odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第五章 夢魔の世界」-3 窮極の秘密を打ち明ける夢魔

2021/06/14 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第五章 夢魔の世界」-2 スパイ査問事件 1975年の続き

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 「あの人(尾木恒子の姉)」の死んだいきさつを聞く与志に、高志は「窮極の秘密を打ち明ける夢魔」の話をする。巧妙に回避したようだが、高志の作った話のなかで「一角犀」が死んだことと「あの人」に関係していることが暗示される。
 さて「窮極の秘密を打ち明ける夢魔」は、不眠症で深夜に起きている高志の部屋に現れる視線の持ち主(とは一体何か)。高志を見下ろしている影はとらえようがないが、あるとき高志は影をとらえる方法を派遣する(不意に視線を変えるという方法は西洋の夢魔をとらえるやりかたそのもの)。みつかったそののっぺらぼうは「とうとうおまえに会ったな」とほくそ笑む。高志の思念をとらえて、千億光年の先からやってきたという(1970年代に宇宙の大きさは100-150億光年と見積もられていたので、宇宙を超えた先。それに当時の宇宙論は宇宙の先という概念もなかった。閉じていて「その先」は科学ではとらえられない、考えるのは無駄、というのが専門家の答え)。そののっぺらぼうがいうには、存在の難問、主体/客体、生/宇宙、意識/存在の変革を実現し(とはなにか)、存在の究極の秘密を明らかにしたという。上の秘密の二項対立を止揚して意識=存在であるとするのだそうだ。そのうえ存在は苦悩や苦痛ではないであるともいう。このあたりの長い説明はあまり面白いものではなかった。肉体よりも精神を重視する、大事だと考える登場人物たちの考えの延長にあって、精神が肉体(物質)の制約を超えて、超越的になるという話だから。のっぺらぼうがいるのは、肉体(物質)の制約のある宇宙を超えたどこかであるし、高志のもとにやってくるのも高志の思念を追いかけてきてのこと。西洋中世の神秘思想の影響を濃厚にもっていて、そこに当時の最新の宇宙論を添加したようなものだ。たとえば、宇宙はひとつではないといって、パラレルワールド(並行宇宙)や可能世界の可能性を示唆し、茫漠な超宇宙(としかいいようがないな)で泡のように宇宙が生まれるというアイデアも。
 そのような存在の可能性の多様性がありうるのは、

「自ら出現を拒否してそのはじめからそのおわりまでその姿を見せない不思議な空虚のそれ、その茫洋茫漠たる永劫の非在(P241)」

であり(これは「死者の電話箱」にでてくる「還元物質」にとても近しい)、

「ついに頭を擡げず俺達に永劫に姿を見せない暗い秘密の棺の列をまず支えているのは、未出現の巨大な、目も、鼻も、口もない《のっぺらぼう》なのだ(P242)」

と未出現や空虚や永劫が存在の基底にあって、そこでは苦痛や苦悩や自同律の不快ではなく、

「目もなく鼻もなく口もない《のっぺらぼう》は、《自分自身》の上に隙もなく重なって(略)、一抹の不快も覚えず、こうぼんやりと重い山塊の木霊のように重なりつづけて呟けるのだ。『俺は俺だ……』とな(P243)」

 不快、否定を続ける人間存在に対して、時間と空間(すなわち肉体、物質)の制約を超えた超越的存在を対置することによって、肯定を置いていく。
 ちなみに超越的なのっぺらぼうは高志を通じて人間を非難、嘲笑、弾劾するときにはのっぺらぼうであるが、のちに赤ん坊の泣き声にあわせて現れるとき目鼻立ちを示すのであった(第八章)。
 深夜からの話はついに明け方にまでおよび、疲労した与志は自室に戻って仮眠をとる。 

    

    

 

2021/06/08 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第六章 《愁いの王》」-1 1981年に続く