odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

加茂利男/大西仁/石田徹/伊藤恭彦「現代政治学 新版」(有斐閣アルマ)-2

2020/11/2 加茂利男/大西仁/石田徹/伊藤恭彦「現代政治学 新版」(有斐閣アルマ)-1 2003年の続き

 

 20世紀に政治の中心にあると考えられている立法、行政(司法)の分析。前のエントリーでもいったように2010年代のこの国に政治があまりにダメになっていて、現実の分析ではなくユートピアの紹介のように読むことになる。

第6章 政党と政党制 ・・・ 政党は社会と政府の政治的仲介役。私的組織(日本では国から政党交付金がでるけど)であり疑似政府組織でもあるという分かりにくさがある。かつては階層や職業、所属組織などで政党の支持層は明確に分かれていたが、1970年代以降はそうもいえなくなり無党派層が増えた。選挙が政党ではなくイッシューに対する選択になっている。
(というまとめを作ってむなしくなるのは、日本は一党優位政党制だが、その政党がカルト思想やオカルティズムに親和性のあるメンバーによって牛耳られ、国民の利害に無関心になっているから。)

第7章 政治意識と政治文化 ・・・ ここでは選挙人を分析。政治意識や政治文化の多様性や類型を捕えるために、さまざな分析的アプローチがなされてきた。研究者の成果はおいておいて、政治意識は、両親・家族・友人などの第一次集団に、つぎに地域・職場・宗教などの第2次集団に影響されるというのが大事。
(で参加型民主主義にするために云々があるけど、日本では公的自由も公的空間もなかったので、参加しようと掛け声を上げたり叱咤したりしても通じない。練習、訓練することが大事。)

第8章 集権と分権 ・・・ 20世紀から国家主権の限界がみえてきた。通貨管理、環境問題、地域的な取り組みなど。福祉国家では中央の専門家による官僚集団が必要で地方自治体の自立性が乏しかったが、官僚集団が機能不全を起こすようになった。そこで分権化(連邦制国家など)と国際統合が求められている。国際統合は庄司克宏「欧州連合」(岩波新書)-1庄司克宏「欧州連合」(岩波新書)-2明石康「国際連合」(岩波新書) 等を参照。
(日本では「議会の力が弱く君主や官僚の権力が強かったため、中央の官僚が国の政治をリードするだけでなく地方の運営にも関与しコントロールする,「行政的集権」が支配的となった。地方自治の考え方はあったが,住民の参加よりは有力者・官僚の行う地方行政の自律性を認めることによって,政治の安定基盤をつくる(「団体自治」)という性格が強かったのである(P168)」。)

第9章 近代の国際政治と現代の国際政治 ・・・ WW1までは国際政治のプレーヤーは国家のみで、目的は安全、解決方法は武力とされていたが、現代は違う。国家以外のプレーヤが登場。国家間組織(国際組織)、トランスナショナルな組織(国家以外の集団を横断:グローバル企業、NGO、宗教団体など)、超国家組織(EUなど)。新しい国際政治では国家よりも個人の安全保障がより重要で、地球規模の問題解決が不可欠。

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911のあとは、カルトな小集団が国際政治や人間の安全保障の脅威になった。彼らには国家の枠組みでは対応不能で、上にある新しい政治プレーヤーの参加が必要。また、こういう整理がなくても、政治や国際の情報に接するとおのずと似た認識になるが、自称愛国者は古い枠組みでしかものごとをみないなあ(嘆息)。

第10章 グローバル・プロブレマティーク ・・・ 20世紀以降に顕在化した人類の存立を脅かす一群の問題。画像参照。優先順位は付け難いほど深刻で、ジレンマ・トリレンマの関係にあるものがある。

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第11章 政治学の潮流 ・・・ 政治学研究史アリストテレスデカルトホッブス、ルソー、マルクスなどの大思想家の系譜のあと、20世紀は科学的手法を取り入れた集団研究になる。1970年代から政治哲学が復権ロールズらのリベラリズムとサンデルらのコミュニタリアンの論争。リバタリアンの主張はあまり重視されない。ほかに、政治の世界そのものを規範的に問うラディカル・デモクラシー。「政治をコミュニケーションを伴う公共世界と考える(アーレントの考え)」。「物質的利害の調整や再分配でも、リベラリズムのように異質者との共生でもなく,異質者同士の承認の場として政治をとらえようとする」。
(差別問題から政治哲学に興味を持つと、正義や善は個人の決意や変化で成り立つのではなく、集団や組織的取り組みが必要になるので、コミュニタリアンのほうに親近感をもつ。一方、SNSの世界の議論や反差別の運動を見ていて、その渦中にいると、「ムフは、政治のみならず民主主義の根源的な姿は、多様な主体が、公的領域で自らのアイデンティティーの承認を求めて、対立と闘争とを繰り返すものだとしている」というのは実態に合っているともいえる。その対立と闘争から共通善や正義が浮かび上がってきて、形成されていくのだともいえる。)

 

 

 最後の章では、政治のプレーヤーとしての市民が登場。彼らの政治的な役割は本書では詳述されないし、911や311以降の21世紀では新しい市民運動が起きて、これまでの政治学ではとらえにくいものになっている。それでも、ロールズやサンデル、ムフのような人々が1970年代から起こしてきた議論があって、その後の運動に関連している(先駆者にアーレントハーバーマスらもいる)。新たな概念が現実の運動でもまれてどういう実践になっていくのか。厳しい状況にはいるが、面白い時代にいるとも思う。