odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

法月綸太郎「生首に聞いてみろ」(角川文庫)

 法月綸太郎にひさびさの事件が起きたのは1999年。法月も30代半ばになっている(2004年初出)。

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 高名な彫刻家・川島伊作は長年実作から遠ざかっていたが、ほぼ20年ぶりに新作を出すことになった。娘の江知佳(エチカ)の全身を石膏で型取りして、一体の像にするという。20年前に自身の妻(離婚)で同じ技法で作ったシリーズの最新作になるという。ほぼ完成したとき、伊作はアトリエで突然倒れ、そのまま意識を戻さずに他界した。葬儀その他でてんやわんやしていたあと、アトリエに賊が侵入し、石膏像の頭部を糸鋸で切り取って持ち去ってしまった。それと相前後して、エチカも失踪する。数日後、切り取った頭部が伊作の回顧展を開くことになっている美術館に送り付けられた。どうやらエチカにちょっかいを出していた自称カメラマンが行ったことと思える。だが、犯行当日のころ、カメラマンは台湾に出国していたと同棲の女が証言した。
 彫像やマネキンが盗まれたり、首のない死体がでてくるミステリーは多々ある。一見、脈絡のなさそうな行為が切実な理由を持っているのだが、そこを隠すためにここでは生体の石膏型取りという美術の手法を利用する。すなわちそうして型取りして作った彫像は関係者からするとおのずと誰をモデルにしているかがわかるのであり、それを損壊する行為はモデルへの犯罪予告であったり復讐であったりするわけだ。
 という具合に現在の事件は動機がよくわからない。自称カメラマンが恫喝の電話をかけてきたり、伊作の遺作を管理すると言い出した美術評論家が遺族の意向を無視して勝手放題したりと、情報は錯そう。手口の異様さに対し、なぜそうするのかが見えてこない。
 そこで彫刻家・川島伊作を洗ってみると、娘エチカを巻き込んだ複雑な関係がみえてくる。すなわち、彫刻家の兄・伊作は翻訳家の弟・敦志とは20年来の絶縁状態。そうなったのは伊作が元の妻・律子と離婚した。そうなったのは、妻・律子が妹・結子の結婚相手で歯科医の各務順一と不倫の関係になり、伊作と裕子もそうなってしまったから。互いにパートナーを交換する形で再婚したが、しばらくして結子は自動車をつかった排ガス自殺を遂げる。ああ、ややこしい。
 小説の大半は、名探偵・法月綸太郎が関係者のところにいってお話しを聞くこと。彫刻家に翻訳家、大学生、歯科医院などが関係者で、自称カメラマンとその潜伏先があやしいところ。なので、脅しにあうとか、逆襲に合うとかの危険な場面はない。なにしろ、たいてい刑事が同行するし、本人が名乗ると父親が警視庁のエライさんにつうじているのをみんな知っている。なので、徹底的に打ちのめされ、立ち直るという自己回復の物語はない(それが前作「ふたたび赤い悪夢」よりも印象に残らない理由のひとつ)。というのも、名探偵はうっかりして犯人を取り押さえる機会を二回も失してしまったが、犯行は手の打ちようのないところで行われ、事件の関係者と何かの約束をしているわけではないので、探偵の資格を問い直す機会はなかったからだ。
 解決されるなぞはとても入り組んでいる。とりわけ過去の事件では、それぞれの関係者の思惑がすれ違って、合理的・理性的な判断を行えなかったので、錯綜したものになってしまった。この家族に起きた問題は、ロス・マクドナルドよりも西蓮寺剛@都築道夫の作を思い出した(具体的な作品名はでてこないけど)。強い父がいないので、むしろ女性の欲望に振り回されるというところ(でもそれはマクベスだな)。
 とはいえ、この小説は21世紀には後ろ向きであって、過去の事件が起きた1970年代には、こういう緊密で情深い家族や恋人の関係はすでにアナクロだったから。家族の形式にとらわれることの緩やかになっていて、経済が好調なのもあって、別居や離婚もできないわけではなかった。そのような社会変化が起きていたので、ロスマクのような家族の神話を解体する物語針ラリティを失う。このころから異常性格者による残虐殺人が主題になってくる(ハリス「羊たちの沈黙」とかキングやクーンツらのモダンホラー)。そちらのほうがリアルだった。
 笠井潔は「ふたたび赤い悪夢」の解説で、探偵の行った先の「砂漠」で「内と外の区別のないような交通の網目の空=間」で探偵小説は生き延びることができるかと問いかけているが、本作を読むと、むしろ内と外の区別が厳然としてある共同体や組織、贈与の交通に重きをおかれる閉鎖空間でこそ、探偵小説は生き延びられるのかと思う。すでに1920年代のクイーンの本格探偵小説、1950年代のロス・マクドナルドのハードボイルドを成り立たせる社会が無くなっているとき(江戸川乱歩の新興住宅地や横溝正史の閉鎖的な村が無くなっているとき)、謎解きや犯人あてが成立する場所、空間は、作家がさまざまな条件で制約をつけるパロディやパスティーシュにおいてしかありえないのではないか。そこでは探偵の苦悩は問題にならなくなる。