odd_hatchの読書ノート

エントリーは2200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。

リリアン・ヘルマン「ジュリア」(ハヤカワ文庫)

 リリアン・ヘルマン(1905-1984)の回想は「未完の女」でアウトラインが描かれている。こちらの「ジュリア」は8つのパートに分かれて、「未完の女」で触れられなかったエピソードがつづられる。「未完の女」には、ヘルマンが「ハメットの伝記を書きたい」というとハメットは「ダシールという友人が時々出てくるリリアンの自伝になるだろう」と答えたというエピソードが載っているのだが、ここでもそう。かつてあった人々をスケッチしながら、主人公は自分自身になる。

2011/12/03 リリアン・ヘルマン「眠れない時代」(サンリオSF文庫) も参考に。


ベータ ・・・ 10代のリリアンが会った印象深い女性。1880年ころにドイツに生まれて、アメリカに移住。言葉がうまくしゃべれなくて、ギャングとのつきあいができ、1940年ころに貧困のうちに死去。母とその姉妹たちはベータと折り合いが悪く、リリアンがベータとしばしば会うのがいさかいになっていく。薄幸の女性の一生からアメリカの差別が浮かび上がり、一方リリアンが最初に警察ともめごとになったり。

ウィリー ・・・ 叔父になるのかな。金持ちだったのに文無しになり、家族や親族から爪はじきにされて、貧困のうちに死亡する。10代のリリアンのみた不思議な男性像。

ジュリア ・・・ 本書中の白眉。リリアンの学生時代の友人の思い出。ジュリアは金持ちの娘であったが、不況時代に社会主義者になり、労働運動や慈善活動に傾斜していく(ヴェイユとかニザンなどに共通する1930年代のインテリや学生によく見られた生き方)。卒業後はヨーロッパに渡り、アンチファシズムの運動に参加。1937年、リリアンがパリにいたとき、ドイツ経由でモスクワに5万ドルの現金を輸送するように依頼される。名無しの人物がリリアンの手助けをして挨拶なしで消えていく。ドイツの駅に停車したときジュリアと数年ぶりの再会。依頼は達成したものの、翌年ジュリアは虐殺される。スパイ小説とみまがうような緊張の旅。その途中で何度もジュリアを回想する。「もの」が記憶をよびさます。

芝居 ・・・ 1930-52年までの記憶。芝居で成功し、ハリウッドに呼ばれ映画の脚本を書く。ハメットと出会い、共同生活に入り、映画や芝居の関係者と飲んだくれ、けんかする。登場する人物の多彩さに高名さにくらくらするおもい。リリアン・ヘルマンが脚本を書きレナード・バーンスタインが作曲したミュージカル「キャンディード(ヴォルテールのは「カンディード」で、間違えないように)」は初演で失敗し、作曲者存命中は人気が出なかった。ストーリーの複雑なのがそのせいといわれてきたが、初演の「製作」がリリアン・ヘルマンで、演出家と意見が合わずに現場は混乱していたそうだ。初演の1956年というと非米活動委員会の証言拒否(1952年)でハリウッドから放逐されていたころ。

アーサー・W・A・コーワン ・・・ 1950年代ジョー・マッカーシーの時代にハリウッドによくいたと思いそうなお調子者。

亀のこと ・・・ 晩年のダシール・ハメットについて。

ペンティメント ・・・ ハメットの死後。黒人女中ヘレンの死。


 原題は「ペンティメント」。まえがきによると、

「カンヴァスに描かれた絵の、古くなった絵具が年月のたつうちにとうめいになってくることがある。すると、絵によっては一番はじめに描かれた線が見えてくる(略)。この現象は『ペンティメント』と呼ばれる。描いた人間が元の絵を『後悔(リペント)』し、心変わりしたということである。言い換えれば、昔抱いた考えは、後に変わることがあっても、また姿を現し、再び現れてくるものだといえるかもしれない」。

 そうかもしれない。でも、この他人のスケッチから浮かび上がってくるのは、リリアン・ヘルマンその人。この自己主張が激しく、容易に人を妥協しない強烈な個性。気短で怒りっぽいのは子供の時から。そのために一人ぼっちになりがちでも苦にすることなく、からかわれればすぐさま反撃するか皮肉でこらしめるか。宗教的な人の中にありながらリベラルであったのは、独立心の強さのためかな。ハメットも似た性格であったようだが、引きこもりがちで人との付き合いを嫌った分、彼女がめだつことになったのかもしれない。それがあって同性愛や反ファシズムを芝居の主題にし、証言拒否ができ、そのあとの辛酸を乗り越えることができたのかと想像する。自分の性格とはまるで異なるので共感するのは困難だけど、彼女の生き方と主張には敬意を払う。
 「ジュリア」の緊迫感が比類ないもので抜群のでき。映画にもなってるが未見。回想がどのように撮られているかが気になる。