odd_hatchの読書ノート

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大江健三郎「死者の奢り・飼育」(新潮文庫) 「奇妙な仕事」「偽証の時」 閉じられた状態にある人間を造りあげられた言葉や慣用句をできるだけもちいないで書く。

 エントリーのタイトルは1960年にでた短編集に倣った。ただし、読んだのは「全作品 I-1」で収録作は全作品に倣う。文庫収録情報はタイトルのあとに入れた。また「死者の奢り・飼育」(新潮文庫)の収録作品は「死者の奢り」「他人の足」「飼育」「人間の羊」「不意の唖」「戦いの今日」なので、御参考に。「全作品 I-1」には長編「芽むしり仔撃ち」も並録されている。

奇妙な仕事 1957.05 ・・・ 「見るまえに跳べ」(新潮文庫)に収録。至急に金の欲しい仏文科の学生が医学部のアルバイトに応じる。150匹の実験用犬が不要になったので、撲殺することになった。「僕」と女子大生と私大生の三人が仕事をする。初日、50匹を処分したところで、警察がやってきた。「奇妙なアルバイト」もの。骨折り損のくたびれ儲けの予感。私大生の「いらいらして不機嫌」なところに感情移入しにくいが、犬の鳴き声・水洗いした毛皮・夕焼けなどの描写が印象的。幼稚で硬質な観念を振り回さないで、「問題」を象徴化しているところがよい。荒正人東京大学新聞からよくこの小説を取り上げたものだ。その慧眼と勉強熱心さにも驚き(筒井康隆「大いなる助走」によると、当時の評論家は同人誌にも目を配り、新しい才能を取り上げる事に熱心だったという。その例のひとつ。)

死者の奢り 1957.08 ・・・ 「死者の奢り・飼育」(新潮文庫)に収録。至急に金の欲しい仏文科の学生が医学部のアルバイトに応じる。古い水槽にある戦前からもある死体を新しい水槽に移すのだ。一日がかりでようやく終えようというとき、医学部の助教授と水槽の管理人が口論している。「奇妙なアルバイト」もの。骨折り損のくたびれ儲け。なんだけど、戦後12年目で死体は隠蔽されるようになり、見えなくなり触れられなくなる。なので、そこに在る死体が「もの」であり、その「もの」性のゆえに現在の生きている人との差異をなくすように思う。たとえば女子学生の妊娠した腹にいる胎児であり、運び込まれたばかりの12歳の少女の死体であり、30年も死体を見ている管理人(子供が生まれたときに運ばれた死体がまだ水槽に残っていて変化していないという述懐が印象的)。あとは医学部の教授が「僕」に投げつける「こんな仕事をして恥ずかしくないのか、君たちの世代には誇りの感情がないのか」という侮蔑。そして勉強は一番する方だが「希望を持っていない」という「僕」のシニシズム。たった三人の登場人物のそれぞれに物語があり、上のような問題が重層しており、見事な傑作。22歳の作品とは思えない。
(なお、2014年に自選短篇 (岩波文庫)を編んだ際に、初期短編には手が加えられたという。「私学生」が「大学院生」になるなど。自分が読んだのはそれ以前のものなので、異同には触れない。)

他人の足 1957.08 ・・・ 「死者の奢り・飼育」(新潮文庫)に収録。脊椎カリエス患者の未成年病棟。回復の見込みのない患者と看護婦とのなれ合いな関係。そこに足の悪くなった大学生が入棟する。彼は沈滞した病棟を変革しようと、反戦運動に誘う。新聞社への投稿は大きな記事になり、未成年の患者は勇気つけられる。パーティをすることになり、学生を待っていると、車椅子と使わず歩いて中に入ってきた。これは患者である「僕」のほうにも、革命を起こそうとする「学生」のほうにもよくないところがあって、好きな作品ではない。

偽証の時 1957.10 ・・・ 文庫未収録。T大学の歴史研究会が偽学生を監禁した。ある朝、偽学生は逃亡し、「私」は歴研のリーダーと証拠を燃やす。それを多数の学生は見ていた。偽学生は神経衰弱にかかり、警察に通報して、リーダーが逮捕される。大学にも現場検証がはいったが、営繕課は現場を改修して現場検証を妨害し、進歩派の助教授は監禁はなかったと偽証する。保釈後、偽学生は母に連れられて学生の前に来てウソの通報で迷惑をかけたと謝罪する。「私」はいらだたしく「監禁はあった」と叫ぶが、冗談にされてしまう。人権の擁護よりも組織の利害が優先され、組織の好戦メンバーが進んで偽証に参加していく。戦後12年目の民主主義が、個人の自由や権利の意識は浸透せず、日本的なシステムに負けてしまう。そういう閉鎖空間のおかしな、ダメさ。大島渚「日本の夜と霧」1960年に極めて似ている物語。珍しく主人公の「私」は19歳の女子学生。

飼育 1958.01 ・・・ 「死者の奢り・飼育」(新潮文庫)に収録。昭和20年の日本のどこかの山の中の村。敵の飛行機が墜落して、黒い大男を山狩りで見つけた。町は責任をとろうとせず、黒人兵士を村は地下倉で「飼う」ことにする。子供らは終日男のそばを離れず、ときに一緒に笑う。美しい日々は町の書記がもたらした捕虜の移動命令で終わる。気付いた捕虜は「僕」を人質にして立てこもる。父は息子の左手といっしょに黒人兵士の頭蓋を砕く。無知と偏見のもたらす差別意識の犯罪、責任をとろうとしないこの国固有のシステムの重大な欠陥などが大状況と中状況から見出せる主題。あとは軍国少年の「僕」が認識する「伝説のように壮大でぎこちなくなった戦争」へのあこがれと、事件が終わった後の「僕はもう子供ではない」という苦い認識の注目。のちの作品で繰り返される主題の萌芽。もうひとつは主人公の語り手に「父」がいること。しかも村でリーダーシップをとり、影響力を持ち、責任をとろうとする強い父権者である存在になっている。おそらくそのような強い父が登場するのはこの一編のみ。こういう強い「父」はのちの作品では語り手に敵対する存在として現れるのだ。同年の芥川賞受賞作。デビューから1年もたたずに、わずか5作目で日本文学史に残る傑作を22歳で書いたのだと改めて確認すると、すごいなあと口をあんぐりあけるしかない。いやあ、すごいなあ。

人間の羊 1958.02 ・・・ 「死者の奢り・飼育」(新潮文庫)に収録。占領下の日本。バスに乗っていたら、娼婦がバランスを崩して倒れてしまった。「僕」が振りほどいたせいに見えて、酔っぱらった外国兵は「僕」の尻をめくり「羊撃ち 羊撃ち バンバン」と歌って嘲る。外国兵がいなくなってから、「羊」にならなかった教師他が口々に非難し、警察に届けようという。口ごもる「羊」たちに教師らはしつこく被害届を出すようつきまとう。21世紀の言葉では「セカンドレイプ」ですな。犯罪の現場では行動せず、被害者に対して論理や倫理を要求するというやつ。小説とは別にこの種のくだらない連中が21世紀にやっているあれこれを思い出して、読むのを途中でやめました。著者にはごめんなさい。

運搬 1958.02 ・・・ 「見るまえに跳べ」(新潮文庫)に収録。非合法で子牛の肉を自転車で運ぶことになった。屠殺したばかりの肉を自転車の背にくくり、道を移動する。途中で、警察の職質、パンク、降雪があって、しんどい状況。ついに自転車のタイヤがとられて坂で転倒。四苦八苦するうち野犬の群れに囲まれ、出口なし(牛の肉や血の匂いが服にしみついて狙われている)。「奇妙なアルバイト」もの。骨折り損のくたびれ儲け。

鳩 1958.06 ・・・ 「見るまえに跳べ」(新潮文庫)に収録。平均年齢14歳の少年院。動物の死骸を見つけては壁に掲げるという遊びが流行っていた。参加しない少数者であった「僕」は嘲られたことの意趣返しで、深夜、ひそかにでて隣接する鳩舎に忍び込む。そこには院長の養子の混血の少年がいた。「僕」は彼を追い詰める。有刺鉄線の壁から混血は転落し、追いかけた「僕」はドブに落ちて高熱を出す。回復したとき「僕」は英雄になっていたが、混血の復讐を恐怖とともに期待する。ようやくそのときが来たとき、混血は鳩を盗み出したことを話さないでくれと哀願する。足の骨折で不具になった混血を見て、「僕」はある決意をする。「僕」もまた鳩を盗むことをもくろんでいたのだが、それが達成できず、周囲の誤解によって英雄に祭り上げられるのを居心地よく感じない。自己と他人の評価が一致せず、自分の行動の失敗(およびそれによる他者への過失致傷)から生じる自己懲罰、自己破滅への誘惑。著者30代の小説の主人公たちの若いころにあたる。

見る前に跳べ 1958.06 ・・・ 「見るまえに跳べ」(新潮文庫)に収録。大学入学後の政治運動の挫折した「僕」は15歳年上の外国人相手の娼婦と同棲している。ナイトクラブで見た歌手が「僕」の家庭教師の教え子になり、雨に打たれるというハプニングのあと、二人は寝て、妊娠したと打ち明けられる。「僕」は新しい生活を送ることにするが、教え子は結核にかかっていて、中絶せざるを得ない。若者の恋は終了。「僕」は娼婦の元に戻る。「われらの時代」の「南靖男」のできごとが反転して起きたような小説。娼婦の相手の外国人記者が「日本人はおとなしい国民」と軽蔑し、だれも飛ばないといったのがタイトルの由来(もとはオーデンだったはず)。「僕」には「遅れてきた」意識はなく、たんに日常や平穏から脱出したいとぼんやりを思っていて、最後に「見る前に跳」ぶ決意をする。それが成功するのか、それがどこまでの決意であるのかはあいまい。知的エリートの怠惰や退廃は当時の日本を覆っていた駄目さの現れ。


 デビュー当時の短編をまとめて収録。「奇妙な仕事」が東京大学新聞に掲載されたのが最初とされるが、その原型は戯曲「動物倉庫」だという。これは出版された形跡がない。
 エッセイ「徒弟修業中の作家@厳粛な綱渡り」によると、「基本方針は、閉じられた状態にある人間を書くということと、すでに造りあげられた言葉や慣用句をできるだけもちいないで書くということ、自分自身のリアリスチク(ママ)な眼を訓練するためにも一人称で、かつ感覚的な手法を強調するということだった」という(ほかにも実作の裏話があるので、このエッセイはさがしてみたらいかが)。著者はすでにデビューの時から、「小説の方法」に自覚的であったのにおどろく。そのうえで、物語の面白さを持っているのだから、なんともすごい才能だった。
 「閉ざされた状態にある人間を書く」というのは、上のサマリーを見れば明らか。少年院、未成年病院、戦時下の村、学生寮などで通常起こりえない事件を書くのは、スキャンダラスな行為。それも自覚的なはず。重要なのは、慣用句をできるだけ使わないというところで、のちに著者は日本語の標準語を外国語のように覚えたという。まあ村の言葉と標準語があまりに乖離していて、とくに喋りの時にうまく使いこなせなくて、口ごもりになり、どもることもしばしばだったとか。フランス語と同じように本を読んだり翻訳したりして習得したので、著者の標準語も知的な転換作業が見出されるような、ふしぎな言葉の使い方になっている。書くことで作られた文体なので、とても技巧的・装飾的・人工的になるのだろう。これは明治半ば(19世紀終わり)の作家が新しい書き言葉を翻訳を通じて獲得していった(とくに二葉亭四迷森鴎外夏目漱石か)のと対応関係にあって、戦後文学の書き手の多くが外国語文学を専攻する大学生の出身で、多くが翻訳もできたという系譜にあるもの。1950年代にも文体革命がこの国でも進行していて、その一人であった。もしかしたら、この「翻訳文」の後ろ側には母語である四国の村の言葉で書かれた(はずの)もうひとつの小説があったのかもしれない。
 あと、「リアリスチク(ママ)な眼を訓練するためにも一人称」のところで、極度に主観的な表現になっているのが面白い。著者の「私」は私立探偵のような関係者の利害に関与しないでいることはしないし、できないし、むしろ自分の利害のことにだけ偏執する。そこで自分の立ち位置を守ったり、ときに自己懲罰的になったりで、リアルを落ち着いてみることは無理。自分の心理や衝動を分析することにはたけているのだけど。主人公の視点は著者の状況を反映したのか、知的エリート、インテリのもの。それは上の分析にはたけていても、他人の批判を極度に恐れ、嘲笑と恥辱の極端を行き来するし、行動にはなかなかうつらないし、いったん決めたことには意固地になるし、弱みを指摘されると腰が砕けて粘らないし。そういう引きこもりと軽挙妄動を行き来するやっかいな人物。ここの時代の主人公は物語のクライマックスを越えると、一様に「僕は子供ではない」という。はた目には、彼が大人として他者への責任やアイデンティティの安定を獲得するわけではないので、危なっかしくてみていられず、安直に思えてしまう。そのところは克服しがたく、40歳までの小説では「猶予」「モラトリアム」にある主人公を描き続けた。