odd_hatchの読書ノート

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松原新一「大江健三郎の世界」(講談社)

 1967年出版なので、大江健三郎は32歳で、最新作品は「万延元年のフットボール」。21世紀に読むには取り上げている作品が初期に偏っているのが不満だし、1970年代以降の作家のモチーフには触れていない。そこは残念だが仕方がない。
 著者が大江の作品の中で重要と見たのは、「奇妙な仕事」「死者の奢り」「芽むしり仔撃ち」「「見る前に跳べ」「われらの時代」「叫び声」「セブンティーン」「政治少年死す」「性的人間」「空の怪物アグイー」「個人的な体験」「万延元年のフットボール」。「青年の汚名」「遅れてきた青年」「叫び声」「日常生活の冒険」の長編への言及はきわめて少ない。かつて初期の大江健三郎の作品を集中して読んだときに、自分に印象深かった作品とほぼ同じ選択。これは著者のみならず、ほかの評論家などの評価でもそうだろう。

 この評論では大江健三郎の小説を愚直に読む。書かれた主題や思想について、正確に読み取ろうとする。そうすると、すでに小説に書かれていることを再確認し、ピックアップし、ほかの作品との関連をつける。その作業は、ときに冗長に思える。小説に書かれていることを繰り返されてもなあ、という困惑。著者の熱意には申し訳ないが、ところどころは飛ばし読み。章題が「監禁状態」「順応主義の拒否」「性的人間」「地獄と救済の呼応」「可能性の世界」とあって、これは大江の作品の感想や文庫の解説でよく言われることだし、作家本人がエッセイに書いている。なので、とくに創意や創見を見出せなかったがいくつか。
・「見る前に跳べ」では青年を子供とみなしている。昭和30年代の青春の貧しくみじめなイメージを強調(ここは不同意)。
・「個人的な体験」では火見子が重要。彼女は罪を引き付けるマリアで、自身は地獄の世界にあって、わが身を汚して他人を救済する。ダンテの「神曲」の地獄にいる。
・「万延元年のフットボール」は、内面の地獄と生の再建を統合する行動の原理を模索すること。
 ここらは自分が読み取れなかったこと。一方で、「万延元年のフットボール」では四国の谷の村、国家に抗する歴史=神話というモチーフを著者は読み取れなかった。それは仕方がない。
 あと面白かった指摘。「我が国の作家は自己の青春を殺すことによって成熟しよう」という「退化の傾向」を示す。日本の近代作家は「否定性の闇を掘り下げることで人間の真実を表現」しようとしてきた。で、大江健三郎はこの傾向を拒否する作家であるという。
 ところどころで、別の作家や作品の言及があり、そこは飛ばした。自分は大江健三郎の小説を読むときには、似た主題や物語の別の作家の作品と対比することはない(たぶん?)。同じ作家の別の時期の作品か小説内で言及されている作品と対比することはしても。別の作家が時間や場所を異にして書かれた作品との類似や連関を、著者の意図とは別に見出すのは恣意的になるのではないか。大江の作品を語る際に、石川啄木や安倍公房を持ち出す必要はあるかしら。大江のエッセイでもこれらの作家への言及はなかったはず。大江がエッセイに書いているサルトルやメイラー、戦後文学者を取り上げるのなら納得するのだがなあ。
 調べて分かったのだが、著者は1940年生まれ。なのでこの本を書いたのは27歳のとき。ああ、作家と年齢がほぼ同じで同時代の雰囲気や同世代の気分をよく知っていたのだな。まあ、いまとなっては読むほどのことはないです。