odd_hatchの読書ノート

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アガサ・クリスティ「ポケットにライ麦を」(ハヤカワ文庫)

 投資証券会社のオフィスで、社長が突然倒れた。このシチュエーションはクリスティには珍しいとおもったが、次の章ではロンドン郊外のアッパークラスの屋敷に切り替わり、物語のほとんどは屋敷の中で進む。1953年なのに、古めかしい意匠でした。
 さて、投資証券会社の社長レックス(王の意)が水松(イチイ)の種を抽出したトキシンで毒殺される。当初はその日の朝食をともにした人に容疑が集中したが、マーマレードに混入されていたことが分かった。このレックス、一代で大企業を立ち上げた立身出世の人物であるが、最近は無謀な投資を重ねて経営がおかしくなっている。長男パーシヴァル(アーサー王の円卓の騎士の名前)は謹厳実直ではあるが、リスクをとれない管理の人。元看護婦と結婚して、ほぼ経営にかかりきりだが、最近の経営に当たって父レックスと衝突している。次男ランスロット(同じくアーサー王の円卓の騎士の名前)は放蕩息子。金の管理ができず、いまは東アフリカで冒険の生活。そこで出会った貴族の娘と結婚している。一番下のエレノア(アーサー王の娘の名前)はそろそろ20歳というくらいか。世間知らずのお嬢さん。自立していない男と結婚して家を出ることをもくろんでいる。レックスの妻は数年前に死去。再婚したアディールは年の離れた妻。レックスが家にいないのをいいことに、女たらしのジゴロに夢中。レックスの最初の妻の姉が同居していて、とても気難しい。レックス一家は敬遠気味。

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 この家にいるのは、だらしのない執事クランプ夫妻に、しっかりものの家政婦メアリーに、そこつもので頭の弱い小間使いグラディスなど。かつてはこういう人々は無個性であったけど(「スタイルズ」「アクロイド」のころ)、1950年代には彼ら彼女らもしっかりと描写され、意見と主張を持ち、雇用者の気分を気にするなど描写が増える。事実、レックスの家の人々よりも、これらの使用人たちの証言のほうが重要。
 意匠は古い館もの。権威的な主人が長年君臨していたところ、家内に憎悪が蓄積されて、それがむき出しになって君主は打倒される。権力は宙ぶらりんになって、それを獲得するための闘争が起きる。この家では、遺産相続がその焦点になる。莫大な遺産は、次男にだけ配分されないことになっていて、それは家族全員周知。そのうえ、レックスの後妻も死の直前に遺言書を書いていた。これはつきあっていたジゴロの手引きと見える。遺言書の正否や配分を巡る争いが勃発。
(上のように、家族のいさかいはアーサー王物語を踏襲。)
ブルフィンチ「中世騎士物語」(岩波文庫)
ヨーロッパ中世文学「アーサー王の死」(ちくま文庫)-2
 ミス・マープルが登場するのは、本書の半ばころ。死んだ小間使いグラディスがかつてマープル家にやっかいになっていて、新聞で訃報を読んだため線香をあげにきたのだ(ん?)。素人の探偵が事件に関与したわけを設定するのは意外に難しい。旅行中に同行した人に事件が起こるとか、宿泊先で事件がおこるとかは、そう簡単に起こるものではないからね。この事件での探偵の介入の仕方はとても自然。マープルはおしゃべり好きに、高齢の独身女性ということで、家の問題に無関係になれる。なので、つまはじきにされた老婦人に頼まれて、レックス家に滞留することになる。こうして彼女は自然に家の中にいてもよいことになり、普段は他人に見せない家の中を観察することができる。ああ、なるほど、この点においてはマープルはリュー・アーチャーと同じなんだ。ただ、彼女はハードボイルドなカメラアイの持ち主ではなく、積極的にコミュニケートして相手のおしゃべりを引き出すカウンセラーになっている。その行為はたとえば小川洋子「博士の愛した数式」の家政婦と同じ。家の人々にとって利害関係のない第三者として長くとどまることができるのは、家政婦と探偵くらいなものだという感想をここで裏書できた。もっとも先に真相にたどり着いていたのは、マープルではなく偏屈な婆さんであり、その方法はマープルと同じであったというところも皮肉。このあたりでもロス・マクドナルドに似たところがたくさんある。クリスティとロスマク。通常は水と油の関係のように読まれているだろうが、事件の構図や探偵の役割がとても似ている。そういうところに着目した研究はどこかにないかしら。
 ふつう、この小説はマザーグースの見立て殺人とされる。最初の被害者がポケットにライムギをいれていたとか、パイとなにかをたべているところを次の被害者が襲われたとか、マープルが歌詞にでてくるツグミを追えと示唆するとか。それは刺身のつま、というか赤いニシン。これを追いかけると誤ります。上のようにサマリーにまとめると、実は事件の真相は読み慣れた人のにはあきらかだろう(というか読み慣れるために通過するマイルストーンの一冊であるのだがね)。
 自分が関心したのは、見立て殺人とか、だれにも知られない毒殺方法とかではなくて、さまざまな伏線、証拠がさりげなくかかれているところ。それも会話や内話において。警視の読む新聞記事が事件の動機になっているなんてのは、再読しないと気付かない。もうこれが4、5回目の読み直しになるから、真相は知っていたのだが、それでも大胆に証拠がそこかしこに散りばめられているのに驚愕。そのうえ、事件の関係者にはそれぞれの小事件と謎があり、それもまた事件の構図にぴったりと合うように書かれているのも見事。
 1953年作。これは見事な佳作。「アクロイド」とか「そして誰も」みたいに探偵小説の形式に疑問を投げかける問題作ではなくて、形式の内側にあるのだけどその小技の使い方が見事。クリスティの長編ベスト10というのはあまり聞かないが、自分なら本作をいれるだろうな。