odd_hatchの読書ノート

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ジャレド・ダイアモンド「鉄・病原菌・銃 下」(草思社文庫)-1 社会システムや病原菌に対する免疫、技術などの差異がどこから現れたかを検討する。第3部ではヒトの集団に起きたことに関して。

2016/03/17 ジャレド・ダイアモンド「鉄・病原菌・銃 上」(草思社文庫)
2016/03/18 ジャレド・ダイアモンド「鉄・病原菌・銃 上」(草思社文庫)-2
2016/03/21 ジャレド・ダイアモンド「鉄・病原菌・銃 上」(草思社文庫)-3 の続き。



 第3部ではヒトの集団に起きたことに関して。

 ヒトに感染する病原菌はたいてい動物由来である。家畜を飼育するような生活では、しばしば家畜から発生した病原菌に罹患することがある(現代でもニワトリ由来のインフルエンザや熱帯のサル由来のエイズは危険)。集団が大きいと、罹患者は増え致死率は高いが、世代を経るごとに次第に免疫を持つ人が増えてきて(進化論の自然淘汰)、集団全体が免疫を持つようになる。感染症や病原菌に耐性を持つ人が増えるにつれて、定住生活が容易になったり、都市が形成される。交易路の形成は新たな病原菌をもたらすが、それも免疫の獲得になる。
 食料生産と家畜は余剰食料を獲得でき、食料の備蓄ができるようになる。食料生産に携わらないヒトが集団に生まれるようになる。そこから文字システムが生まれる。文字を持たないひとたちが文字を「発明」していく過程が観察されるようになった。それはさまざまな仕組みを同時に発明しなければならない大変なことなのがわかる。文字だけでなく、単語、文法、表記、教育などをいっきに生み出さなければならない。とはいえ、文字システムを独自開発したのは少数の先駆者のみと思われ、多くの集団は既に使われている文字システムをじぶんらの言語にあうように模倣し、改変していった。日本の漢字、かな、カナを混合した仕組みはその一例。文字システムは文をすべて表記することはできなかったし、使う人も少数者(おもに集団の官僚)に限られるものだった。文字のメリットは、情報の圧縮と伝達の速さ。
 発明や技術開発も文字と同じく、大陸ごとに行われたが、発展や伝搬の速度は異なる。例えば車輪という発明があっても、ユーラシアでは即座に伝搬したが、アフリカやアメリカでは普及しなかったし、ときには捨てられた。新しい技術は独自開発されるよりも伝搬したものを採用し模倣したケースの方が多い。採用や模倣が行われるのは、移転された技術がその地において、経済性に優れる、社会的ステータスになる、既存のものとの互換性がある、メリットの見分けがつけやすいなどの条件による。車輪の例でいえば、大型動物が存在しないか家畜化されていないアフリカ、アメリカ、オーストラリアでは先住民は採用しなかった。土地が狭い島嶼や高低差が激しく峻嶮な地形のあるところでも採用されない。あるいは、保守的な生活様式のあるところでも新規な発明や技術は採用されない。14世紀までは科学技術の先進地域であった中国やアラビアは、その後保守的な政策をとるようになって技術開発や移転も行われなかった。おなじく日本の江戸時代も鎖国政策によって技術や知識の移転は制限されて停滞していた。
 このように生産を高め、感染症に免疫を持つ人々が集団で定住生活をするようになる。それは技術の開発を促したり、周辺地域の技術や知識や人を受け入れて、さらに集団を大きくしていく。人のつくった集団は規模や統制システムから、小規模血縁集団(バンド:〜80人)、部族社会(トライブ:〜数百人)、首長社会(チーフダム:〜数千人)、国家(ステート:5万人以上)に分けられ、この順に形成されていったと思われる。ステートの段階になって、都市ができ、強い集権化がおこり、官僚組織や法が整備され、文字システムが統治に使われる。そこに至って、軍隊ができ、大規模集団を遠征にだせるロジスティックスと経済基盤ができる。16世紀のアメリカで先住民とヨーロッパの武装集団が出会ったのは、部族や首長社会が国家と出会った体験であったといえる。アメリカにはインカ帝国という国家もあったが、ヨーロッパの諸国(当時、遠征ができたイギリス、フランス、オランダ、スペイン、ポルトガルスウェーデン)と比較すると、国家の機能において伍しえなかった。同じくオーストラリアやポリネシア諸島での先住民とヨーロッパの出会いもそう。
 国家の起源は必ずしも明らかではない。食料生産、分業、定住、非生産階級の成立など人口の増加により、組織運営が複雑になって、権力を集中する必要があった時に、国家が成立したのであろう。それはルソーの社会契約や20世紀の大規模土木工事の要請などでは説明不可能。首長社会から官僚組織に変貌する時期があったはず(日本では関ヶ原のあとの徳川幕府が属人的な組織を官僚制に数十年で一気に変えた。なのでほかのところでも、あるときに一瞬で起きたのかもしれないと俺は妄想)。そのときには余剰生産で生じた富を集約し再分配する仕組みもできた。あと、国家がどこかで成立すると、征服や戦争や模倣で周辺地域で国家ができることがある。アメリカの介入ののちにハワイの王朝が国家になったのが一例。イギリスの植民地であったアメリカ北部が戦争ののちに独立したというのも国家の成立の事例になる。なお、国家も盤石とは言えず、内部分裂で解体して首長社会や部族社会に戻る例もある。

  


2016/03/23 ジャレド・ダイヤモンド「鉄・病原菌・銃 下」(草思社文庫)-2 に続く。