odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

池田昌子「14歳の君へ」(毎日新聞社) 禁止や命令をする昭和の「14際の君へ」本は捨てて、こちらを21世紀のスタンダードにしよう。「私は何者か、何になれるか」の問いはあとになって効く。

 「14歳」は教育学や発達心理学などでは重要な年齢だ。伸びるし、不安定だし。そこで大人が適切に手を差し伸べよう。かつてのような教養主義でも、父権主義でもなく、彼らを人間として対等の立場で助言やアドバイスを行おう。命令するのではなく、自分で考えることを勧めよう。
 というわけで、すでに14歳からもうすぐ半世紀を経過するロートルが読む。それぞれの章のサマリーのあとに、カッコをつけていらぬおせっかいを焼いてみた。

友愛 ・・・ 人の好かれたいより人を好きになろう。嫌いなもの・人があることはそのまま認めよう。
(でも、学校にいると、いつも同じ人といっしょにいるから嫌いな人・会いたくない人と必ず会わなきゃいけないんで、追いつめられるんだよな。)
河盛好蔵「人とつき合う法」(新潮文庫) 1958年

個性 ・・・ 自分らしくを求めることが自分を自分らしくなくしている。
(年を取ると、個性というのは周囲にやっている人がいない誰もができるようなことを継続してできていて、その人に任せていられることなのだろうなあと思う。)

性別 ・・・ 社会が強要するジェンダー観にまどわされるな。性差別に抗え。他人の性自認を認めろ。
(そのとき、歴史とか伝統とか習俗とかの権威や権力を持ち出す主張は疑え。過去を理由にする主張は誤りだ。)

意見 ・・・ 自分が思っているだけの意見ではなく、だれにとっても正しい考えをもて。
(だれにとっても正しい考えにいたるにはたくさんの勉強と議論が必要。相対主義ニヒリズム独我論で思考停止にならないように。)

勉学 ・・・ 成績の良し悪しと勉強のおもしろさは別。世界を知ることは自分を知ること。
(この章は試験を作るものや学歴で入社を決めるものが変わらないといけないということが書いてある。)

歴史 ・・・ 歴史を考えることの面白さは、個人としての自分を越えて考えること。自分に関係していると想像して歴史を勉強しよう。
(とするには過去500年前から現在までを知るべきだよなあ。興味が高じたらさらに過去にさかのぼればいい。「だれにとっても正しい考えをもて」のためにも近代史は重要。)

社会 ・・・ 社会科で習ったことを実践するのが社会だよ。学校で起きていることは社会でも起きていることだよ。大勢の人が集まって社会を形成すると悪い方向にいきがち。そのとき理想社会(ユートピア)をもとめるのではなく、理想的人間になろう。
(あと、個-社会の間に無数の大勢が集まったグループがあり、個はさまざまなグループに加わっていて、グループごとに別の役割を担っている。そういうイメージをもつのがよい。Aグループで受け入れられないことが、Bグループでは受け入れられることが多々あるから。)

道徳 ・・・ 道徳は難しいから自分で考えることをせずに、好き嫌いに従って生きるか、誰かが決めた善悪に従って生きる。どっちもあやまり。善悪とは何かを考えるのが道徳的。
(道徳や正義に言いたいことはいろいろあるけど「14歳の君」向けには「だれにとっても正しい考えをもて」で善悪を考えてほしい、にとどめよう。)

戦争 ・・・ 人はなぜ戦争するのかを考えよう。戦争の理由になる国家や民族共同体は作り事で、存在していないことに気づこう。
(あと、現在の不満や不遇などを解消するために「戦争が希望」などとは考えないように。)

自然 ・・・ 自然を守ろうのスローガンには人間は自然を支配できるという思い上がりが含まれている。
(極端な文明・技術嫌悪も、自然破壊肯定もだめ。あと「日本人は自然を大事にする民族」というのはデマ。)

宇宙 ・・・ 宇宙はどうなっているのか、どうして存在しているのかを考えるのは大事。同時にそれを考える自分の内界を考えるのも大事。
(でも宇宙やユニバースが神に支配されているとか、無限や永遠の前で「この私」「人間」の存在は無意味とかの思考の暗黒面に落ち込みやすいので注意しろな。)

宗教 ・・・ 人には宗教を求める気持ち、超越者や絶対者が存在し、善悪を決定する命令者がいると考えがち。でも「信じる」やり方で宗教を求めるのは終りの時代。
(というけど、新興宗教・カルト宗教の誘惑から防衛するには足りないのではないかな。千年以上も続く比較的まっとうな宗教の知識を持つのは防衛に有効と思う。あと日本人は宗教行為と思わないで宗教行為をやっているとても宗教的な民族・国家であることにも気づこう。)

言葉 ・・・ 言葉の秘密は世界成立の秘密に等しい。もっと古典を読もう。
(語彙が少ないと表現が乏しくなるし、読解力が足りないとコミュニケーションができなくなる。)

画像

https://twitter.com/KoalaEnglish180/status/1687267572595720192 から

お金 ・・・ お金は大事。
(以下、貨幣の物神化フェティシズムの危険、労働のブルシット・ジョブ化、幸福と資産のバランスなど。)

幸福 ・・・ 幸福であることは心のありよう。労働に就くことは幸福とは必ずしも結びつかない。
(なので、就職の失敗を人生や幸福の失敗と思い込まないように。あと好きなことを労働にすると挫折することがあるよ。体調が悪くても気分が乗らなくても、レベルを落とさないでできることを労働にするのがよい。といいながら、ほとんどの就職はキャリアアップの道筋がないし、創造性を発揮できるものではないんだよなあ。)

人生 ・・・ 人は必ず死ぬ、このことをしっかりと受け止めてしっかりと行きましょう。人生の不思議を知り、それについて考えよう。それ以上のおもしろいことはない。

 

 カッコの後に付け加えたことは、ほんとうにいらぬおせっかいだったな。「14歳の君」はこの感想など無視して、本書を読み込んでいる大人と付き合うほうが良いです。
 自分は3月の早生まれなので14歳は中学3年生の時。そのときを思いだせば、なるほどこの本は当時の自分に突き刺さったにちがいない。というのも、自分のティーンエイジにあった「14歳の君へ」の本は次のようなもの(最後のを除く)で、その時にはほとんど突き刺さらなかったから。
佐藤紅緑「ああ玉杯に花うけて/少年讃歌」(講談社文庫)1927年
吉野源三郎「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)1935年
斉藤喜博「君の可能性」(ちくま文庫) 1970年
安野光雅「ZEROより愛をこめて」(暮しの手帖社)1988年

 

 14歳より前のこどもは「じぶんら」と「大人ら」の二区分で物事を考えていて、モラルや倫理が完成していたが、14歳になると「世界」「社会」はもっと複雑で、「じぶんら」のなかにも大小さまざまなグループがあり、ヘゲモニー争いやヒエラルキーがあって翻弄されるし、「大人ら」はもっと面倒くさい仕組みになっていることがわかってくる。同時に親や教師からの禁止の命令が強くなり、やっていいことの範囲が細かく指示される。そういう不自由さとモラルや倫理の通じなさで、いつもダブルバインド状況に置かれている。それを解明したり問題解決したりする指針とするには、上の男たちが書いたものは「14歳の君へ」寄り添っているように見せかけながら、禁止や指示をしてくるものだった。
 もうひとつの問題は、「14歳の君」が直面している問題の多くを内面の問題とするところ。たしかに知的好奇心が生まれて、乏しい語彙で考えるからこの年齢は独我論に陥りやすい。内面の問題にすることは「14歳の君」とシンクロ率が高い。それが高じるとニーチェなんかにかぶれて、ニヒリズムや過激な相対主義にいって抜け出すのがむずかしくなる。なので、この章建てのような社会や世界、差別、戦争などの実際に起きていることをかんがえるのは重要だと思う。
 いまでも上掲書は人気があるようだが、21世紀には本書を古典にしましょう。

「受験の役には立ちませんが、人生の役には必ずたちます」。

 いいですね、このことば。

 

 

 ティーンエイジに思いまどうことになる「私は何者か、何になれるか」の問いは、どこかに所属して継続的な収入を得られるようになると解消する。所属先で行う労働が「何者」の回答になるから。でも、この問いが必要なのは所属先の外にいる人たちに何ができるかを考えられるようになるから。抽象的な他人や三人称で呼び合う人たちへの関心が生まれ、活動する可能性になるから。
 で面白いことに、定年や身体の衰えで所属先から離脱して肩書をなくすと、政治活動やボランティアを行うのをためらう壁がなくなる。メッセージを発信したり、他人を助ける活動を熱心に行えるようになるのだ。そうなる人は若いときに「私は何者か、何になれるか」をきちんと考え、戸惑い、迷っていたと思う。
 今すぐ答えをだせなくても、問いを考え続けると、いつか問うことと考えることの意味や価値が現れる。