1986年に文庫化された小話集。原本は1977年に刊行されたドイツのジョーク集。タイトルには子供がついているけれど(ドイツ語版も)、他のジョークも入っている。
複数回目の読み直しなので、爆笑するまでにはいかなかった。ジョークの落しに笑うよりも、別のことに気付く。アメリカのジョークはポケットジョーク「1.禁断のユーモア」(角川文庫)にあるように、ほらを吹く。誰かの問いかけや詰問やひとりごとに、大げさな話で返して、その途方もなさを笑う。こちらのドイツのジョークは理詰めの笑い。誰かの問いかけや詰問やひとりごとに、理詰めな答えを返す。その答えが問いかけをした人の文脈やマナーを無視した、別の状況でのルールであるもの。なので、文脈やマナーの流れが途切れ、しかし回答者の返事も一定のルールに沿っているのが分かって、笑いを生む。日本の小話はどういう特徴があるのかな。「中世なぞなぞ集」(岩波文庫)を読むと、ことばあそびが多かった(なぞなぞだからそうなるか)。
なお、ここにはエスニック・ジョークはほとんどない。女性や障碍者などのマイノリティを揶揄するようなものもほとんど含まれていない(最後にスコットランド人をネタにする章があるくらい)。これはナチスの記憶が反映されたものだろう。ほとんど同時期の「ポケット・ジョーク」(角川文庫)には、マイノリティを攻撃するジョークが多数収録されているのと好対照。この種のジョーク本が21世紀になって、ほとんど姿を消したのは、人権意識に大きな変化が起きたためだろう(ジョークの対象になるマイノリティの抗議の運動で理解が進んだ結果と思う)。
収録されたジョークに覚えのあるのがあって、魔夜峰央の「パタリロ」ででてきたもの(おうむと水道屋の会話P9)といしいひしさいちの「ののちゃん」ででてきたもの(ふたつのりんごP72)。まあ偶然同じ発想になったのだろうなあ。
おうむと水道屋の会話
シュミットのおくさんは、たらたらと水のたれる水道栓をしめてもらおうと思って、水道屋に来てくれと頼んだ。職人が約束の時間にこなかったので、おくさんは買い物に出かけた。出かけたすぐ後に、ドアのベルが鳴った。/「どなた?」と、おうむが尋ねた。/「水道屋です」という答え。/「どなた?」と、おうむ。/「水道屋です」/「どなた?」/「水道屋です」/シュミットのおくさんが買い物から帰ると、ドアの前にすっかりへとへとになった男がいた。/びっくりしたおくさんは尋ねた。「どなたなの?」/「水道屋です」とおうむが叫んだ。
(魔夜峰央「パタリロ」文庫36「たかがギャグされどギャグ」)
ふたつのりんご
ふたごの姉妹がサイクリングをした。休んだときに、ティーナがリュックからリンゴを二つ、取り出した。ユッタは自分のを皮ごと食べ、ティーナが皮をむくのを見て笑った。/ティーナはにやりとした。/「じつはね、さっきリンゴがひとつだけ牛のふんの上に落ちたのよ。でも、それがどっちだったかわからなくなってしまったの」
(見つからなかったので、発見したら追加するつもり)