odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

坂口安吾「復員殺人事件」(青空文庫)

 40年前には角川文庫で出ていたが、ずっと品切れ絶版のままなので、今回は青空文庫で読んだ。昭和24-25年にかけて雑誌に連載。途中には「読者への挑戦」が挿入され、正解者には総額3万円(現在価値にするといったいいくらになるのか?)を作者が提供するといっている。
 心意気やよし、と言いたいところだが、中身は何とも秘妙。
 「不連続殺人事件」で名をあげた巨勢博士、銀座に事務所をかまえる。そこに小田原の家族から捜査の依頼。戦争に行っていた次男が帰ってきたが戦傷で本人かどうか確認できないのと、戦中の昭和17年におきた殺人事件の謎をときたいというもの。この倉田家、戦前は何か(忘れた)の名家で、戦後は手広く商売を広げる。大家族のこととて、奇怪な人物ばかり。父の由之はフョードル・カラマーゾフのような好色の人物。家を大きくしたが、長男の嫁を妾にしている。長男は神経質でヒステリックな人物。雇用人といさかいを起こした日に、その子供もろとも絞殺される。次男・安彦は長男殺人の主犯と目された人物。出征のまえに遺書代わりのメモを残し、そこにはマタイ伝8章24節「人を見る、それは樹の如きものの歩くが見ゆ」とある。戦後帰還したが、右腕・左足・顎を失い、両目を失明。出征前に残した手形と一致したので、とりあえず部屋を与えている(引きこもってしまったので、彼の扱いはぞんざい。横溝正史「犬神家の一族」1950年のほうがずっとうまい)。三男はプロボクサー。長女は番頭格と結婚。次女は独り者。戦前に朝鮮に行った男は龍教の信者となり、すっからかんで帰還した後は由之に頼み込んで下男となっている。その息子は漁師をしているが、どうやら由之の命を受けて密輸業に関与しているらしい。それは番頭も同様。
 そういう一家で、今度は長女が射殺、次男が絞殺。当主、次女らが睡眠薬を盛られて熟睡中。次男を絞めたのは次女の腰ひも。ピストルの行方はわからない。奇怪な事件は続く。下男の息子が夜の漁にでると、途中で機関砲(!)で撃たれる。そのころには「第三国人(ママ)」の大量密入国が続いていて、どうやら下男が渡鮮中に信者になった龍教のメンバーが小田原にいるとされる大孫の指示によるものらしい。巨勢博士はピストルの行方にご執心。他の捜査ははかばかしくない。そこに、三男のプロボクサーがフグ中毒で死亡した。原稿はここでおしまい。全体の半分くらいまで進んだところだろうか。
 なんじゃこりゃー。「不連続殺人事件」でこの国の探偵小説を数歩前に進めたのに、次作では先祖帰り。それも稚拙な方向に。描き分けられていない人物、捜査と尋問ばかりで進まないストーリー、盛り込み過ぎた伏線(父と長男のいさかい、マタイ伝の引用、龍教と密入国)、使い古された趣向(事件発生時に睡眠役で眠らされた複数の容疑者、本人かニセモノかわからない謎の人物)、個性のない探偵。作中にヴァン・ダイン「甲虫殺人事件」が引用され、その趣向に関する議論が出てくるから、その線に沿ったものになるのだろうか(この伏線も回収できたのかねえ)。どうにも読み進めるのが苦痛。こういうのがスタンダードな探偵小説であった時代に、ポケミスなどで海外の最新作が入ってくれば、読者(それもインテリな人や新しもの好きな人)はそっちに流れるわ。
 さて、この中絶した長編はのちに高木彬光が後をつけて完結した。そのときの事情が「不連続殺人事件」(角川文庫)の解説にある。

「犯人とか、メイン・トリックのねらいその他は故人が未亡人に打ちあけているというお話だったので、私は割合気がるにこの難役をひきうけたのだが(略)、私は未亡人から、その『秘密』を聞かされて愕然とした。/これでは『不連続』の作者の面目などはどこにもない。この傑作にくらべたら数段落ちる凡作、失敗作になるではないか!(P284)」

「私はこの『復員』の完結にはたいへんな苦労をした。雑誌には『樹のごときもの歩く』と改題されて発表されたのだが、それこそ樹に竹をついだような印象を与えないように、いわゆる『安吾調』の文章を駆使して、こういう企画には必然的にともなって来る違和感をいくらかでも減少しようとしたのである。(略)坂口氏自身が最後まで書き続けられたら、現存の作品をはるかに上まわる傑作になったろうが、それでもこの『不連続』にはおよばなかったろうと私はいまでも思っている。……(P285)」

 やっぱりなあ。結末をつけるのに苦労しただろうなあ。まあ、稀覯本を無理して入手するほどの情熱はこの作品にはもてないから、高木の仕事を確認するつもりにはなれない。

<追記>
 2019/8/6に河出文庫で復刊。高木彬光の解決編や上に引用した楽屋の打ち明け話も収録されているらしい。