初出が解説に書いていないが(いつ書かれたかの情報は必須!)、最後の中編を除いて1860年代、作家初期のものらしい。
私の懐中時計 ・・・ 正確無比な懐中時計が時を正しく刻まなくなったので、修理してもらう。そのたびに、ますます正しい時刻(とは何か)からずれていく。
(20世紀になると時計は人間を拘束するようになる。チャップリン「番頭」「モダン・タイムズ」、フリッツ・ラング「メトロポリス」。でも、このころはまだ時の管理から自由であろうとする意欲があって、かつ技術が不十分であって、時計に対して憤慨するだけの強さはあった。でも社会から時刻を守れという強要があって、人間は時計の管理から逃れられなくなる。エンデ「モモ」など。またテイラーシステムやフォーディズムの前であったこの時代、労働者は時計の管理に反抗することもあったらしい。スコット・M・ビークマン「リングサイド」(早川書房)。)
私が農業新聞をどんなふうに編集したか ・・・ 農業のことを全く知らない男が農業新聞を編集した。
(もしもイエロー・ジャーナリストがビジネス書を作ったら。この時代はアメリカの開拓時代で、町ごとに新聞があった。)
百万ポンド紙幣 ・・・ 最初の作品という。一文無しでロンドンにたどりついた青年に、老人二人が「百万ポンド紙幣」(現在のレートにしたら、1のあとにゼロが20くらいつくのか)を渡して、一か月後に戻れという。文無しがひと月その紙幣で生きていけるかという実験。
(紙幣にはイングランド銀行の印があるので書式上では有効で国家の裏付けもある。でもおつりを手配できないから、誰も決済できない。結果、それを持っている個人は実質ただでものを購入でき、名士にさえなる。この想像上の紙幣は有効にはたらき、しかも誰にも支えられない信用で、さらに貨幣を集めることになる。この紙幣のマジックがほら話を支えて、いかにもありえると読者を思わせるのだ。このおとぎ話のリアリティを支えるのは1860年当時、世界の経済と金融の中心にあったロンドンという都市の存在。「イングランド銀行」の印が紙に書かれた幻想をリアルにしたのだ。これだけの資本と貨幣が集積する都市はロンドンのほか世界中のどこにもない。一方、ロンドンでは格差の拡大が進行していた。悲惨な生活を余儀なくされた人はディケンズの小説やエンゲルス「イギリスにおける労働階級の状態」に詳しい。)
噂になったキャラベラス群の跳ぶ蛙 1865 ・・・ なんでも賭けにする男がカエルを使って儲けていた。たまたま居合わせた旅人をあいてに賭けを持ちかけた。
(このほら話はよく知られているので、置いておくとして、ある人の消息を尋ねに来たのに、名前のよく似た別人の話を延々と聞かされるという枠をどう解釈しよう。)
(参考。PKDの「根気のよい蛙」 The Indefatigable Frog 1953.07
2018/09/25 フィリップ・K・ディック「ウォー・ゲーム」(朝日ソノラマ文庫)
エスキモー娘のロマンス ・・・ エスキモー(ママ)の娘が自分の家の財産自慢をする。婚約者を呼んだとき、父の宝物である金属製の釣り針を盗んだという疑惑がかけられた。
(アメリカがアラスカを購入したのは1867年。そのあとに書かれたものだろう。釣り針紛失とその解決は、最初期の探偵小説として読めないこともない。それを台無しにするのは、語り手の善意の差別意識にある。エスニックマイノリティの自慢をそれより多くの富と物をもっている西洋人が慇懃無礼に聴くという構図になっているから。そして本人のいないところで悪口を言う。気分がよくならない作品。)
実話 ・・・ 奴隷だった黒人が生き別れになった息子と出会う話。息子とわかるのは、幼いときにつけた傷跡。
ハドリーバーグの街を腐敗させた男 1890 ・・・ 正直者で有名なハドリーバーグに匿名の外国人がかつて受けた恩義に報いたいが、だれかわからないので探してほしいと、行李を置いて行った。自分が受けた恩義の言葉と同じ文句を言ったひとに莫大な金を贈るという。そんな外国人は知らないと誰もが思ったが、匿名の手紙で秘密の文句を教えてもらった。その直後から町の名士は金をはずむようになり、日曜日の教会で行李が開けられるのを楽しみにしたのである。とても皮肉な結末。
(名士たちは金の誘惑に負けて偽証したのであるが、そうなったのは「百万ポンド紙幣」と同じく貨幣の秘密にある。額面は大きいが、信用の裏付けのない貨幣がきたとき、貨幣の流動性を所有できると思い込んだときから、経済は流通する。字義通りのバブル経済が発生する。そして信用が破綻したときに、バブルははじけ、貨幣は暴落する。この町ではバブルに巻き込まれた者が少数で、ものやサービスの移動がなかったので、恐慌はすぐに終焉した。貨幣の信用はそれを所有する個人の信用も支えていたので、名士たちの名声も失墜することになる。作者は貨幣の秘密をよくつかんでいるなあ。なお、作中にはAP通信社が登場。ピンカートン探偵社らしき人物も登場。)
1860年代というと、日本は明治維新前で近代文学はない。ロシアはドストエフスキーが「罪と罰」以降の五大長編を書きだしたころ。イギリスはディケンズとコリンズが活躍していた。その同時代のアメリカ人は、とても今日的なスタイルの小説を書いた。とくに貨幣経済についての観察は鋭い。これとマルクス「資本論」があれば、貨幣の秘密は全部わかるのではないか(と、ほらを吹く)。ヨーロッパの作家のように人物の内面を描写することには拘泥せず、行動と会話だけでその人を描く。おそらくディケンズやドスト氏のみたような人物と同じような人物が描かれているのだが、彼らの描く人物ほどのすごみはない代わりに、隣にいるようなリアリティをもっている。アメリカの行動主義的な心理観が一貫しているのだ。それはジャーナリズムの方法と同じで、センセーショナリズムを除けばトウェインのようになる。
アメリカは西部開拓時代で、草の根民主主義を実行し、資本主義の自由経済で生活と労働をしている。貴族や王侯などの封建社会の遺物による抑圧がないのが、トウェインの平明さとリアリティのもとになっているのかな。とはいえ時代の制約はあり、とくに「エスキモー娘のロマンス」にあるように、ヨーロッパの移民には敬意をもち人権を尊重しても、ネイティブに対しては敬意も人権意識も持たない。黒人も「見えない人」となって作中に登場しない(「トム・ソーヤー」や「ハックルベリー・フィン」には登場する)。ここはとても気分の悪いところ(当時のアメリカ社会全体がそうだったから、トウェインを責められないが)。
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