odd_hatchの読書ノート

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アグネス・スメドレー「偉大なる道 下」(岩波文庫)

2018/04/10 アグネス・スメドレー「偉大なる道 上」(岩波文庫) 1953年

 主人公は朱徳。奇縁で軍事学校に入学し、国民党軍に連なる軍閥の士官になったが、その活動に疑問をもって脱退。上海にでて孫文にあい、ドイツ留学中に周恩来などの社会主義者共産党員と関係を持つ。現地の労働運動に参加して国外退去となる(この経歴は大杉栄「自叙伝・日本脱出記」(岩波文庫)に似ている)。モスクワで軍事を学び、帰国後は江西省共産党員となる。以降蜂起他の軍事指揮を担当。1927年に井岡山に中国共産党が集結した際に、毛沢東と出会い、以後は行動を共にする。政治・理論面は毛沢東が、軍事面は朱徳が指揮する分担ができる。長征、国共内戦で辣腕をふるう。この本の記述は1946年の朱徳60歳まで。彼は長命で89歳の1976年まで生存したが、政治的な激動とは距離を置いていたのか、政治的な指導力を発揮しなかったのか、めだたず、文化大革命を生き延びた。スメドレーに語ったことによると、朱徳客家。明から宋の時代に大陸を北から南に移動して住んだ人の一族。客家高木桂蔵「客家」(講談社現代新書)を参考に。この出自と若い時に哥老会に加わったことで、朱徳の人脈はとても広いものになった。紅軍や長征などで使われたらしい。
朱徳 - Wikipedia
 この本の読みではふたつ。長征に関する出来事が書かれていること。とはいえ朱徳の記憶と周辺人物のインタビューで再構成したものなので、正確さには乏しい。印象的なできごとは「大渡河」。小さな橋、その下は濁流、対岸には国民党軍、他に渡河できるのは数十キロ先。後続の部隊が押し寄せる中、橋を渡る決死の部隊と小舟で激流を渡る部隊。攻防戦ののち、渡河に成功。林彪の別部隊が背後から奇襲して基地を脱するという大作戦。まるで三国志項羽と劉邦のようなできごと。もうひとつは大雪原の横断。たしか高度4000mくらいの湿原を一か月くらいかけて数万の部隊が踏破する。凍死者、餓死者多数。少数民族の急襲による死傷者多数。この苦難を乗り越える紅軍の勇気と意気。19世紀冒険小説でも書かれないようなとんでもない苦難。それを数万人が2年をかけて数万キロを徒歩で横断するという途方もない快挙。これが実際にあったということに驚き、感動するわけだ。(長征の30年後、日本人カメラマンが同じルートを移動して写真集を作った。野町和嘉「長征」講談社文庫。存命中の紅軍兵士らの証言も載っている。)
 もうひとつは、朱徳の軍事作戦。有名なのは「敵が進めば、我は退く。敵が拠れば、我は擾す。敵が疲れれば、我は打つ。敵が退けば、我は追う」という毛沢東の言葉。これを実際に使いこなしたのは朱徳。本書中でも、その戦術で成功した例がたくさんでてくる(もっとも失敗した例が一切書かれていないので、勝率10割の常勝将軍であるわけではないはず)。他に重要に思えたのは、敵軍の装備を捕獲して自軍の装備にする、捕虜を教育して自軍に加える(そうでないのは解放して敵軍内の宣伝に用いる)、農民他を味方にする(そのために公正・公平を実施。三大規律八項注意に集約される)。これらは言語化されていないが、毛沢東との出会い以前に朱徳が実行していた。また、紅軍では隊内の民主主義が運用されていたというのも重大。戦闘時には士官と兵士の命令系統はあるが、それ以外では装備・食料の差を付けない。これもまた日本の軍隊になかったことで、ロシア革命時の赤軍もそうだったとトロツキーがいっていた。まあ、レジスタンスの現場においては民主主義が実現するというのは、古今東西を問わないわけだ。
 そのような軍と兵の倫理、モラルに感動するわけではあるが、やはりこの本の記述をそのまま信用するわけにはいかない。紅軍では民主主義が実行されていたというが、全体の指導者である党ことに幹部が兵士らの信任を受ける仕組みはこの中にはない。部隊長を決めるまでの選挙はあっても、そのうえの党や軍には兵士他がなんらかの意見を述べることはできない。党が前衛で大衆は指導教育されるものというボリシェヴィズムは紅軍でも貫徹されていました。自分は資料にあたったことはないが、毛沢東は長征後の1942年の整風運動で粛清を実行したというくらい。
 歴史的文書で、好事家向け。