odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

筒井康隆「エディプスの恋人」(新潮文庫)

2017/11/10 筒井康隆「家族八景」(新潮文庫) 1972年
2017/10/27 筒井康隆「七瀬ふたたび」(新潮文庫) 1975年


 火田七瀬を主人公にする小説は「家族八景」「七瀬ふたたび」がさきにあって、これが最後。初読はこの順だったが、今回は逆に読んでいる。なので「七瀬ふたたび」のラストで何か起きたらしいことが「エディプスの恋人」の最後に書かれるが、まったく記憶にない。なので、他の方はちゃんと発表順に読むことをお薦め。
 さて、火田七瀬は高校の教務課に勤めている。その高校に通学している「彼」(かっこは小説内の表記のまま)に強烈に魅かれる。野球のボールが「彼」にぶつかりそうになった時突然破裂したのをみた。「彼」の過去を調べると、「彼」をいじめたり喧嘩を吹っ掛けたものは傷をおったり、「彼」に恐怖を感じていたりする。それは「彼」を防御するための強い力が働いているようだが、「彼」自身がコントロールしているわけではないようだ。それは七瀬が「彼」を探るにつれ、「意志」(同じく小説内の表記のまま)が周囲を囲んでいるように思えるから。
 全体は4部構成。第1部は調査。七瀬は「彼」の過去を探る。とりたてて優れていない凡庸な絵、しかし見たものに言葉にしえない「感動」を与える画家が「彼」の父であり、その母は「彼」が幼児のときに突然行方不明になったのを知る。第2部は恋愛。以上の過去が分かったあと、七瀬は「彼」に突然恋する。それは「彼」も同様。純粋な恋愛体験があるとすれば、この二人の関係がまさにそうである、としか言いえないような息苦しくも美しい恋愛が続く。ふと七瀬が「彼」の父に会いたいというと、「彼」も賛同する。第3部は告白。凡庸な父の語る超歴史的・宇宙的な過去。そこで生成した宇宙的意志とそれに選ばれた存在。母の失踪によって「彼」に生まれたエディプス・コンプレックス。第4部は「エディプスの恋人」。宇宙的意志への従順、自己存在への懐疑。
 七瀬はテレパス能力をもっていて、他人の思考・意識を読むことができる。ことばに発せられない思考や意識は断片的で、頻繁に連想飛躍し、同時に複数現れ、視覚や聴覚で表現されたりもする(この表現のためにタイポグラフィーを使っているのが効果的。まだワープロが販売されていない時代。原稿用紙で表現するのは大変だったろうなあ。ちなみにワープロタイポグラフィーを使うのは1980年代になって盛んになった。著者の他、都筑道夫井上ひさし辻真先など)。七瀬は他人の思考や意識を自分の意志で読んだり、遮断したりする。この小説は三人称で書かれるが、視点は七瀬に限定されている。その七瀬が出会う他人の意識や思考を読み取り、表記する。ということはこの小説では七瀬は「神の視点」を持っていることになる。
 しかし、その七瀬は、次第に明らかになる「意志」によって行動をコントロールされている、むしろ存在していることすらも「意志」のコントロール下にあるのではないかと懐疑する。その結果急速に周囲の現実感は失われ、自分の存在の意味や役割にも自信が持てなくなる。
 そこまできて、あっと思ったのは、七瀬の懐疑こそ、のちの「虚人たち」の不安や懐疑そのものではないか。七瀬は宇宙的な意志という小説内の虚構の中での最高権力者によってコントコールされることに不安や懐疑するのであるが、「虚人たち」は小説の外にいる作者によってコントロールされることに不安や懐疑を持つのである。七瀬はそれでもなお「意志」の要求にさからえずに、役割を務め演技を継続することを決意・余儀なくされるが、「虚人たち」の主人公に作者は役割や演技を要求しないのであって、人物たちはとまどう。とまあそんな具合に、この小説が終わったところから「虚人たち」が始まり、ついでにサルトルの「小説に神の視点は存在しない」テーゼを反証してもいる。そのうえで極上のエンターテインメントでもあるというこの小説に、賛辞を贈る以外のことができない。すごい。