odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

柄谷行人「可能なるコミュニズム」(太田出版)

 タイトルの「可能なるコミュニズム」はマルクス「フランスの内乱」1871年から。晩年のマルクスは生産-消費協同組合にコミュニズムの可能性をみていた。その構想はかかれなかった。ここではカントの道徳論(「倫理21@柄谷行人」に詳細説明)から可能性を探る。

2018/11/22 柄谷行人「倫理21」(平凡社)-1 2000年

2018/11/20 柄谷行人「倫理21」(平凡社)-2 2000年

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トランスクリティーク」結論部(柄谷行人) ・・・ 資本の自己増殖は、資本制経済の外部である自然環境や労働力商品としての人間を破壊する(それらは資本が作り出せないものなので)。資本制経済の問題解決は対話や合意ではできない(交換における困難そのものなので)。であるから、問題解決はカントのいうような実践的問題である。これまでの経済学は生産と流通(消費)を分離していると考えてきたが、それに依拠する労働運動や消費者運動は実効的にならなかった。そこで生産と消費にかかわる協同組合(アソシエーション)を作ることを提案。同時に企業への不買運動で、生産資本へのダメージを起こす。
(このアソシエーションの道徳はカントの「他人を手段としてのみならず目的として扱え」。ただマルクスはアソシエーションは、局所化(したところで成立)、株式会社化、競争に負けて消滅に至ると見ている。どう経営するか、アソシエーション同士のつながりをどう作るかまでは書かずに亡くなった。)

世界資本主義からコミュニズムへ(柄谷行人山城むつみ島田雅彦) ・・・ 前の章を補足するところを抜き出す。資本主義は終わりを先送りするシステム。剰余価値が無くなれば資本の運動は終わるが、これまでは生産で剰余価値が生まれるとされたが、むしろ消費(購買)において生まれる。また労働者が主体になるのは買うとき。であれば、剰余価値を生まない「買う」を考慮すべき(で、生産-消費協同組合になる)。
(私的所有は国家から与えられた権利で、税金が発生。個人的所有は協同組合的。ここでいう所有は資本の持ち方について。消費財の私的・個人的所有は当然認められるべきというのが暗黙の前提。消費財まで国家や共同体の所有にするのは、原始共産制か宗教団体くらいしかないのじゃないか。)

地域通貨LETS西部忠) ・・・ LETSの説明。
(2000年からしばらくの間、LETSがブームになって、国内で300くらいのLETSができたらしい。2018年には30ほどしか残っていない。普及ののろさ、管理の面倒さで大変だったらしい。最近、LETSをネットで行えるサービスを「銀行(!)」が用意しているというニュースがあった。LETSの起死回生策になるか。あと、商品に対してサービス(労働ではない)と交換するやりかたはあまり普及しなかったのではなかったかな。)
河邑厚徳「エンデの遺言」(NHK出版)

貨幣主体と国家主権者と越えて(市田良彦、西部正、山城むつみ柄谷行人) ・・・ 資本制経済を変えるための文化的闘争と経済的闘争を、という話。マルクスグラムシ、フランスの構造主義ポスト構造主義の本と考えを再検討。今となってはどうでもいいです。
(1999年の議論で「ヘッジファンド」の話題がでてきた。金融市場をぐちゃぐちゃにしたのだけど、そのあとファンドの規制が始まる。10年代には税金逃れのグローバル企業に「パナマ文書」「パラダイス文書」の発見があって、徴税の検討が起きた。資本制経済はなるほど外部を侵食、搾取するが、度を過ぎると修正や規制が入る。こういう自己修復能力に、抗議者の運動はついて行っていないような気がした。)

生産協同組合と価値形態(山城むつみ) ・・・ 19世紀からの生産協同組合論の概説。「生産協同組合は、労働者自身が共同出資により生産手段を共同購入してこれを協同で所有・管理・運営するシステムである。そこでは、労働者自身が所有者として経営に参画できる。このため、搾取の余地がない。一般の企業であれば資本に帰属する剰余価値がここでは労働者の管理下、公平に分配される(P231)」とのこと。


 生産-消費協同組合は理念として結構なことだとは思う。でも、実際に降りてきたとき、自分はどういう行動をとるか。例えば、100gのコーヒー豆があるとき、グローバル企業の現地労働搾取の500円と、ロハス企業の無農薬フェアトレードの700円と、組合の無農薬フェアトレードの1000円の商品でどれを選べばよいか。この問いは嗜好品でなくてもよい。ほかの商品でもつきまとう。そこで組合の商品を購入し続けるモチベーションはいつまで保てるか。安いものを購入することは他国の貧困者の搾取であると認識していても、収入が増えなかったり下がったりするときには気持ちが揺れ動く。倫理的な行動は必ずしも称賛されるわけでないし、不利益をこうむることもあるが、それが食や住の不足にまで及びそうなとき、なおかつ継続することは可能か。
 あるいは、グローバル企業で年収1000万円のものが、組合の年収300万円に転職できるか。組合の事業がうまくいっていないときに、必要に迫られて組合に入らざるを得ない人を受け入れるか。
 そんな具合にいろいろネガティブなことを考えてしまう。それにこの国では民主経営の研究も進んでいなくて( 坂根利幸「民主経営の理論と実践」(同時代社))、ビジネスモデル(ほかに言いようがないので、このまま使う)の参考例が少ない。そのくらいに理論家と体験例の少ないモデル。なかなか大変なのだ。倫理的な行動というだけでは、組合は継続しない。もちろん地域通貨も、民主学校もそう。
 理念がよくても、具体に落とすと、途端に問題が噴出する。