odd_hatchの読書ノート

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辻達也「日本の歴史13 江戸開府」(中公文庫) 侍は仕業から棒給取に変わる

 前巻「日本の歴史12 天下一統」に続いて、1600-50年ころを記述。前半の主人公は徳川家康。後半になると、特長的な個人は登場しない。強烈な個性を持つ人物の栄枯盛衰が、組織や制度の変革にとって変えられる過程に照応する。これは中世が近代の中央集権制・封建制に移行するしていく重要な時期。
 さてここでは、鎖国という政治政策や経済政策などはあまり触れられない。それはこのあとの「鎖国」「大名と百姓」の巻で語られることになるらしい。そうすると、まずは家康という日本型の独裁者のやりかたをみることになる。信長や秀吉という先行する覇者との関係は前巻に書かれているので割愛。中年になっての重要事項は、関東地方の領主になり、その地での経営に成功すること。これで経済的な基盤をもち、軍事的な優位性(京都からの遠隔地であるとか、同世代のライバルがほぼいないとかも)をもつ。そして豊臣家を蹴散らして、国土を支配する。その方法は

・大名の論功行賞権を持ち、領地を彼の意図で変えたり、家を断絶できるようにした。中世までの武士が土地との強い関係をもち、領主が変わっても土地に居座れば自営できる。そのような関係をこわし、武士が自立できないようにし、領主への服従か失業かを迫る。まあ、たいていは一家離散や廃絶を恐れたのであって服従するようになる。世に喧伝される「武士道」なるものもこの政策が徹底されてから作られた。内容も主(あるじ)への服従を説くものであり、中世までの自立や下剋上の「自由」は否定されていることに注意。

・直轄地を増やし、鉱山の経営権や海外貿易を独占する。他の大名の数倍の経営基盤を持ち、みかけじょうは一大名にすぎない徳川家の優位を確立。

・寺社勢力、朝廷にも経済的、軍事的な優位を持つことで、政治力をそぐ。奈良時代のときにできた朝廷≒天皇家の勢力は鎌倉時代の武士政権樹立後も残されていて、中世は二重権力構造になっていた。そのような宗教権力を世俗権力が凌駕して、二重権力体制をなくした(この一文はヨーロッパ的な書き方になったので、江戸幕府天皇制両方の曖昧さや微妙さを言い尽くしていないなあ)。

 こういう施策を進めるにあたって、家康は政治的な寝技(状況分析、交渉、陰謀など)の達人であったし、戦争の名人でもあってにらみを利かせていたし、ライバルになりそうな大名は信長と秀吉が退治してしまったし、と能力と機会をうまく使いこなした人だった。あと実権を掌握したあたりで、隠居して息子に家督と権力を譲るという戦略も見事にあたった(個人への忠誠から組織や制度への服従にシフトさせる)。味方にも忠臣にも厳しいところを見せ、この人によって殺されたり、失脚した人はたくさんいるという冷酷ぶりも見せる。それでいて、幼少時の苦労とか年長者へのへりくだりなどのエピソードで人気を持つという、良い人なのか悪い人なのかわからない人。
 家康の死(1616年からしばらくたって、島原の乱(1637-38年)がおきる。キリスト教禁制に端を発するというが、背景には、年貢の負荷が大きいことに対する農民の不満と、軍役や江戸の藩邸経営の費用負担に大名が赤字になっているという事情があり、大名の移動などで生じた浪人の不満(と就職先探し)に、在地性を失って窮乏化しつつある庄屋の不安などがない混ざって起きた。上記のような大名勢力、寺社勢力、在地性のある農民勢力の力をそいで中央集権制に移行しているとき、脱落した勢力を江戸幕府は暴力的につぶしていったわけだ。それが大阪冬と夏の陣であり、島原の乱。これらに勝利することで、江戸幕府はゆるぎない権力を持った。権力の移行や転覆があると、旧勢力ほかの不満勢力を叩きつぶす暴力が発生する(明治維新でも、ロシアやフランスの革命でも)。その一つの流れとみなせる。
 あと、鎖国について。通常は宗教政策とされる。その一面もあるけど、当時の西欧の状況を見ると、経済の中心がスペインやポルトガルからオランダに移行中。イギリスはまだ発展途上。フランスやドイツでは宗教紛争が起きて内乱が絶えない。そのためにアジア貿易はオランダの独占状態になり、複数の国家が協力して開国や貿易を要求することができなかった。国内では、それまで西の藩が独自に行っていた海外貿易を幕府が独占したいという意向もあった。そういう国際情勢や経済体制も一緒にみたほうがよい。
 さらに、家康や重臣が若い時に見た一向一揆の恐怖も、政策に反映しているのだろう。キリスト教の唱える神の前の平等など教義よりも、農民・百姓などの幕府体制からはみ出す組織化に脅威を見たのではないか。そのせいか、キリスト教の禁制とあわせて、檀家制度が強制され、検地とあわせて農民ほかは経済的宗教的な統制監視状態になる。また町民や商人には文化統制もなされるわけで、江戸幕府の社会統制は細部まで漏れるところがない。国内事情や為政者の都合だけで、単純にみてはならない。
 家康は個人的な能力もさりながら、軍人だけでなく行政官や財務官を重用して、経営や政治に活用していた(ちなみに天海とか崇山などの仏僧が政権の中枢に入ったのは、僧侶が文字を書き、計算できるという行政能力を持っていたため。網野善彦「日本の歴史をよみなおす」ちくま学芸文庫など))。これは先行者が軍人偏重の組織をつくったのと大きな違い。
 秀忠の時代になると、個人ではなく組織が行政と財務を担当し、家光の時代になると制度と法が整備される。ここで封建制が確立し、個人的・組織的な反抗では覆せないほどの強靭さを権力が持つようになる。一方でそれは、身分制度の確立と権力者の世襲制によって、社会の停滞と退廃が始まる。ぼろが出るまで250年かかったわけだから、それはそれで強靭なものだった(そうできた理由のひとつは、農地の開墾で生産量が高まり経済成長が持続できたこと。拡大する農地がなくなり過剰な労働力を利用する新事業がなくなったときに、幕府と封建制が揺らぎだした)。ここらは、現在の企業経営者や政治家は勉強したほうがいいよね。乱世の下剋上は起業の参考になっても、経営や政治にはそんなに役に立たないのじゃないか。

 余談。この江戸開府は、個人的には中国の秦の始皇帝による国内統一と官僚制の確立と同じ意義を持っていたと思う。その点では、この国の中央集権制は中国に1800年遅れた。そして、この国の封建制は250年の歴史を持ち、それを打倒する運動は多めに見積もって50年くらい。一方中国の封建制は2000年以上継続し、打倒する運動は150年以上。国土の大きさ、人口の多さ、文化の多様性などで説明できるだろうけど、このタイムラグにくらくらする。まあ、この国の1600年以降の歴史がどんどん加速していくのがわかるよなあ。

 

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