odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

川崎修/杉田敦編「現代政治理論(新版)」(有斐閣アルマ)-1

 

 北山俊哉/真渕勝/久米郁男「はじめて出会う政治学 -- フリー・ライダーを超えて 新版」(有斐閣アルマ)、加茂利男/大西仁/石田徹/伊藤恭彦「現代政治学 新版」(有斐閣アルマ)を読んだので、さらにその先を勉強。

 

第1章 政治--権力と公共性 ・・・ 政治は国家や自治体の身にあるのではなく、社会のあらゆるところに見ることができる。政治に重要な概念が権力と公共性。これは「わたしたち」が社会をどう見るか、関わるかが重要。政治性を明に明らかにすることが妨げられる場合もあるし、その逆に問題のないところに政治性があるとされることもある。
(政治は人々の活動が行われる場に見出すことができるので、「わたし(たち)」はそれに無縁・無関係であることはできない。「わたし(たち)」の外にあるもの・ことではない。第三者を装った中立・中庸はないし、冷笑して無関係であるといいたてることもできない。そのような政治との無関係を装うこと自体が政治的行動である。)

第2章 権力--強制と自発性 ・・・ 権力を行使する形態には、威嚇・報償・説得のタイプがあって、非対称性だが双方向のコミュニケーションがある。そこには被服従者の他律的服従と自発的な協力がある。これは権力が成立するときと権力を行使するときのどこを重視するか。権力が権力であるためには被服従者が内面から支持する「正統性」が不可欠であるが、権力のプロパガンダや動員、宣伝操作などに還元される可能性がある。
(この後マルクスフーコーの権力論があるがまとめに入れない。本章の権力の説明では、とりあえず権力も被服従者も頭がよい、リテラシーがある、公共的な判断を下せるという近代市民が前提にされているように思うが、2010年代以降のこの国の「主権者」も権力者もそうではないからなあ。)

第3章 リベラリズムの展開--その振幅と変容 ・・・ リベラリズムの概念の変化をイギリスを例にして説明。簡単な政治哲学史。ロック、ホッブスベンサム、ミル、ケインズハイエクら。
(この章の不満は、自由主義が道徳の実践や人格形成を目的にしている点を欠いていること。)

第4章 現代の自由論--自律とは何か ・・・ 社会で自由であるとはどういうことかを検討する。すると、干渉や支配の欠如としての自由(消極的自由)と自己支配としての自由(積極的自由)があり、前者は多様性を認める根拠になり後者は価値一元論から全体主義に至る可能性がある。消極的自由は合理性を求め、積極的自由は道徳性の根拠になる。(という議論は苦手でよくわからないままになった。共和的自由の講師は同質化に至ってマイノリティ排除の可能性が出てくるとか、公的自由は教育・規制・指導などの強制を伴う、というところはよくわかるのだが。あと、場合によっては自由は制限されることもあるという議論がなかった。)

第5章 平等--正義を求めて ・・・ 第3章では触れなかったアメリカのリベラリズムの変化。植民地としてあったので、強い王権・教権がなかったので伝統保守がなく、社会主義の影響もなかった。なので政治思想の違いは自由主義の中で現れた。重要な成果はロールズ「正義論」1970年(これはサンデルのエントリーにまとめたのでここでは省略)。ロールズ批判のあらわれが、ノジークのリバタリアニズムとサンデルのコミュニタリアニズム。ドゥーオキンとアマルティア・センの平等論。平等の実現には資源主義と福利主義がある。
2016/07/6 マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)-1 2010年
2016/07/5 マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)-2 2010年
2016/07/4 マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(ハヤカワ文庫)-3 2010年
2014/06/05 アマルティア・セン「貧困の克服」(集英社新書)
2016/07/7 アマルティア・セン「人間の安全保障」(集英社新書) 2006年
(ここの論点はこの身近に文章ではたりないので、いずれ勉強しよう。あいにくこの国の政治では正義も平等も実現するつもりのない政党と政治家が長年政権を握っているので、ここの議論が空想的に見えてしまう。)

第6章 デモクラシー--歴史と現実 ・・・ エリート支配に対する民衆の政治参加としてのデモクラシー。最近の論点は1.多元性か一元性か、2.代表制は民衆の意思を反映しているか(間接か直接か)。デモクラシーの構成員が多元化し問題が多数に複雑にあるとき、政党は民衆の利害を代表していないのではないか、対立軸を表し切れていないのではないか。3.デモクラシーで重要なのは対話による合意形成か、意見対立を表出することか。最近の傾向は討議を重視すること。討議のルールに関心を持ち、理性的(には異論あり)な思考と発言を求める(なので、ときには排除もありうる)。最終的な決定権を持つものとしてネーションが想定されていたが、21世紀にはネーションを構成しない人々(マイノリティ、移民難民など)の関与も検討されている。
(討議の重視は市民運動にはうまくあてはまる(イシューごとに集まるとか、合意形成がなくても行動が可能とか)が、官僚制にはうまくいかないような気が。あと討議でおバカな意見を排除するのは賛成。おバカな意見の代表は歴史修正主義者・レイシスト陰謀論者など。)

 

 ここの原理に関する議論が、おれにとってよくわからなかったのは、自由・正義・平等・デモクラシーなどが概念としてあってから現実に当てはめることではなく、具体的な事例があってそこからそれらの概念の当否を検討していくものだというように思っているから。個人や集団がなにごとかの発言や行動をするごとに、それは自由か正義か平等かデモクラシーかを検討していくものだと考えている。そういう思考で書かれた先人の知恵を学ぶことは学習のショートカットで正しい道を行くことなのだが、自分には具体例が乏しくて読むのが苦痛でした。もっと勉強します。
 本書全体を通して、リベラルデモクラシーが語られる。他の政治哲学、たとえばリバタリアン伝統保守アナルコ・キャピタリズム共産主義などは出てこない。マイナーな主張であったり、市民社会の規範に相いれないような主張であったりするのが理由だろうか。自分が興味を惹かれるのは、こうやってリベラルデモクラシーを学ぶ学生がいても、この国の政治意識ではリベラルデモクラシーは多数派になっていないこと。この教科書ができたのは2012年だから、影響が表れるのはもっと先のことか。楽しみだと思うと同時に、なぜ卒業後にリベラルからスポイルされてしまうのかという疑問も持つ。
 そういう感想になるのは、2010年代のこの国の政治(とりわけ国政と中央官庁)が、理論とおりの行動をとっていないから。加えて市民の劣化も激しい。それこそ中学校の教科書からやりなおせと叱りつけたくなるような事態を延々と見せつけられている。

 

2020/10/27 川崎修/杉田敦編「現代政治理論(新版)」(有斐閣アルマ)-2 2012年