odd_hatchの読書ノート

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久生十蘭「魔都」(青空文庫)-1

 題名「魔都」とははて面妖な。なるほど舞台は1935年の東京であるが、この実在した都市のどこが「魔」であろうか。作者の説明を聞いてみよう。

「この辺が、「東京」を称して一と口に魔都と呼び慣わす所以なのであろう。われわれの知らぬうちに事件は始まり事件は終る。この大都会で日夜間断なく起るさまざまな犯罪のうち、われわれの耳目に触れるものはその百分の一にも当らない。それも、形象は深く模糊の中に沈み、たまさか反射だけがチラリとわれわれの眼に映じるのである。(十九、加十、愚考する事 並に黒髯風に靡く事)」

「なんたる魔がしき都ではありましょう。手前らには、この大東京の、この大都会の大気の中に、さながら空気中のアルゴンの如くに、無慮無数の魑魅魍魎がほしいままに跳梁跋扈しているかに感じられてならぬのでござります。(二十四、安南の国歌の事 並に真名古朗誦の事)」

「広袤(こうぼう)八里のこの大都会の中には無量数百万の生活が犇めき合い、滾(たぎ)り立ち、いま呱々の声を上げ、終臨の余喘に喘ぐ。ある者は陰険な謀殺を完了し、あるものは脳漿を撒き散らしてこの世の生を終ろうとする。大都会こそは阿修羅地獄絵の図柄そのままに、阿鼻叫喚の苦悩図を描き出す。この甍の一つ一つの下にどのような悲劇が起き、どのような罪悪が秘められるか、ほとんどそれは測り難いのである。この大都会で日夜間断なく起るさまざまな犯罪のうち、社会の耳目に触れるものはその百千分の一にも過ぎず、他の凡百の悪計と惨劇はわれわれの知らぬうちに始まり、われわれの知らぬうちに終る。(二十五、お茶の水風景の事 並に猿の乾物の事)」

 さらに説明の架を科すのは不要であるが、いくつかの補足を加えてみようか。この小説は1937年10月から翌年10月にかけての13回、雑誌「新青年」に連載されたものであった。すでに軍事政権は樹立しており、前年におきた226事件の後始末もつき、軍人と巨大資本は中国に侵略の手を伸ばそうと画策しているのであった(盧溝橋事件は1937年7月。同年12月には南京虐殺がおきている)。戦争の大義は喧伝されるものの、不正義や悪は隠蔽され、すでに国連を脱退した日本は、言論が共鳴現象を起こして過激・戦闘的になるのを抑えられない。都市は軍事化が進み、軍人が大手を振って歩き(大正時代に軍人は軽蔑されていた)、特高憲兵が市民を監視しているのである。軍事物資の生産が盛んになって経済成長はみられるとしても、戦争継続のために税金の支払いが高額になり、それ以外にも労働参加を強要されているのであった。
 このような状況において、犯罪は権力や権威に抑圧されている庶民のうっぷん晴らしとなり、アンチヒーローの魅力や輝きを発すると思えるのである。見た目は平穏無事のケであっても、期待するのはケガレを払う祝祭であり、祭りの高揚にまきこまれるとき、喝さいをおくるのである。
 加えて、この小説では安南の皇帝・宗竜王が日本名をもってひそかに来日しているという。いささか不思議極まる状況と、戦後生まれで戦後育ちの読者はいぶかるのであるが、当時の日本は五族共和をお題目に、中国を包囲するアジア共栄圏の構想を推し進めていた。白羽の矢が立つのは、皇室と同じように長年その地を統べる王族であって、むりやりにでも彼らは日本に来なければならない。実際に、1944年ころに大学を卒業した堀田善衛は東京に来たベトナムの王族の世話をすることになったと述懐している(「若き日の詩人たちの肖像」)。彼らベトナム人はほぼ軟禁状態の日本暮らしにあきあきしていて、勉学の意欲を全く示さなかったと、堀田はいう。五族協和画餅であることをその存在によって示したのだった。

 

      

 

2019/08/02 久生十蘭「魔都」(青空文庫)-2 1937年に続く