odd_hatchの読書ノート

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ジョン・リチャード・ヒックス「経済史の理論」(講談社学術文庫)-3

2019/02/1 ジョン・リチャード・ヒックス「経済史の理論」(講談社学術文庫)-2 1969年

 続いて古代・中世から近世に入ってからの変化(なお、古代・中世・近世の区分は評者である自分の区分であって、ヒックスの区分ではないことに注意)。

農業の商業化 ・・・ 市場が扱いにくいものとして、土地と労働がある。まず、土地。農業は投下資本の回収に時間がかかり、自然環境に左右されやすいので、農業従事者は保護と紛争解決能力を外に求める。中世は領主-農民体制。土地を担保にして資金提供するところから、土地が富農などの集約していき、近世には直接農場経営や借地経営になった。近代は直接農場経営になり、領主の機能は国家が代替するようになったが、農業人口の減少は国家の圧力団体になりうるか。
(農業経済学を知らないのでこの記述はよくわからない。タイトルの「農業の商業化」の意味するところが特に。西洋では13世紀に黒死病で人口減少が起きて、土地所有の在り方などが変わったが、同じ変化は21世紀の日本でも起きそう。)


労働市場 ・・・ 労働が交易の対象になるのは、奴隷制と賃金支払制の場合。奴隷制では、その獲得と維持のコストと精細性向上で制度を維持するかどうかが判断され、生産性が向上するほどに奴隷制はコスト高になる。賃金支払制は農村の箇条人が都市に流入する過程で生まれる。産業革命以前では都市の労働需要は少なく、帰郷できないという状態のために、大半の流入者は貧困に放置され、奴隷よりも劣悪な労働環境におかれた。
(都市に流入する人たちは国内移民と見たほうがよいのかもと感想を持った。土地や労働は具体にすぎる事例なので、経済史の形式化は難しそう。)

産業革命 ・・・ 中世までの手工業者と近代以降の工業の決定的に異なるのは、生産のための固定資産(の全資産に対する比率)。生産設備が生産性を圧倒的に向上し、工業労働者という新しい階級を生んだ。この生産設備への投資、固定資本の増加が可能になるには条件があって、それはこのエントリに詳述( ジョン・リチャード・ヒックス「経済史の理論」(講談社学術文庫))。ただしイギリスの状況を見ると、賃金の上昇は生産性の向上に遅れる。その理由は農村の過剰人口がなかなか減らなかったこと。固定資産への投資は流動資産の成長率の低下になり、賃金に反映されにくかったこと。固定資産への再投資を繰り返したことにある。一方、工業により賃金支払制がそれまで期間限定雇であったが、プロレタリアートは常雇いを求めた。組合で雇用者に対抗し、雇用者は労働者の条件に無関心ではいられなくなった。
産業革命時には、機械化が人間の労働を奪うという議論と惧れがあった。実際は機械化は新たな労働を創出して、過剰労働人口を吸収できた。さて、21世紀の日本では、労働人口の減少が機械化を推進するようになり、しかし新たな労働の創出に働いていないようにみえる。あるいは、労働環境の劣悪さを放置する理由になっている。そのうち金はあってもモノやサービスを変えないという状況になりそう。あと、産業革命は科学がけん引したとされるけど、科学史や技術史では科学は産業革命とほぼ無関係。職人の技術が工業用機械を発明したとされる。18世紀前半は「科学」の専門家はまずいなかったうえ、国家や企業の支援もなかった。下記エントリー参照。)
廣重徹「科学の社会史 上」(岩波現代文庫)
廣重徹「科学の社会史 下」(岩波現代文庫)

結論 ・・・ 近世になって市場が広がるにつれ、国家がどう介入するかでいろいろなパターンがある。経済が停滞しているときに自国経済の保護に注力する例があるが、成長促進の源泉である利潤をもたらさないの保護はダメ。共産主義は極端な国家による経済保護の形態である。
(20世紀には市場と国家の在り方は多様になった。それはヤーギン/スタニスロー「市場対国家 上下」(日経ビジネス文庫)で補完するのがよいだろう。)

リカードの機械論 ・・・ 「産業革命」の章でみた生産のための固定資産への投資と労働人数の変化のシミュレーション。

 

 初読の時には感激するものの、再読して落胆することは多々あるが、これもそのひとつ。経済史を形式化する試み(著者の目論見のひとつはマルクス史的唯物論に変わる経済発展のモデルを作ることを念頭に置いたことだという)は、その構想には程遠い成果になったと思う。土地・労働・産業革命の発展史は具体にすぎる問題であって、それこそ国家の規模や権力のサイズ、法や官僚のシステムの発展段階、使用可能な技術の段階などで千差万別であって、西洋をモデルにしても他の地域に当てはまらない。書かれた1960年代は、市場経済共産主義経済と発展途上の三つにモデル化すればよかったのかもしれないが、その後の50年間の経済を見ると、資本主義や市場の発展は一律なものではなくて、隣接する国家であっても違いが現れるくらいに多様になっている。
 ヒックスの試みは満足するものではないが、経済史の形式的記述はぜひ実現してほしい。大変だと思うけど。