大岡昇平「俘虜記」(新潮文庫)や「野火」、野間宏「真空地帯」(新潮文庫)を読むと、日本軍は腐敗が激しい、隊内暴力が蔓延している、兵隊を粗末に扱うなど、日本軍のだめなところがたくさん目に付く。これまではおそらく軍全体の問題ではあるのだろうが、それより運営や指揮能力などの問題であるのだろうと軽視してきた。実際、本書によると日本軍の研究は歴史や政治、経済からのアプローチがほとんどで、軍隊という共同体研究や戦史などからはほとんど調べられなかったという(というかそれは自衛隊で行われて民間では手が付けられていなかった)。その際も、軍隊の上層部の研究が主であった。それでは兵士の実態がわからない。
そこで本書は、兵士の目線、兵士の立ち位置で死の現場を見る。すなわち、1931年から1945年までの15年戦争で軍人230万人、民間人80万人が死んだと推定されるが、兵士の死者の大半は戦病死ことに餓死であった。このような死を強要される軍隊は他には考えにくい。なぜ、そうなったかを検証しなければならない。日本の自衛隊や入管、警察(特に公安)は軍隊除隊者を採用した経緯があって、組織の運用に旧軍の影響があるから。
著者は15年戦争を以下のように区分する。
1932年 ~1942年5月: 攻勢期
1942年6月~1943年2月: 対峙期(主にはオーストラリア軍と交戦)
1943年3月~1944年7月: 守勢期(アメリカ軍稼働)
1944年8月~1945年8月: 絶望的抗戦期
日本軍の死者は絶望的抗戦期に集中している。その時期において、病死と餓死が大量に発生した。それ以外にも、自殺(自傷者)、海没死(いわゆる水死に海中爆発によるショック死)、特攻死、自国兵士殺害などの戦傷が原因ではない死者が非常に(異常に)増える。死に至らなくても、さまざまな疾病(虫歯、歯槽膿漏、水虫、過労、うつなど)で健康には程遠く(なにしろ最前線では歯を磨くことも靴を脱ぐこともできない)、自殺や自傷がおこり、上官への不服従や反抗が頻繁に起こり、ときに、脱走して敵軍に降伏することもよくあった。よく知られているように、古参兵士による組織的な新兵・下級兵への暴力があり、組織そのものが腐っていたのであった。
その理由を本書はさまざまにあげている。俺が注目するのは、軍隊上層部や政府にあっては多元的分権的な政治システムで、他部署との協力体制ができず決定が遅れる無責任体制だったこと。なので、下からの提案は上(に行く前のちょっと上)で握りつぶされる。多元的分権的政治システムにしたのは明治憲法を起草した当時の権力者の思惑。安定した政権与党を作れなかったので、反対野党が政権をとったときに権力が集中するのを恐れたためだったらしい。改善や改革が常に必要な組織で、それができないようなシステムができていた。さらに、そのような堕落と退廃が始まったのは1918年のシベリア出兵。そのときに軍隊の大量増員が起きた。その結果、それまでは不適格であった者を大量に採用し、体格・体力・知能などに劣る兵士が増えた。現場兵士を指導する下士官が不足し指導能力不足が起きた。これらが重なって、人命を軽視し、人権を無視し、味方にも敵にも攻撃的で侮蔑的な集団ができた。その結果が、国外で2000万人以上の死者をだし、国内でも300万人を死なせ、その数倍かそれ以上の被害者をだすことになった。
これらの情報は軍隊や上層部の動きからは見えてこない。兵士の語る言葉やテキストの中に入っている。兵士の語る言葉はこれまで様々に出版されているのだが、膨大に過ぎる。可能であれば、電子テキストにして検索を可能にすることが望ましい。そうすると本書のように、歯科治療、軍靴の品質、覚せい剤の蔓延のような小さいが重大な問題が明らかになる。これまで小説や記録を読んで不審に思えた組織のダメさがたくさんの証言を基にして社会学的な調査の対象になることを望む。