odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第四章 霧のなかで」-2 他人に無関心で、自分の肉体にも興味をもたないと、未出現者や「存在の苦悩、生の悲哀」をもたらした最初の最初の存在の問いに答えられない。

2021/06/28 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第四章 霧のなかで」-1 1948年の続き 

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 与志が橋を渡って先にやってきたのは、尾木恒子にあうため。21-22歳くらいの彼女は一人暮らしの保母。夕刻にならないと帰宅しないと聞いていたので、遅い時間にやってきたのだ。会うのは数年ぶり。恒子の姉の死以来だった。断片的な会話によると、恒子の姉(名は明かされない)は与志の兄・高志の恋人であり、三輪家との確執において死んだものらしい。高志は先に与志に女性の写真のはいったロケットを渡していたが、その写真の女性と恒子が似ているのはそのような理由。
 恒子は、三輪家は魂の奥まで冷え切っていると断罪する。すなわち、おそらく姉が妊娠したとき、三輪家の祖母は高志の子を産むのは姉ではないといった。祖母は高志そっくりの子が生まれるのを望んでいたのであった。また姉が死んだあと、恒子が高志を訪ね「姉がお話したいから是非きて下さいと云った」ところ、高志は返事をしぶり「もう一度云ってごらん」「帰んなさい。子供が嘘をついてはいけない」と命令するように突き放す。
 加えて、泣いている赤ん坊をあやそうとする恒子を与志はさえぎり、「泣くのを止めてはならない」「泣くのは自身を揺り動かす起動力」「最後まで泣くのを味わいつくさねばならない」「赤ん坊は陋劣」「泣いてもその場にとどまっている」という。他人に無関心で、自分の肉体にも興味をもたない与志からするとあたりまえの論理的帰結であるのだろうが、現に今泣いている赤ん坊(それは空腹だったり、排泄で汚れているという訴えであったり、睡眠への要求であったりと具体的な問題をもっている)を放置する。このやり取りを読んでいる最中、俺は与志に腹が立ったね。イワン@カラマーゾフの兄弟が、泣いている赤ん坊や幼児が放置されていることにいかったり、現実の大多数の平安が一人の辱められた幼子の存在に支えらえていることに憤りを感じないかと訴えたりすることを無視しているのではないか。あるいは、「吾あり」「吾は吾なり」と発話できない存在は、存在の探求の対象外になるのか。自発的な運動のできない高志と、世話が必要な赤ん坊の価値や意味は等価ではないのか。生まれたばかりの子供の問いかけを無視する立場にいると、生まれてすぐ亡くなった子供や生まれる前に亡くなった子供の批難や告発(@第7章「最後の審判」)に答えられないのではないか。そういう三輪家のミソジニー権威主義を受け入れられなかったのだよ。高邁な思想や動機を持っていたとしても、パフォーマンスや成果に問題があれば、全体として過ち(不正義、悪)だから。
 恒子は与志に「赤ん坊が泣くのは寂しいから」「人の気配をほしがっている」「赤ちゃんから愛を学ぶ」とさとす。それに呼応してか、外のベンチに座っているとき、霧と闇から赤ん坊の小さな影が現れ、与志に向かって這っていき、胸の上に登ってくる。それを与志は抱き上げる。ようやくここで与志は自分の思い通りにならない<他者>を発見したわけだ。与志の転換がここから始まる、のではないかという予兆。
 与志は恒子がもっていた姉のロケット(なかに高校生の高志の写真)と高志のロケットをもって、次の訪問先にいくために恒子のアパートを出る。
 最初の「近代文学」の連載(昭和23年1948年)はここまで。1975年に第5章「夢魔の世界」がでて、第5章までの「完本」がでたときに、第4章まで手が加えられた。現在流通しているのは、改稿後のもの。ネットを探すと異同前の文をよむことができる(はず)。


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2021/06/15 埴谷雄高「死霊 II」(講談社文芸文庫)「第五章 夢魔の世界」-1「死者の電話箱」 1975年に続く