odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

大江健三郎「見る前に跳べ」(新潮文庫) 「暗い川 重い櫂」「鳥」「喝采」閉塞状況に受け身でいた人々を行動的にしようという呼びかけ。

 エントリーのタイトルは1960年にでた短編集に倣った。ただし、読んだのは「全作品 I-2」で収録作は全作品に倣う。文庫収録情報はタイトルのあとに入れた。また「見る前に跳べ」(新潮文庫)の収録作品は「奇妙な仕事」「動物倉庫」「運搬」「鳩」「見るまえに跳べ」「鳥」「ここより他の場所」「上機嫌」「後退青年研究所」「下降生活者」ので、御参考に。「全作品 I-2」には長編「われらの時代」も並録されている。

暗い川 重い櫂 1958.07 ・・・ 文庫未収録。共同アパートにある家族と中年の女が暮らしていていざこざが絶えない。中年女がアメリカの黒人兵士をかこっているので。熱い夏休みに留守番をさせられた、家族を愛していないと意識する中学生が中年女に誘われる。飯の直前に黒人兵士とケンカした中年女は、中学生に酒(黒人兵士への支給品。ジン・ビームあたりか)を飲ませ、性交する。中学生は結婚しよう、明日海の見える町に行こうと胸を弾ませる。タイトルは黒人兵士の歌うゴスペルから。こういう少年の初体験ものはたいてい郷愁と悲恋に彩られる美しい話になるものだが、著者の場合はバカバカしさと愚かさと鬱屈が先に立つ。なにしろ中学生はすでに中年のように達観して老いている。

鳥 1958.08 ・・・ 「見るまえに跳べ」(新潮文庫)に収録。20歳の誕生日に鳥がやってきた。鳥の羽を体に感じて、「かれ」は部屋に閉じこもる。そうなったのは父の死と兄たちとの反目の結果だという。「かれ」の症例を研究したという男がやってきて、久しぶりに外にでる。青年を引きこもりにする「鳥」の象徴するものは何かというのは高校現代国語で出題されそうだな。発表年とあわせて論じるのがよい。おれは「かれ」の家族状況が「セヴンティーン」と同じであり、「かれ」の観念の鳥と「セブンティーン」の主人公の純粋天皇とに差異がほとんどないことに注目したい。

不意の唖 1958.09 ・・・ 「死者の奢り・飼育」(新潮文庫)に収録。敗戦後の村に5人の外国人兵士とひとりの日本人通訳がきた。村人たちは興味津々だが、通訳は横柄に追い払う。水浴びをする通訳の靴が亡くなり、村人が盗んだと疑う。村長は家宅捜索につきあうが、靴は見つからない。村人が不服従を示した時、通訳は外国人兵士に命じて村長を射殺してしまった。その直後からの村人の「唖」。極めて日本的な不服従のありかた。こういう不服従や抵抗はついぞこの国では見られなかったので、おとぎ話です。

喝采 1958.09 ・・・ 文庫未収録。40歳の外国人男色家と暮らしている夏男(学生)。夏休みの家事をまかせるために、中年の娼婦を呼ぶ。二人だけになった時、「女を抱けない」という夏男を誘惑して、性交する。夏男は自信をつけ、新しい生活に代えようとするが……。のちの「叫び声」の前駆。根拠のない不安が夏男を神経質にし、彼を馬鹿にする者たちに攻撃的になるが、返り討ちにあり、いっそう険悪で失意の泥沼に落ち込んでしまう。夏男を囲う外国人、夏男を誘惑し持て遊ぶ娼婦の象徴するものはなにかと現代国語で出題されそうだな。

戦いの今日 1958.09 ・・・ 「死者の奢り・飼育」(新潮文庫)に収録。朝鮮戦争の膠着期(小説の戦況を見ると1951年夏)、米軍基地前で反戦ビラをまいていた。ある娼婦に声をかけられ、19歳の兵士が脱走したがっているという。かれと弟は組織が引き受けないので、脱走兵と娼婦と一緒にかくまうことにした。脱走のうわさが消えたところで、町に出て映画を見る。そのあと脱走兵は悪酔いし、弟に「賭けろ」といった。最初は脱走兵は負け続け鳥や犬のまねをする。脱走兵が勝った時、弟をドブに蹴り落とす。4人の「共同生活」は壊れ、脱走兵は自分の所属していた小隊のあとを追う。差別やコンプレックスが若者たちに多重に押し込められていて、うっとうしいほどに嫌悪感がまとわりつく。占領下のこの国の鬱屈と無責任の現れ。

ここよりほかの場所 1959.07 ・・・ 「見るまえに跳べ」(新潮文庫)に収録。情人との関係につかれた青年がホテルの部屋を借りる。二人の会話は険悪になり、別れの寸前に。そのとき青年はホテルの前にいた老人を思い出す。「ここよりほかの場所」に飛ぶ誘惑を断ち切り、結婚―出産を思い浮かべる青年の憂鬱。彼の憂鬱はこのあとの長編(「叫び声」「日常生活の冒険」「個人的な体験」)の主人公に引き継がれ、出発してしまった誰かを待ち望む。この数年後に著者は結婚し、「空の怪物アグイー」「個人的な体験」を書くことになる。

共同生活 1959.08 ・・・ 「性的人間」(新潮文庫)に収録。4匹の猿に囲まれているという妄想に取りつかれた青年。抵抗や治療の気力をなくして、観察しているだけになっている。商社の調査室のたんたんとしたルーティンの生活も青年から変えたいという気持ちをなくす。不況のおり、3人を解雇しなければならないという会社の命令が来て、調査室の面々は動揺する。このころの著者の小説では、青年の不安は鳥や猿、虫などの具体的な事物が身体の周辺にあった。この小説ではとりわけ懇切丁寧に描写される。次第に、不安や恐怖はもっと抽象的になる。身体から遠く離れて世界全体を覆うような巨大な「無」「影」として表れるようになっていく。具体的な生物(鯨とか鳥とか)は、むしろ不安や恐怖を緩衝し、若者たちを落ち着かせるものになる。


 「死者の奢り・飼育」のころのさまざまな閉塞状況における人々(とりわけこの国)の反応を摘出しようというところから、一歩踏みでて、状況に受け身でいた人々を行動的にしよう、そのことで閉塞状況の問題がはっきりするのではないかというところに移行する。そのスローガンが「見るまえに跳べ」。
(このスローガンは「やらないで後悔するよりやって後悔する」とかいうような単純なものではないよ。もともと憂鬱気質で行動的ではなく、傍観者になりがちな知的エリートのケツを蹴っ飛ばすくらいの意。無鉄砲さへの誘いではない。)
 著者の主人公たちは落ち込みやすかったり、過度に内向的だったりするうえ、さらに共同体にはなじめない人たち。この国とか社会全体の閉塞状況に加えて、彼個人のまわりも他人にうっとうしがられていて、広い交友関係を持っていない。ほとんどの主人公は学生であるが、学生同士の友情や交友(たとえば試験勉強とかゼミとかコンパとかサークルとか政治運動とか)がほとんど登場しない。そういうことをやっている充実した学生たちの蚊帳の外で、ひとりで本を抱えて構内や酒場街や娼婦街をうろついている。ときには趣味嗜好で学生たちの反感や嫌悪を受けていたりもしている。それを克服する鍵にするのは、外国人や娼婦たちとの付き合いで、学生他の人々の階層の上下にいる人たちの世界にコミットしているという優越感。主人公の彼はうまくつきあっていこうとするが、彼のコンプレックス(不能とか田舎者とか奇矯な行動性向とか)で付き合いはうまくいかず、また一人の状態に突き返される。そういう苦悩や憂鬱がこのころの作品のモチーフ。数年後には、そのような主人公たちの性向に「性的人間」「政治的人間」「犯罪的人間」を見出すのだが、ここではまだそこまでいっていない。
 不思議なのは、主人公たちは周囲の学生(すなわち著者の想定する読者であり、現実の読者)よりも優雅で裕福な暮らしをしている。水洗便所やシャワーがあったり、輸入ウィスキーを飲んだり、外車を使えたり、輸入図書を購入したり。経済的な理由はわからないけど、このちょっと上の暮らしをさせることで、同時の学生のうっとうしさ(貧乏とか政治的議論とか)を逃れることができて、抽象的な物語をつくれたのだろう。著者の小説の同時代での新しさのひとつ。
(同じころに石原裕次郎とか小林旭とかナントカとかの青年俳優がちょっと上の暮らしの中で、奔放で無責任な青春を演じて人気を博していたのを思い出す。)