odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

赤瀬川原平「超芸術トマソン」(ちくま文庫) おしゃれでハイソな時代に、無名氏がよってたかって価値のないものを探して楽しむ。

 そうか「トマソン」のブームからもう30年が経過したのか。懐かしい、という思いになるのは、遅れてそれを知った自分でさえ、路上観察とか考現学とかその他の観察記録が書店に並べられていたのを記憶しているからに他ならない。なるほどバブル経済といわれたその時期には新宿や秋葉原が最先端であり、そこで起きているテクノロジーやメディアの変革が注目されていた一方で、古い記憶を呼び起こす「運動」もあったのだった。出版年を見れば単行本1985年、文庫1987年というのは、ギブソンニューロマンサー」邦訳1986年を挟んでいたのだ。

 トマソンについてはすでに人口に膾炙し、特に説明がなくとも通用する概念になったからそれは繰り返さない。久しぶりに読んで自分が注目するべきと思った視点は
・有用(実用)と無用(ごみ)の2分法の間に(芸術品をいれた三角にしてもよいか)、無数の点があるのを明かにしたこと(それを「トマソン」を命名)。
・制作者が無名で、芸術家意識がないこと。
・存在は人間の寿命より短く、多くは発見後すぐに廃棄、処分されていること。
・著者ほかのコピーのうまさがブームに影響していたこと。
あたり。したがって、「トマソン」は写真とテキストでもって記憶される存在。この本の白眉は、現在全日空ホテルやサントリーホールの建っているあたりの地上げ前の路地や横町の写真だ。あのあたりは1980年代半ば以降(サントリーホールオープンが1986年)、おしゃれでハイソな場所になったが、その直前までは戦後のバラックとその後の長屋の雰囲気を濃厚に残す東京の「辺境」だったことがよくわかる。それが写真やテキストで残されていることがよい。
 もうひとつ、この「トマソン」発掘運動が発信者と捜索者の双方同時進行で行われ、雑誌メディアで交通していたこと。これは西洋近世からの博物学の運動と一緒で、そのころは世界を冒険して個体採集に励む冒険博物学者と、研究室や書斎で標本を調査し分類体系をつくる書斎博物学者がいた。まったく同じことが、1980年代の路上の博物学でもおきていた。提唱者で情報発信元になったのは著者(とその周辺のライター)で、読んだ読者が地元を歩いて個別物件写真を送る。発信元は新種を同定して、発表すると、数か月後には亜種や変種の存在が報告される。そこに概念の形成と受容、変容が起こる興味深い運動が見いだせるが、ここではそれを見ないことにする。雑誌に個人名と写真がのり、発信者と文章で交流できるというのが、捜索者のモチベーションになっている。メディアの自由さの表れであるだろう(まあ、1960年代後半からの深夜ラジオでリクエストはがきが先便をつけているのだが。21世紀のSNSはもっと早く拡散し、消滅するだろう)。
 このやりとりは月1回発行される雑誌を拠点にしている。面白くも悲しいのは、たった2年間で「トマソン」物件の概念と分類が確定してしまう速さ。最初は、「純粋階段」「無用窓口」「無用ドア」の3つだけだったのが、数千人か数万人か(参加人数の調べようがないのもこの運動の特長)の捜索で「トマソン」はほぼ発掘され、分類が完成し、個体はすぐに同定されてしまう。最後のほうになると、提唱者および発信者は読者の写真を見てもトキメキを感じなくなってしまう。あまりに早いスピードが不感症を起こしてしまうのだ。彼らの運動の20年前には星新一がアメリカのヒトコマ漫画の収集と分類を行っていたが、星は不感症にはかからずに済んだ。プライベートな戯れと、パブリックなムーブメントの違いか。
 少し気が重くなるのは、「トマソン」ムーブが広がって、世の中にある面白いものを発見する運動に移っていく。その集成がたとえば「VOW」やコンビニ本なのだろう。自分はこちらにはちっとも感心しないし、楽しめない。理由はたぶん、「トマソン」には物件に対する敬意や周辺住民への配慮があったのが、後者になると軽蔑と差別意識が現れてくることだろう。「笑う」ことに反省的な意識(笑うことで対象者に権利を侵害していないか、笑う行為は関係者を不快にしないかなどを考える事)を持たないと、ダメになってしまう。
 そうそう。さまざまなトマソン物件のおもしろさは赤瀬川源平トマソン大図鑑 空・無の巻」(ちくま文庫)で楽しむのがよいわけだが、本書中ではそれらの物件の面白さを「馬鹿と紙一重の冒険」の章にある、煙突の上に登り手すりなしで一脚を伸ばして直立した全身像を映した写真が全部吹っ飛ばしてしまった。

<参考エントリー>
2019/02/06 赤瀬川原平「トマソン大図鑑 空の巻・無の巻」(ちくま文庫) 1996年