odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第三章 屋根裏部屋」-1 第一日の夕方から日没。「屋根裏部屋の思考」は個に徹することで宇宙や無限大に跳躍するのであり、人間を超える存在革命を指向する。

2021/07/02 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-3 1948年の続き

 

 第三章 屋根裏部屋(第一日の夕方から日没)
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 語り手は、この時代を酷しき「紛糾と錯乱の支配する」鉄の時代であるとする。それ以前の金や青銅の時代から衰退・退廃して鉄に至ったというのが語り手の時代認識。そこには昭和10年代の社会運動に対する弾圧や表現思想への権力の介入などで自由を実行しえない背景がある。実際に、この章で首猛夫は収監される前に喫茶店で公安に逮捕された経験を語り、それが社会運動の仲間の裏切りによることを明らかにする。権力の弾圧が「転向」を強いたように、思想もまたおそらくギリシャの黄金時代以降、紛糾と錯乱が蔓延し、存在を明らかにしえないどころか、不快を感じるくらいに形而上学は混迷していた。それらの事態を指しての「鉄の時代」(あとビスマルクの「鉄血政策」のように戦争(と革命)の時代であるという認識もある)。
 図書館の屋根裏部屋に住みつく黒川建吉。もはや本を読むこともなく、屋根裏部屋を歩き回りながら沈思し、夜に街を歩く生活をしている。図書館の近くにある鋳掛屋(李さん:彼は黒川に「悪いこと、ある」と予言する)がわずかな知り合い(黒川と首の議論中に安寿子が来たとつぶやく)。どうやら黒川の部屋に出入りしていた矢場徹吾は李さんの口利きあたりか、近くの✖✖橋の向こう側にある印刷工場の地下室で失踪中に「仕事」をしていたらしい。李奉洋(リーポンヤン)という名前を知る。黒川の部屋に首猛夫が来て(津田の自動車から降りた後にやってきた)、長い会話。黒川は首に「何をたくらんでいる」と訝しがる。首が出ていくのと入れ違いにきた与志(葬儀の後に来た)も首に「何をたくらんでいる」と尋ねる。しばらくして二人は街にでて、「ねんね」とそのあとをつける「筒袖の拳坊」こと護衛兵とすれ違う。なんと黒川はこの二人を知っていて(「ねんね」は処女の淫売婦をやっていて、護衛兵はその無償の用心棒)、しかも「神様」とは友達。日没をみた二人は矢場を見舞いにいくといいあって別れる。
 図書館の屋根裏は昼であっても暗い。わずかな隙間から光がもれるくらい。外に出ると、日没前から運河の近くにある街には深い霧が立ち込めてきて、あたりを包んで、何事も判然としない。このような舞台になるのは、上の「鉄の時代」の時代認識を反映している。なにごともあいまいで判然とせず、紛糾と錯乱のなかにいる/あることを象徴しているのだ。
 首猛夫は黒川を「屋根裏部屋の思考」という。黒川の暮らしが昼夜逆転、他人との接触を極限まで減らしていることの揶揄である(ドスト氏「地下室の思考」のパスティーシュ)が、同時に閉塞された空間がそのまま反転して宇宙に通じることもなぞらえている。個に徹することが宇宙や無限大に跳躍するのであり、人間を超える存在革命を指向することになる。
 ただ、俺が読んでここに納得しがたく感じることがある。闇や霧があたりをおしつつみ、暗闇の部屋にいることによって、彼ら(主要登場人物)は街や人をはっきり見ることができない(黒川と与志が日没と橋を見るシーンに顕著)。そのために、もともと生産活動に従事せず、家族を持たない彼ら「異端者」、探究者は他人のやっていることが見えないし、見ようとしない。すなわち認識することを主題にした人物は、生活や労働や活動@アーレントと無縁なのだ。この章では労働者として鋳掛屋がでてくるが、彼の存在や言は黒川や与志、首らの探求に影響を及ぼさないし、歯牙にもひっかけない。具体的な生活者や労働者、さらには社会運動にも(いくらみな「転向」したとはいえ)無関心で嫌悪する認識運動とはなにか。
(なにしろ、この屋根裏部屋で他者ともいえるのは、板一枚先にいるらしい蝙蝠のみ。蝙蝠がネズミか鳩のような挙動を示すのは滑稽だが、ものいう人に黒川も与志も無関心なのに、人間には無関心な蝙蝠には興味や親愛を感じる彼らもまた滑稽。)


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2021/06/29 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第三章 屋根裏部屋」-2 1948年に続く