odd_hatchの読書ノート

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大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-1 都市の反権力運動とは全く異なるやり方で起こした抵抗運動の高揚と挫折の物語。デビューから当時までの集大成であり、その後の作品の出発点。

 障害のある子供が生まれて鬱屈して大学の英語講師をやめた「僕」は、数年ぶりに帰国した弟・鷹四の誘いで生まれた四国の森の中の村に帰ることにする。この兄弟の根所家がもっていた巨大な蔵屋敷を、「スーパーマーケットの天皇」と及ばれる地域の商人資本家に売ることに成功したのだ。敗戦で主要産業が壊滅し没落しつつある村をその金で活性化しようという目論見を弟はもっているらしい。「僕」が気になるのは、蔵屋敷に住み込みで雑用をしていたジンという女性。この女は事故のあと大食症にかかって一人では動けないくらいに太っている。蔵屋敷無き後、行き場がなくなるが、「僕」にはどうにもすることができない。
 弟は売った金を使って村の青年会にフットボールを教えることに熱中する。村で退屈していて大人たちの支配にも不満をもつ青年会は、酒をやめて、鍛錬に熱中する。よそ者である鷹四を中心にした青年会は次第に村の在り方を変えていく。雪が降り、壊れた橋が修復されないので、村は孤立する。新年になって、開く予定のないスーパーマーケットの前に村の女たちが集まる。初売りの店に青年会が乗り込み、支配人を監禁して、店の商品を勝手に配る。翌日には青年会が村人を集めて、店の商品を略奪させた。この村を追い出された朝鮮人がスーパーマーケットを作ったために、村の小売店は壊滅していて、高い商品を買わなければならない状態に不満を持っていた。それが鷹四の計略で爆発する。そして、青年会は村の産業を再編成し、スーパーマーケットを追い出し、自立した共同体に変えようと企てる。その資金源は、蔵屋敷を売って得た金だ。青年会のみならず村人全員が興奮して計画実現に向かったとき、鷹四は村の小娘を強姦し、石で殴って殺してしまうという事件を起こす。死体を発見した青年はいっせいに離反し、翌朝にでも鷹四をリンチしそうな勢いになる。鷹四は蔵屋敷にこもり、散弾銃で武装するが、兄の説得で自分が理解されていないのを知り、自殺する。
 数日してスーパーマーケットの天皇が取り巻きと乗り込んできたとき、村人は待ったく抵抗することがない。スーパーマーケットによる値上げにも唯々諾々と従うだけ。

 表層は昭和40年代初めの寒村のできごと。スーパーマーケットという村の経済を統制する力に村人の独自の想像力で、都市の反権力運動とは全く異なるやり方で起こした抵抗運動の高揚と挫折の物語。
 この出来事は村の過去に重ねられる。すなわち、タイトルにある万延元年に、この村は藩の税制に反乱を起こしたのだった。そのときに指導の役割を果たしたのが根所家の曽祖父兄弟。この人もまた抵抗運動を組織し、藩と交渉し、運動を成功に導いたのだった。しかし、運動を撤収するにあたって、弟とその取り巻きがより強い要求を求め運動を継続しようとした。藩の武士たちが村を制圧しようとしたとき、曽祖父は弟を殺したという伝承がある。兄・蜜三郎と弟・鷹四は曽祖父と弟の関係を気にせざるを得ない。そのうえ、曽祖父の弟には、殺されることなく山を越えてジョン万次郎と会い、そのあとアメリカに雄飛したという伝承もある。その資料を村の住職が発見していた。この万延元年の百年前の出来事をなぞるかのように現在の運動が起きていると思われる(ちなみに初出の1967年は明治100年を翌年に控えて、この国の近代化を振り返るキャンペーンや論争があった)。
 もうひとつ現在に重なる歴史がある。敗戦直前、村人が強制連行された朝鮮人部落を襲撃する事件があった。このときに徴兵忌避者で森に隠れ住んでいた根所家の青年(蜜三郎と鷹四の長兄)が誤って殺される。村人は死体を放置し、根所家は村八分にあう。そのうえ長兄の父は家出して中国あたりで怪しげな仕事をして客死、母は狂気に陥って死亡、白痴(ママ)の妹は自殺していた。だからこの呪われた家の末裔である蜜と鷹は、蔵屋敷から追い出されていた。
 初読の際は発表順に読んだのだが、今回の読み直しは逆順。そのせいか、この長編はデビューから当時までの集大成であり、その後の作品の出発点になっているのを確認するように読んだ。村のことにフォーカスすれば、この村は「飼育」「芽むしり仔撃ち」の舞台であり、「同時代ゲーム」や「懐かしい時への手紙」の村=国家=小宇宙サーガにつながる場所でもある。万延元年の一揆は「同時代ゲーム」でも再話され、曽祖父兄弟は亀井銘助のキャラクターに統合される。青年会など無垢で無知な若者を組織して成功しがたい改革や計画に奔走するのは、「洪水はわが魂に及び」「ピンチランナー調書」「懐かしい時への手紙」で繰り返される(たぶん「われらの時代」「日常生活の冒険」でもあったはず)。
 この小説でフォーカスされるのは「場所」のみならず、この村の伝承や習俗。とくにこの小説にしか出てこない「御霊」信仰。すなわち、村で祭儀があるとき、村人は死者の仮装をして踊り狂うのであるが、その死者は村のトリックスタースケープゴートになった人たち。村人からは恐怖と畏敬、差別と聖性を持った人たち。たとえば万延元年の指導者であり、放逐された曽祖父の弟や朝鮮人部落の死者である長兄などがそれにあたる。鷹四も死後この「御霊」の列に加わる(由来や伝承の記憶がなくなった古い御霊は忘れられる。そのようにして、「村」は、国家が要請する近代の直線的な歴史ではなく、循環する時間を生きるのである。そこに住む人々も、過去に現れた人間を記憶し、死者の強い影響を受けて自己の表現をなしていく。

  

2017/01/16 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-2 1967年
2017/01/13 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-3 1967年
2017/01/12 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-4 1967年 に続く。