odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

平井吉夫「スターリン・ジョーク」(河出文庫)

 俺が記憶している1980年までは、ソ連と東欧の情報はほとんど入らなかった。漏れ伝わるところからわかるのは、硬直した官僚制と不合理で商品と貨幣不足で停滞した社会主義経済体制、すさまじい監視と社会運動の弾圧くらいだった。映像で伝わるのは政治家や芸術家くらいで、そこに住む人の顔や姿はほとんど見えない。それが転換するのは、ブレジネフ・アンドロポフが相次いで死亡し、ゴルバチョフが首脳になってから。ポーランド労働組合を弾圧する一方で、アフガニスタンから撤退を余儀なくされ、「ペレストロイカ」「グラスノスチ」などの改革スローガンが伝わり、「西側」ではやった。

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 それとは別に伝わる情報のひとつが、本書などに収められたアネクドート、小話、冗談等の類。古いのは、冷戦時代にソ連を訪問した開高健小田実などが書く。
小田実/開高健「世界カタコト辞典」(文春文庫)
そういうものの集大成が本書「スターリン・ジョーク」。初出は1983年だが、俺はソ連崩壊時の1990年に入手して読んだ。そのときには、なるほど社会主義経済と共産主義国家の基本的な批判はここに集まっている、と納得した。そして笑いとばしているが、国家と警察、軍隊の市民監視と弾圧のひどさに恐怖と怒りを感じたのだった。この時期に、ロストロポーヴィチアルヴォ・ペルトギドン・クレーメル、ミッシャ・マイスキーなどのソ連亡命芸術家が気になっていたり、ショスタコーヴィチ関連本やソルジェニツィンなどを集めていて、監視と弾圧の詳細を知っていた。それが感情を誘発した。
 冗談本・小話集としてみたとき、本書は類書にはない輝きをもっている。その辛辣さ、風刺や批判の鋭さ、恐怖を笑いにかえる豪胆さ。笑いの深さ(こういう賛辞は開高健が語りつくしているので、俺はもう屋上架を掛けるのは止めにする)。それこそ、ナチス迫害時代のユダヤ笑話だけがこれに匹敵するだけだ。三浦靱郎「ユダヤ笑話集」(現代教養文庫)
 最初に手に入れてから30年後の再読(もちろん繰り返し読んでいるが)で、感想はがらっと変わる。すなわちバブル時代の前後では、ジョークの背景にある社会や政治や経済の仕組みは俺のいる社会ではない、別物であり、ほとんど空想の先にあると思えた。それが2010年以降の自民党政権によって、不況とデフレが進み、経済格差が拡大し、社会保障制度がだめになり、政治の批判がメディアにのらなくなり、ヘイトスピーチが路上とネットにあふれるなどしたとき、このジョークやアネクドートはわれわれ日本に住む人の現代と近未来をリアルに表現していると確信をもって言えるのだ。いくつか引用してみよう。アネクドートの起源を探るのは無理だとしても、どれも1970年代以前に語られたものばかりだ(引用にあたって、短縮するために改変しているものがあります)。

 

「やあ、景気はどうです?」
「けっこうですな。明日よりはずっといい。」(P238)

 

日本では、ある布告が発せられたということだが、この布告によれば、全人民は役人の前では帽子を脱(と)らなければならない。やがて布告は強化され、帽子の使用が全面的に禁止となり、手ぬぐいをかぶることだけが許可されるようになった。ところが、三回目の改正布告であらやるかぶりものが禁止され、ついに最後の布告では全人民の首を切り落とすことになったという。かぶりものの禁令を破る可能性を、今後一切除去するためらしい。(P44)

 

ケネディのモスクワ訪問。赤の広場でフレシチョフ(1960年代のソ連首相)とカーレースをした。最初にゴールしたのはケネディ。翌日のプラウダ(政府新聞)。「同士フレシチョフは壮絶なるフィニッシュにおいて、栄誉ある第二位を勝ち取った。ケネディ大統領はびりから二番目であった。(P205)

 

ユーゴスラヴィアの労働者は週にどのくらい稼ぎますか」
「3000から7000ディナールの間ですな」
「生活費はどのくらいかかりますか」
「5000から10000ディナールぐらいでしょう」
「するとその差額はどうするんです」
「それは政府の知ったことではない。ユーゴスラヴィアは自由な国ですからな」(P230)

 

ノヴォトニー(チェコスロバキア大統領。プラハの春で辞任)は疲れた。もう生きていくのが嫌になった。自殺しよう(略)「俺は革命家だ。(略)おれの罪と過ちの償いに、人民からリンチされて死ぬのが一番いいだろう」(略)ことさら挑発的な演説をぶって人民を怒らせることにした。「同士諸君、私はあらゆる食糧の価格を100パーセント値上げすることにした」(略)聞こえるのは嵐のような拍手と歓声(略)そこでノヴォトニーはさらに語を継ぐ。「同士諸君、われわれは賃金を50パーセント引き下げることにした」眼を閉じた。ふたたび大喝采。もうノヴォトニーはがまんできなくなり、大声で観衆にどなった。「きさまら、けつでも舐めやがれ」眼を閉じる。今度こそ、やつらは俺をリンチするに違いない。あたふたと駆け寄る副官の足音、うろたえた声。さあ、きたぞ。「同士ノヴォトニー、ご用意を。全地区の活動家が押し寄せてきました。早く、ズボンを脱いで」(P165-166)

 

ライプツィヒの同盟員がしょげていた。友人が尋ねる。
「いったい、どうしてあんなに厳しい懲戒を受けたんだい?」
「このあいだの学習会のせいさ」
「だけど、あのとき、きみはなんにもしゃべらなかったぜ」
「まさにそのためなのさ」(P131)

 

ソフィアの街角で二人の男が嘆いていた。
「こんなことじゃ、おえたちはみんな乞食にでなくちゃならなくなるぞ」
「だれのとこへ?」(P245)

 これらに描かれた政治家、メディア、庶民らの失態や愚行は権力の監視や強制によってもたらされた行動性向で、世代代わりを経ると、政治や党や思想に対して批判や直接行動をするようになった。しかし、この国では監視や強制はほとんど人の目につかないのに、政治家やメディアや庶民が自発的に20世紀の共産主義国家にみられた体制への翼賛が起きている。というか、1930-40年代(敗戦まで)の翼賛体制からこの国に住む人のメンタリティは変わっていないということか。体制や監視の目につかないところでは最後のジョークのようにぼやいても、路上で抗議を上げない。まったく稀有な民族だ。
 あと重要なのは、収容所群島や監視国家では、こうやってジョークが語られる。しかしヘイトスピーチが蔓延しヘイトクライムやジェノサイドが行われるようになると、ジョークは語られない。アウシュビッツの中、南京事件のさなか、関東大震災朝鮮人虐殺当時には、ジョークも笑い話も作られなかった。ヘイトクライムやジェノサイドがあった事実もなかったことにされる。