1926年から1936年までの昭和ゼロ年代。大正デモクラシーは「内には民本主義、外には帝国主義」であったが、この10年間で内はファシズムになった。
驚くべきことは、ファシズム体制が完成するまでに、象徴的な事件もカリスマ的な人物もでてこないこと。メルクマールとして1936年の226事件を挙げられるだろうが、これはファシスト軍人たちによるクーデター(失敗)。通常、ファシズムの完成までにクーデターや民間組織による大衆扇動などがあるものだが、この国ではそれはなかった。すなわち、憲政を唱え、立憲主義を実行している政治体制がそのままファッショ化していった。これには軍部の横暴や圧力があったにせよ、政治体制が自発的に変質していった。本書に書かれていない理由を21世紀の10年代の経験を踏まえて追加すると、憲法発布と帝国議会開催から30年たって、政治家が世襲化、ないし狭い人脈の中から選択されるようになったことが大きい。すでに持っているものが庶民や大衆と離れた暮らしをしているなかで国政を行うようになり、庶民や民衆の支持がないことから、金と力をもつ組織(財閥と軍部)にすり寄っていった/依存した/代弁者になった。
庶民や大衆の側もファシズムを希望する。自由民権運動以来、大衆運動・社会運動・労働組合運動はつねに弾圧され、庶民や大衆が支持する政治家や団体が現れない。投票行動や社会運動で変化が起きないときに、「維新」「変革」を呼びかけるファシズムが彼らの要求を代弁しているように見える。また社会でも深刻な不況、低賃金、物価高は改善されず、「国益」の要と妄信している満州や朝鮮が現地の人や外国によって損なわれていると思うようになる。第1次大戦中の好況のあとの「失われた10年」で、庶民や大衆の権利や利益が奪われようとしている/損なわれている/失われようとしていると思うようになる。そこにファシズムの「強い日本を取り戻す」のスローガンは彼らの要望に一致する。
政治家や財閥・軍部、庶民や大衆などがファッショ化した背景には、明治維新以来の皇民教育がある。政宗を一致させようとした明治政府は、他の事案では政治と宗教を分離したが、こと教育に関しては国学と神道の教育をやめなかった。命令されることになれ、命令されないと動きだすことができない。なので、権威や権力に盲従することが自発的な行為や考えになってしまった。もちろん自由主義的な考えをする人はいても少数。民間の啓蒙や啓発活動ではなかなか変わらない。国家の権威を自分のアイデンティティにするとき、国家の存立を危うくする「外」の抵抗勢力は脅威にほかならない。「外」の脅威には敏感に反応するようになる。ヘイトスピーチが国家によって奨励推進され、国外では侵略戦争になり、国内ではヘイトクライムになる。
庶民や大衆が抵抗できなくなったのは、組織化されなかったからだと本書はいう。そういう組織化を担った社会主義者や労働組合員が弾圧され、国家のデマで分断された。さらには、廃藩置県以来、村の合併が進み、共同体意識が薄れていった。身近な問題が他人事になってしまう。参加することが面倒になってしまう。
昭和ゼロ年代のファッショ化を記述してみた。21世紀の20年間に極めて近いことが起きている。弾圧、不当逮捕、秘密裁判、拷問が起きていないから、21世紀の日本はファシズムではないといわれることが多いが、それはファシズム体制の完成後の話。すでにファッショ化は進行中。
2021/03/01 大内力「日本の歴史24 ファシズムへの道」(中公文庫)-2
2021/02/26 大内力「日本の歴史24 ファシズムへの道」(中公文庫)-3 に続く