odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

ジェデダイア・ベリー「探偵術マニュアル」(創元推理文庫)

 その名前もない都市には、<探偵社>がある。組織の全貌はつかめないが、とりあえず探偵と監視員と記録員と記録管理員と用務員という職務があるらしい。

「雨が降り続ける名もない都市の〈探偵社〉に勤める記録員アンウィンは、ある朝急に探偵への昇格を命じられた。抗議のため上司の部屋を訪れるも、そこで彼の死体を発見してしまい、否応なく探偵として捜査を開始するはめに。だが時を同じくして都市随一の探偵が失踪、謎の女が依頼に訪れ……アンウィンは奇々怪々な事件の迷宮へと足を踏み入れる。」
探偵術マニュアル - ジェデダイア・ベリー/黒原敏行 訳|東京創元社

 本書の半ばに来ても、状況は杳として不分明で、何が起きているのかわからない。とりあえずは、アンウィンは都市のヒーローである探偵シヴァートの専任記録員で、彼の解決した「最古の殺人容疑者の事件」「11月12日を盗んだ男の事件」「ベーカー大佐三度の死事件」という3つの難事件の勝利を記録した。駅でチェック柄の女を見てから、上の出版社サマリーのように「探偵」にされ、上司の殺人事件を追うことになり、行く先で3つの事件が誤った解決になっていて真相がわからないということ。それに眠り病の助手がついて、ときに自室で食事をともにすることもある。
 さてこの都市にはかつて「カリガリの旅回りサーカス」がいて、そこに高名な魔術師ホフマンというのがいた(「カリガリ」「ホフマン」から引用元の先行作をすぐに想起しよう)。彼は都市の闇、犯罪集団を牛耳っているようであるらしいが、行方はわからない。彼の行方を知ることが、上司の殺人とシヴァートの失踪とアンウィンの最初の依頼の3つを解決するてがかりになるらしい。都合6つの事件、そして<探偵社>のシステムの鍵となるのが、元記録員で今は博物館員であるムーア。彼とタクシーに乗っているうちに、街が眠りにつかされ、わずかな探偵社の職員だけが起きていて、彼らは<探偵社>の記録保管庫に降りていく。

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 おれはいったいなにを言っているのだ。表層のできごとをそのままなぞっていてもちっとも「物語」が再構成されないぞ。どうやらこの都市は夢と現実、意識と無意識の境界はあいまいで、技術をもつものは自由に行き来できるらしい。荘子にでてくる「胡蝶の夢」がリアルであるような場所なのだ。アンウィンもシヴァートも他人の意識の中にはいっていき、都市そっくりの他人の「夢」の場所で、カッコつきの現実に連続したアクションと思考をすることができる。おれはいったいなにを言っているのだ。都市のシステムを詳述しても、ちっとも訳が分からないではないか。
 解説によると、この趣向と同じアイデアアメリカ映画が日本ではやったと書いてある(邦訳2011年)が、何を指すのかわからないので(ネットで見ると、マーチン・スコセッシ監督の映画「シャッター・アイランド」、クリストファー・ノーラン監督の映画「インセプション」が候補)、おれが勝手にブッキッシュな話題にすりかえると、まずこの小説から思い出すのは、C・G・フィニー「ラーオ博士のサーカス」(ちくま文庫)。本書の謎の中心がサーカスにあり、そこにおいて夢幻と現実の教会があいまいになるところ。夢の世界の探偵というのは、荒巻義雄エッシャー宇宙の殺人」(中公文庫)。これもまた他人の夢にダイブできる夢探偵の物語。エッシャー幾何学的な世界ではなく、闇と混沌の不条理な世界はむしろカフカに近いか。そうして、解説にもあるようにボルヘスカルヴィーノを外すわけにはいかない。(あと登場人物の名前にもダブルミーニングが入っていると思う。その解読にはたくさんの読書経験が必要に思われる。さらには本という形式にも挑戦)。
 そんな具合にファンタジーの方からよむことになるのだが、実は探偵小説の枠組みははずしておらず、「謎」は最終章で「解決」する。いくつかの家族関係が明らかになり、社会や制度の構成理由まで踏むこみ、成立の歴史がでてくるのはみごと。前半3分の1までにかかれたどうでもよいような細工が終章において重大な意味を持っていることになり、伏線の張り込みと回収は見事。ここでは「誰が犯人か」「どうやって犯行を行ったのか」などの探偵小説の謎は重要ではなく、「何が解かれるべき謎なのか」が主題。そうとうに複雑な仕掛けになっているうえ、解決のあとの長いエピローグで書かれた「決断」の意図も腑に落ちず、もやもやした読後感が残るので、再読したほうがよい「ミステリー」。そのうえ、さまざまな先行作品のことを思い出すことを要求するので、すれっからしの読者向け。
 この文庫はときに思いがけない不思議な本を発掘して紹介するなあ。目利きぞろいなのだろうね。

 

<参考エントリー>
C・G・フィニー「ラーオ博士のサーカス」(ちくま文庫)
辻真先「アリスの国の殺人」(双葉文庫)
荒巻義雄「エッシャー宇宙の殺人」(中公文庫)