odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

深水黎一郎「言霊たちの反乱」(講談社文庫) 言語遊戯を全編に展開する知力と体力に感嘆。マジョリティの差別感や他者への暴力容認に鼻白む。

 言葉はたいていは発話者がコントロールしていて、言語ゲームの参加者の中では意味と記号が共有されている。ことになっているけれども、ときに、意味と記号がずれてしまって違和感を持つことがある。ホフマンスタール「チャンドス卿の手紙」では、この違和感から抜け出せないために書けなくなった人がいた。このような言葉の意味と記号がずれてしまい、言語ゲームの参加者と共有できないことにこだわった作家に筒井康隆がいる。それこそ初期のころからずっとこのテーマを追いかけてきた。解説にあるようにとりわけ「関節話法」が白眉。関節を鳴らす音が言語であり、人間の肉体の限界や制約で意味が霧消していく。本人必死、周囲は爆笑、というもの。

 その言語遊戯を追いかける作家には、清水義範田中啓文(「銀河帝国の弘法も筆の誤り」ハヤカワ文庫)らがいて、ここに深水黎一郎がいる。もとは2012年「言霊たちの夜」で単行本になっていたのを2015年に文庫化するときに改題。内容は

漢は黙って勘違い ・・・ 発話された同じ音から別のことばを連想して、会話がめちゃくちゃ。誤解が発展。

ビバ日本語! ・・・ 日本語のめんどうくささを外国人に伝える(これは逆に俺ら日本人が自覚なくいい加減な英語をしゃべっていることを思い起こさせるな)。参考は、筒井康隆「日本地球ことば教える学部」

鬼八先生のワープロ ・・・ 官能小説、SM小説に特化した単語登録を行ったワープロで文芸批評を書いたら。明朝体、教科書体、ゴシック体のタイポグラフィーも愉快。

情緒過多涙腺刺激性言語免疫不全症候群 ・・・ マスコミ、メディアが作る「情緒過多涙腺刺激性言語」に強いアレルギーを持っていたら。参考は、筒井康隆「カメロイド文部省」

 読んでいて感心したのは、言語遊戯を全編に展開する知力と(執筆の)体力。「漢は黙って勘違い」では同音異義語を駆使する。ときにどのように読み間違えたのかわからないところもあって首をひねらなければならない。「鬼八先生のワープロ」では、退屈でへたくそな文芸批評文がSM小説の語彙に返還されて、全編が70-80年代のロマンポルノや洋物ポルノの和名タイトルのようになる(そのさいに「花窗玻璃 天使たちの殺意」で使われた漢字の造語や意味喚起力が効果を発する)。このようなパロディは書き手の知識や技術が要求されるが(というか俺は考え続ける気力がない)、よく最後まで貫徹しました。
 さらに、それぞれは独立した短編群だけど、物語を緩くつなぐ「事件」にまとまっていくところも。読者の人生もミステリのように大きな事件を俯瞰できることはまずなくて、「藪の中」みたいに断片的なかかわりにあるのだよな、そこをうまく書いているなとも。
 ただ、気になるのがいくつか。どの小説でも主人公=語り手は自分の誤解や偏見がないと思っていて、自分の解釈が正しいことを疑わない。なので、彼と意思の疎通ができなくなる他者に暴力的になる。最初は暴言・誹謗するところからで、詰問になり、しまいには手を出す。感情が高ぶり、行動がエスカレートしていき、読者の日常から離れていくのは、パロディやギャグ小説の常套的な技術。でも、それによって日本人の男というもっとも力をもっているマジョリティの差別感や蔑視、浄化扇動がでるようになり、他者への暴力が容認されるのは読んでいてつらい。それは筒井康隆の小説でも同様。

 あと、「言霊」は目出度いことを声に発することで、将来実現することを期待する行為のこと。通常はハレの祭の時の口上や万歳(まんざい)のことをいう。神道では祝詞は言い間違えを許さない。日常言語は言霊の対象外。安易に「言霊」概念を拡張すると、「水からの伝言」みたいなオカルトやスピリチュアリズムにまきこまれてしまうよ。

 

深水黎一郎「最後のトリック」(河出文庫)→ https://amzn.to/4cX0SiH
深水黎一郎「トスカの接吻 オペラ・ミステリオーザ」(講談社文庫)→ https://amzn.to/3U4DGGm
深水黎一郎「花窗玻璃 天使たちの殺意」(河出文庫)→ https://amzn.to/4cY2etw
深水黎一郎「ジークフリートの剣」(講談社文庫)→ https://amzn.to/3U4q3qK
深水黎一郎「言霊たちの反乱」(講談社文庫)→ https://amzn.to/3U2Q6yF
深水黎一郎「ミステリー・アリーナ」(講談社文庫)→ https://amzn.to/4dbefMm