odd_hatchの読書ノート

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アガサ・クリスティ「ブルートレイン殺人事件」(新潮文庫)「青列車の秘密」とも

 アメリカの富豪ヴァン・オールディン氏は娘の結婚に不満だった。夫がいい加減な遊び人で金をせびってばかりなのに、別の女(ダンサー)にうつつを抜かしている。離婚しろといいだすと、娘は娘でフランスの侯爵に入れあげていた。「ハート・オブ・ファイア」というルビーを娘に渡し、夫には最近雇った秘書に離婚に応じるよう迫らせた。離婚は承諾したものの、オールディン氏の手切れ金はいらないと啖呵をいう。さて、娘は「富豪の列車」ブルートレインでニースに避暑にでかけることにした。ロンドン―パリ―リヨンを経由してニースまで半日かかる豪華な寝台車で一夜を過ごすのは無上の(金のかかる)娯楽。ニースに開け源田到着したとき、娘は惨殺されていた。ルビーは盗まれている。
 その列車には、娘の小間使いのほか(なぜかパリで下車するよう命じられた)、遊び人の夫、その愛人のダンサー、娘が入れあげる侯爵が乗り込んでいた。途中で娘の友人になった女性(最近遺産を相続して大金持ちになった)は車中で夫や侯爵に言い寄られ、夫の愛人のダンサー(旅の前に痴話喧嘩をしてよりを戻したい)は娘のコンパートメントに夫が乗り込んだと証言する。妻の資産200万ポンドは夫に行くはずで(遺言書なし)、紛失したルビーの模造品を伯爵は用意していてすり替えを狙っていたと見える。
 たまたまこの列車に乗り合わせたポワロが警察の依頼で事件に取り組むことになる。列車は問題なくニースに到着したので(尋問結果はどうなった)、関係者がパリ(それともロンドン? 情景描写がほとんどないのでわからない)に戻っている。ポワロが関係者の間を歩き回って、証言を得ようとする。

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 1928年発表の小説は、1926年から書かれた。解説によると、母の死と夫との不和(たぶん「アクロイド殺し」の悪評判とそのあとの失踪事件も)があって、精神的にきつくて、しかもストーリーに乗れない状態で書かれたという。なるほど、富豪列車を舞台にしていて(出版社の希望だったそう)、殺人事件に加えてルビーの紛失があり、独身貴族が富豪の女性にいいよるというのはクリスティには珍しいほど、第1次大戦まえの衣装をまとった物語。ルパンやルールタビーユがでてきてもおかしくない古めかしさがある。そういう陳腐な物語を導入しないと、書けなかったのだろうなあと同情。でも、乗り気のしない物語でも契約を履行するために完成させるというプロ意識はさすが。なにはともあれ結末まで書ききるというのは重要です。素人は乗り気がしないと止めてしまうからね。
 とはいえ、この「ブルートレイン殺人事件(「青列車の謎」とも)」は自分には水準作ないし佳作と思う。意外な犯人はなかなか健闘、事件のトリックは凡庸(錯誤を使ったシンプルなもので、古めかしい)。探偵小説としてはあまり見るところはない。そこではなくて、事件の観察者となるキャサリン・グレイの造形がみごと。貧困のために20代は使用人であったのが、遺産をもらって大富豪になる。知性はあるがマナーを知らない女性。おめかしをするのも初めて。美人であることもわかると、彼女に言い寄る男がひっきりなしに現れる。それを彼女は手駒に取るようにうまくさばいて、事件の共犯にならないようにし、真実の愛を見出そうとする。控え目であるが、意志の強い女性が現れた。ウィリアムスン「灰色の女」のコンスエロに似ているが、忍従はキャサリンにはない。ヨーロッパの戦争が新しい女性を生み出したのだと納得する。

   

 

 トリビア
 キャサリン・グレイは「セント・メアリー・リード」の出身。小説の終わりでこの村に帰ることになる。書かれなかったキャサリンの物語ではミス・マープルと出会っていたかしら。
 作中人物が「ロシア・バレエ」を口にする。ディアギレフの「ロシア・バレエ団」は1929年までパリで活動していたので、まさにこの「前衛」的な舞踊をみていたわけだ。