odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第六章 《愁いの王》」-1 第二日の午前。一人で始まった舞台に、次第に人が集まり、狭いボートや印刷工場が満員になったところで幕になる喜劇の構成。

2021/06/11 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第五章 夢魔の世界」-3 窮極の秘密を打ち明ける夢魔 1975年の続き

 

「第六章 《愁いの王》」(第二日の午前)

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 前日の夕方から立ち込めた霧は晴れて、日差しが出てきた。物語の中にいる人たちは、それぞれの思惑と新たな事件に突き動かされて、表にでてくる。最初の凶報は病院から矢場徹吾が「盗まれた」こと。深夜に侵入して連れ去ったと思われる。黙狂の矢場が意志で動くとは思われず、「盗まれた」というしかない。知らせを伝えに来た岸博士と与志がでていく。残された安寿子と津田夫人は✖✖橋に向かい、その先の印刷工場を訪れるつもりだった。
 普段は昼に起きている 寝ている黒川は起きていて、「神様」とあう。河にあるボートに乗って漕ぎ出すと、「神様」は衰えた鷗を見つけ、救い出した。「神様」の抱える腕の中で、ビスケットなどを食べているうちに鷗は次第に力を出せるようになっていく。土手を歩く首猛夫が黒川に呼びかけ、ボートにのり、さらに安寿子と津田夫人も乗せる。こうしてボートに5人と一羽が乗り込み、黒川がオールをこぐ。途中、首が「愁いの王」という寓話を語る。それが与志を揶揄しているように聞こえた津田夫人が首に詰め寄ると、ボートは転覆。5人と一羽はボートにしがみつく(誰がどこにいるか、詳しく記述されるので、メモするとよい)。
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元気になった鷗を放すために、黒川がボートによじ登り、「神様」が鷗を空に飛ばす。美しい虹。再びボートはバランスを崩し、全員が泳いで河岸の階段から上陸。近くにある印刷工場の主・李泰洋が彼らを見つけ、休息に来るよう誘う。そこに岸博士と与志がやってくる。
 一人で始まった舞台に、次第に人が集まり、狭いボートや印刷工場が満員になったところで幕。第一章のような喜劇の構成。
 存在をめぐる考察は第五章で闇の極致ともいうような暗さを示していた。高志の語るスパイ査問事件の陰惨さがそれに輪をかけるのであるが、この章になると陽光が射すのに誘われて明るさが出てくる。ひとつは前の章で「自ら出現を拒否してそのはじめからそのおわりまでその姿を見せない不思議な空虚のそれ、その茫洋茫漠たる永劫の非在(P241)」が「そこにあるともいえず、また、そこにないともいえぬあの虹(P390)」に例えられるようになったこと。なるほどある/ないの対立を解消する在り方が美しいイメージとなって現れた。その通りに、「神様」が手から放した鷗は水面を飛ぶにつれて、水の粒とあいまった虹を翼の下に見せて、どこか遠くにまで飛んで行ったのだ。なるほど、疲れてうずくまっていた鷗が次第に元気を回復して、自立して飛ぶようになるというのは、この登場人物たちが第六章で経験し語ったことの象徴に他ならない。いずれは永劫の非在に還るのであるとしても、その瞬間の虹は美しい。その虹は単独で現れるのではなく、「在る」がそとと触れ関わることで見える/おのずと発するのである。とすると、存在/非在の秘密は「そと」と触れかかわる行為にあるらしい。
 もうひとつは津田夫人のキャラクター。およそ哲学などに無縁であった女性であったとしても(本書では思索にふけりアイデアを出すのは男性、そのアイデアを受動的に受け止めるのが女性と、ジェンダーバイアスが強くかかっている)、彼女の本質直観はいきなり核心を貫き、しかも明るく元気になるように助言するのである。ここでも安寿子の結婚相手である与志を世俗的に知りたいという欲求から、首や黒川の饒舌で深淵そうな話をききながらも、

「これまでまったく在ったことも見たこともない怖ろしい何かをまるでこと新しくつくり出してしまう途方もなく馬鹿げたことばかりを考えているはしからはしまでがらんどうのからっぽの魂の不治の病気をなおすことまで、この私はひきうけているんですからね(P390)」

と気丈にふるまい、むしろ生活や労働(あるいは首や高志や矢場らが熱中した活動)の場では彼らを凌駕する活躍を示すかもしれないのだ。
 さて、彼らが集まった印刷工場では「何かが持ち出された」ようであり、それは高志が逮捕される直前に三輪家の一部を吹き飛ばしたダイナマイトであるらしい。工場を借り受けひとりで運営している李泰洋とはだれか。工場に入ってから無口になった首は何を考えているのか。


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2021/06/07 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第六章 《愁いの王》」-2 1981年に続く