odd_hatchの読書ノート

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小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-2

2019/07/19 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-1 2010年

 

 サンデル、あるいは政治哲学の議論を読むときに、ヨーロッパとアメリカの違いを意識することは重要。本書の指摘をまとめると、社会契約説はヨーロッパでは仮構であるとみなされるが、アメリカでは建国までが社会契約的な過程をへているといえる。なのでアメリカでは自由主義は強いが、社会主義は弱い。その違いで、ヨーロッパとアメリカで「リベラリズム」は対象とする考えが異なる。ヨーロッパのリベラルは経済的自由を強調する(社会主義に対抗)が、アメリカのリベラルは経済の規制や再分配を必要とみなす「進歩派」で、政策的には社会民主主義に近い。本書ではリベラルはアメリカのものを指す。

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第3講 共和主義の再生を目指して―『民主政の不満』のアメリカ史像 ・・・ 「民主政の不満」1996年の解説。アメリカの政治と経済の歴史を見直す。ここでのポイントは共和主義とリベラリズムを分けていること。現代のアメリカは「手続き共和国」であって、法の適用の重視、価値や善からの中立性(特別扱いに慎重)、自己決定の優位(政府や国家は個人に介入しない)を旨としている。その結果、人々は政治や経済に参与できず、民主政(治)に不満を持っている。このような現代の民主制はリベラリズムの考えに基づいているが、アメリカのもともとの民主制は共和主義(トクヴィルやフランクリンなどが典型)だった。すなわち、公民性ctizenshipの美徳に基づいて人々による自己統治を目指す。自己統治の可能な地方コミュニティにともに参加し、市民的美徳(公共的事項に知識をもち、コミュニティへの帰属意識があり、全体に関心をもつ)を実践する。そこには共通善の実現と人格形成が含まれる。一方、(ロールズに典型的な)リベラリズムは正義は人々の合意が得られるが善は合意を得られないとして、正義は善や価値に中立であろうとする(なのでサンデルはこの態度を「棚上げ」といい、「手続き共和国」のできた理由と考える)。リベラリズムの考えはリバタニアリズムなどの考えと近い。なので、「手続き共和国」の経済政策ではリベラリズムリバタリアニズムが相乗りする。
 アメリカはもともとは共和主義で自己統治できる経済の仕組みをめざしていた(そうか、そこから19世紀末の孤立主義政策がでてくるわけね)。共和主義は公民制と生産を重視。それが20世紀の大量生産-大量消費と1930年代の不況を経験して、経済成長と再分配を重視するようになった(政党が採用し、人々が支持)。ケインズ主義は共和主義と相いれない現代リベラリズム。1940年前後に政治と経済がリベラリズムに移行して、共和主義の考えは後退。戦後、少数の政治家が共和主義を主張したが(JFKのことば「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」も共和主義の再建を主張したものなのだ)、大勢はリベラリズムになった。
 「手続き共和制」は自己統治という支配地からの喪失、コミュニティの弱体化を招き、民主制の不満になっている。サンデルによると、ルソーに代表されるヨーロッパの共和主義は個人と国家しかなく、一般意思を表明することで国家の強制や排斥が行われる(なので不備がある)。アメリカの共和主義は個人は(政治的)コミュニティで活動することで自己統治を実施し、その集まりが国家になる。国家やコミュニティは多様性を含んでいて、共通善や人格形成の実現に寄与する。
 現在の民主制の不満を解決するには、政治(経済)的には共和主義を、正義の実現にはコミュニタリアニズムが必要であるとサンデルは考える。
(「民主政の不満」は上下二巻の大著。その解説75ページをさらに圧縮したので、このまとめにはサンデルの指摘や考えが全く不足している。上から零れ落ちたことにたくさんの洞察があるので、これはもう一度読まないとなあ。あわせてアメリカの共和主義をもっと知らないといけない。共和主義を使ってメリカをみると、19世紀の孤立主義ケネディのことばだけでない、さまざまな事象も理由が見えてくる。たとえば、西部劇に出てくる開拓村の自治であるし、19世紀の実業家のチャリティであるし。図書館や病院などをどんどん作る。そのチャリティで能力を発揮できる教育を受けたのがヘレン・ケラー。この辺りを書いたガルブレイス「不確実性の時代」をいい加減に読んだのを悔やむ。さらに、独立戦争のころのコミュニティのありかたが同時期のフランス革命時のパリと比較されるアーレント「革命について」をきちんと読解するのに役立つだろう。
 というわけで、共和主義を学ばねば。この国の民主政は戦後になってアメリカのものを模すように作られたものだが、ニューディーラがGHQに集まったように現代リベラリズムのもの。共和主義の自己統治という考えは入ってこなかったし、定着することもなかった。戦後民主主義とは別のところで、村の自治や自己統治はあったが、経済発展で「成長と再分配」の制度がつくられるようになると、それが壊されるようになる( 山口武秀「常東から三里塚へ」(三一新書)の挿話。[追記。いろいろ調べると日本で村の自治や自己統治が壊されるようになったのはもっと前から。廃藩置県が先駆けだと思う。])。そのあとの様々な市民運動では、自己統治や共通善は話題にされなかったし、強調されなかった。「成長と再分配」はこの国の経済モデルであったし、国家政策もそうであったが、そのことが人々の民主政への意識を規定しているとは思いつかなかった。この指摘は慧眼。
 そうすると、21世紀の10年代には、反自民や反安倍の市民運動(イシューがありすぎて、ひとつにまとめきれない)が起きている。自分がかかわるのはアンチレイシズムだが、ここが面白いのが正義や善に関する議論があること。ヘイトスピーチを止めさせるためには、ヘイトの構造やマイノリティの範疇などを理解する必要があり、なぜそうするかを正義や善で説明することになる。いまのところ、ロールズの善や価値に中立な正義という考えが大勢だけど、自己統治や共通善という共和主義やコミュニタリアニズムの論理もあってもよさそうに思った。リベラリズムの自己決定の尊重という論理では多様性の実現、排外主義の排除を説明しきれないように思うので。前の感想にも書いたが、コミュニティの意味がアメリカと日本と違うようなので、サンデルの議論をそのまま適用しても誤解を生みそうなのが憂鬱。)

 

2019/07/16 小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-3 2010年