が集団赤痢に罹患して、高熱のために入水して死んでしまうという事件があった。そのときから生き残りの中学生は、自分が村に大きな災厄が訪れたときに生け贄にされる鮒の役割であると悟る。「在」が衰え、コロンビアの開拓村に移住することになった時、医師として参加することを要請される。行き先をメキシコ人に伝えたとき、彼はメキシコ人の眼に、かつて自分を差別していた「在」の村人の視線と同じものを見出す。メキシコで行方をくらまし、四国とコロンビアの村人が彼を追いかけるのを逃げる生活をしている。閉鎖的な村のなかの差別的な構図(「飼育」や「芽むしり仔撃ち」の朝鮮人部落からあったな)が、周辺の村々の構図であり、コロンビアでも同じ構図があり、語り手の居住するメキシコも身がわり山羊といえる。そういう多重な差別の構図がひとりの男の数奇な半生から浮かび上がってくる。読者は意識していなくてもそのような構図の(たぶん)生け贄鮒を飼っている側に立っている。ところが世界的な鳥瞰で構想すると、読者自身もどこかのだれかの生け贄鮒に他ならない。そんな感じのテーマかな。面白いのは語りの手法。この小説は全体として中年男性の関西弁による独り言。それは、メキシコの大学で講師をしているプロフェソールに向けて。それは、虫歯の痛みに耐えかねて無資格医師である無名の語り手を往診したから。この無名の講師に自分と同じ匂いを感じたから。久しぶりの日本語を、饒舌にとめどなくしゃべりまくる。語り手はかつて同じ話を下痢で苦しむ女教師に語ったことを思い出すように話し、女教師の反論や反駁を話に組み込むことによって、プロフェソールや読者の疑義やつっこみを交わす。このように語る理由が明確になっていて、その語りの構造を複雑にすることが小説の奥行を深めている。これは作家の「小説の方法」(岩波現代選書)で書かれた方法の一部。主題においても方法においても、これは力作。ついでに言えば「同時代ゲーム」の村=国家=小宇宙サーガの、ありえたかもしれないもうひとつの村の戦後史でもある。

「芽むしり仔撃ち」裁判 1980.2-4 ・・・ 昭和20年冬に四国の山村で起きた「芽むしり仔撃ち」事件。それは1958年に新進作家の小説によって明るみにでた。事件の概要は小説でほぼ正しいと思われたが、1980年の直前にある日系アメリカ人によって新証言がでた。すなわち、事件は「弟」が濁流に飲まれ、「兄」は鍛冶屋によって追放されたと思われた。しかし、「弟」は奇跡的に助かり、進駐軍とともに村の悪業を告発して裁判になったのである。昭和21年の春に行われたと思しき、その裁判によって村は危機状況にあったが、しだいに「弟」の証言が偽証であることが明らかにされ、不問とされた。同時に事件と裁判は隠蔽され、村人も進駐軍も語ることがなかったのである。「兄」の証言に基づく「芽むしり仔撃ち」1958年は事件の一面しか伝えていなかった。事件から35年、小説発表から22年が経過して突如、「弟」の証言に基づいて発表されたこの後日談は小説の真偽を疑うことのなかった識者、文化人、インテリに驚愕のような動揺を与えたのである。
 以上の経緯が明るみに出たのは、ある日系アメリカ人がベトナム戦争に従軍した自伝を発表したからである。アメリカに居住しているものの戸籍は日本のままのその日系アメリカ人は、アメリカ永住権を獲得するためにベトナム戦争に志願兵として参加した。最前線の熾烈な戦争で両目・下顎・左腕・右足・声帯を失っていた。特注の車椅子に電光ボードに言葉を表示して「会話」する(ホーキング博士を想起すること)。彼の介添人はジュリアード音楽院でヴァイオリンを学びいまではタングルウッド音楽祭(当時は小澤征爾が総監督)にソリストとして呼ばれるほどの腕前の女性(佐藤陽子さんに似ていると見たがいかが)である。たまたま「芽むしり仔撃ち」を書いた作家の弟がこの記事を読んで、自伝第2作(それはまさに「芽むしり仔撃ち」事件を扱うはずであった)を構想する手伝いをすることになったのである。
 小説は、作家の「弟」が「兄」に以上の経過を報告する手紙として書かれている。なので、弟の現実の時間がベースになっているが、「芽むしり仔撃ち」事件の「弟(区別するために「反・弟」と呼ばれる。ふたつの兄―弟が小説に登場し、最初のうちは誰が誰やらわからないはず。このような混乱をあえて小説に挿入しているのは、読者がスラスラ読めず、ページを行ったり来たりして努力しないと読解できないようにするためのしかけ)」の回想や会話によって時間がさまざまに行き来する。1979年の現在、とりあえず1968年と思われるベトナム戦争、1958年の小説の書かれたとき、1946年の裁判、1945年の「芽むしり仔撃ち」事件と複数の時間がごちゃまぜになり、奔放に行き来する。その結果、どの解釈が正しいのか、だれの証言が正しいのかさっぱりわからなくなり、事件の全体を構想出来なくなる。このような混乱をもたらし、「芽むしり仔撃ち」からさまざまな意味を引き出すことになる。
 のちに「宙返り」を読んだとき、この長編は「芽むしり仔撃ち」のパスティーシュではないかと思った。その理由のひとつは、「同時代ゲーム」に代表される村=国家=小宇宙の伝説、神話に連なる小説であるものの、このふたつの小説の主人公たちは村=国家=小宇宙の外部のものだということ。感化院の少年として、あるいは新興宗教の教祖として村に入る人物たち。村の住民のように村=国家=小宇宙の伝説や神話を共有していない者たちは、村の神話や伝説を共有するものたちから排除されるか、それこそ「身がわり山羊の反撃」のような生け贄鮒の役割が押し付けられる。そして、人物の攻撃誘発性((ヴァラネラビリティ)によってのけ者にされ、構想は挫折し、排除される。そのあとに反撃にでても、道化としての役割は哄笑を巻き起こすだけで、手ひどいしっぺ返しを受ける。そういう仕組みが共通しているから。もうひとつは、「宙返り」の語り手である教祖の助手か秘書(でよかったのか?)が、この短編の語り手と「反・弟」の介添人の関係と同じだから。ノンフィクション作家や教祖の思想に共鳴したわけではなく、たんに正体を極めたいという欲望から関係を持ち、作家や教祖の共犯者であり批判者であるという奇妙な立場で状況を観察するというところ(いや、作家や教祖の眼を盗んでセクスするところのほうか)。みっつめは作家も教祖も瞑想好きで、宇宙的な交感(まあチャネリングというやつだ)をするというのも。
大江健三郎「芽むしり仔撃ち」(新潮文庫)-1 
大江健三郎「芽むしり仔撃ち」(新潮文庫)-2


 最初の「頭のいい『雨の木』」は別として、残りの二編は、「小説の方法」でまとめられた方法を実作に応用したもの。あらかじめこの理論書を読んでおくと、これらの中編の仕掛けは非常によくわかる。サマリーにまとめたことが、いずれにも自覚的に書かれていることを確認しておこう。とくに、複数の文体、語り手、小説を書く意味を考えさせる小説、小説批評を含んだ小説、グロテスクイメージ(とくに糞尿)、中心と周縁、あたりにフォーカスするとよい。
 そのような理論先行の小説はつまらないものにならないかという疑問には杞憂であると答えよう。そのような理論を知らないでも、これらの中編は面白いのであった。せいぜいあらかじめ「芽むしり仔撃ち」を読んでおくべきであるということだけ。
 残念なのは、「頭のいい『雨の木』」は別とした残りの二編は、文庫などで再販された形跡のないこと。ふたつともとても入手しにくいものになってしまった。とてももったいない。自分は、「芽むしり仔撃ち」と「『芽むしり仔撃ち』裁判」を合本にした文庫を想像する。前者のリリカルで抒情的な中編に涙し、後者の明晰ではあるが迷宮めいた情報で混乱させられる。両方を統合するための努力が必要になる読書。それは文学の中級者になるためのよいプラクティス、演習になると思う。

  

<追記 2019/9/10>

大江健三郎全小説 第6巻 (大江健三郎 全小説)講談社に収録されていました。