odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

柄谷行人「NAM原理」(太田出版)

 2000年6月、大阪で、NAM(New Associationist Movement)を結成。そのマニフェストにあたる文書。

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第一部 NAMの原理 ・・・ 原理は「倫理21」「可能なるコミュニズム」で書かれているので繰り返さない。およそ70ページの「原理」でその大半が歴史の振り返りと社会主義文献の読み直しに費やされる。これを読むのは大変。加えてヴィジョンとミッションのあとに、具体的な中長期計画と短期的な達成目標が書かれていない。こうしたいという絵はあるが、こうするという道具がない。いくつかのカテゴリーに属して何をするのかが降りてこないのは運動や事業ではありえないなあ。
 インターネットはあっても、自作のHPが情報発信であり、コメント機能を持つブログやSNSができるのはこの10年後。そのネット黎明期の運動論。ゼロ年代の運動の特徴は、木下ちがやポピュリズムと「民意」の政治学 3・11以後の民主主義」(大月書店)、笠井潔/野間易通「3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs」(集英社新書)高橋源一郎×SEALDs「民主主義ってなんだ?」(河出書房新社)、野間易通「実録・レイシストをしばき隊」(河出書房新社)などに書かれているが、311以後の運動との違いが如実にわかるところを抜き出して、寸評してみる。

「(1968年以降の学生、女性、マイノリティ、消劉者などの反システム運動は)中央権力を斥けるあまりに、つねに離散的で断片的でしかありえなかった。それでは国家と資本に対する有効な対抗をなしえない。それらの運動のたんなる寄り集まりが資本と国家への対抗運動になることはありえない(略)そうした多様で分散的な運動をいかに統合するかということである。New Associationist Movementは、そのような課題に挑戦する。(P16)」

→ その離散的で断片的な運動が国家との対抗運動になって、NAMより長く続いている。その離散的で断片的な運動は統合する意図をもっていない。どころか組織化すらされず、流動的な個人の集まりのままである。

「四)NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは、選挙のみならず、くじ引きを導入する(P18)」

→ 離散的で断片的な運動に参加する個人は当然、組織とは関係しない。いくつかの組織ができたが、とくにSEALDsが典型的だがこのグループはついに選挙もくじ引きも行わなかった。メンバーはSNS(LINE)のグループであるだけで、10のカテゴリーのグループに参加する。そのグループの「副代表」はいても、ついに「代表」をもたず、その副代表ですら実務のまとめ役でしかなかった。

「一定数以上のメンバーがいれば、NAMと名乗ることができる(略)各人は必ず、少なくとも三つのカテゴリーに所属することが必要である(P20)。地域はそれぞれ事務局をもち、代表者をもつ。むろん、地域系だけでなく、関心系、階屑系もまた同様である(P23)」

→ 一定以上のメンバーどころか個人が「カウンター」「あざらし」をなのり、だれがどこにいて、どの組織に属しているかは誰にもわからない。なにかのイシューを行うもの(デモをするとか冊子を作るとか)がドネーション(カンパ)を募るが、会費を支払うことはない。cracが服やCDを販売して、その利益を運動に回しているのが面白い、新しい試み。

togetter.com


 運動に参加しようとしても、フルタイムで関与できるものもいれば、週に1時間を捻出するのがやっとというものもいる。関与のしかたが多様なのに、一律会員にするというのは難しい。また本部の会費は必須であるが、地方や職能別の組織には規定がないので、別途会費や運営費を出すことになる(地域通貨で支払うのかな?)。これも話は逆であると思う。自分の関与する運動に対して費用負担をするのは当然であるが、本部まで支援するべきか。10年代の「カウンター」「あざらし」、あるいはSEALDsでは本部費用は関係者の自費でイベントごとにドネーション(カンパ)を募っていた。NAMが会員に要求すること(関与の仕方や費用負担)は旧来の運動をそのまま引き継いでいる。
 たしか「倫理21」でアソシーエートの運動は新旧左翼や労働組合の方法をとらないということだったが、ネットのない時代に情報取得にタイムラグがあると、組織を作ることになってしまい、内と外をわける仕組みができてしまう。一方で、組合のような生産と消費を行う場では組織化が必要になる。事業では何かを決めるときがあり、対話と合議では対応できない時がある(だれかがえいやっと決めなければならないときがある)。理念として選挙とくじ引き、どこかのカテゴリーに所属というのはわかるが、具体の場におろすと、方法論は未熟で不徹底。このマニフェストを読んでも、うーんと頭を抱えてしまう。

 

第二部結成総会報告
「NAM結成のために」柄谷行人 ・・・ 

「アソシエーショニズムはアナーキズムにほかならない(P84)」「マルクスは国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって代わるべきだといっているのです。そのとき、資本(賃労働)と政治的国家は揚棄されるだろう、と(P85)」「資本制企業に対する闘争(略)、労働運動やストライキではなく、ボイコットを中心にすべきだと考えます。それはいわば消費者Ⅱ市民の運動です(P92)「買うな」ということ、あるいは「売るな」ということ(P93)」「NAMに入会すればそれでいいということで、完結してしまうようでは困る。どういうことをやればいいのか、と訊ねられても困ります。皆さんが考えてほしい。皆さんが持っているそれぞれの課題を、協同的に発展させてほしいと思う(P95)」「自分は何をやればいいのか、どうすればいいのか、そういった問いを、私やNAM事務局に対して、してほしくないということです。それぞれの人が、自分の関心の範囲において、あるいはそれを超えて、創意工夫してやってほしい。そういう人たちのアソシエーションとして、NAMがあるのです(P108)」

 発言の抜き書き。うーん、イノベーターとアーリーアダプターをターゲットにした運動だな。このあと遅れて参入する可能性のあるものへのアプローチをどうするのかがないなあ。あと、俺のイメージではアソシエーションは何か共通の課題や問題があるときに自発的にできるように思う。たとえば、ロシア革命のソヴェト(ボルシェヴィキが簒奪する前)やアメリカ独立戦争の草の根委員会とか、スペイン市民戦争の地域通貨運動とか、三池炭鉱争議の生活組合とか、徳永直「太陽のない街」のおなじく生活組合とか。そういう共有する課題や問題なしにアソシエートの自発や自立を促すことはすごく困難な気がする。
「LETSについて」西部忠 ・・・ 世界のLETSの取り組みを紹介。
「バナナ交易を通じた消費l生産者協同組合の連合」高瀬幸途 ・・・ 日本の消費組合とフィリピンの生産組合の民衆交易の紹介。フェアトレード

「生産協同組合について」朽木水 ・・・ 事例紹介。生産協同組合は「労働は厳しく、給料は少ない」けど、やりがいがある。
 2000年当時の日本はまだ先進国にいて、平均所得も今(2018年)よりずっと多かった。なので、収入は減る(かもしれない)けど、余裕があるので、その分を他に回しましょうという活動ができた。地域通貨フェアトレード、生産協同組合のいずれもそういう発想。リーマンショックのころからワーキングプアの話題が出て、十分な収入を得られない世帯や独居者がでるようになると、これらの活動に回す金その他のリソースはなくなっている。協同組合によるトランスナショナルな運動よりも、賃金引上げの運動のほうがさかんになっている。日本が先進国で、ほかの国を搾取している構造はそのままで、国内の搾取や格差が問題になってきた。
 NAMを構想したときと、2018年の今の状況は変わってしまった。