odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ウィリアム・ヒョーツバーグ「堕ちる天使」(ハヤカワ文庫)

 ハワイが併合されたのがニュースになったというから1959年のこと。ニューヨークのしょぼくれた私立探偵ハリー・エンジェルに、ルイ・シフルという男からおよそ20年前に失踪したスイング・ジャズ歌手ジョニー・ファイバリットの行方を捜してくれという依頼が舞い込む。シナトラ以前にもっとも売れた歌手だが、兵役にでて植物状態で帰還した後、ずっと病院で加療しているのだという。すぐに病院はわかったが、医師は面会謝絶といい、裏から手を回すと15年以上前に連れ出されているという。医師はエンジェルと話し合った自室でピストル自殺した。
 ジョニーがかつて所属していたバンド連中を見つけて歩き回ると、歌声のメロウさとはうらはらに、気難しく高慢なジョニーは嫌われている。しかもエンジェルの捜査を先回りして、口封じのためにか脅しをかけているようだ。情報を得られないどころか、彼らは次々と殺されていく。彼らの数少ない情報によると、ジョニーは下町の黒人やプエルトリカンが信仰しているブードゥーに深く関係していたという。ブードゥーの巫女でジョニーと親交のあったイヴァンジリン・ブラウドフッドによると、その儀式にも参加していたらしい。イヴァンジリンには娘のイピファニーがいて、父はジョニーだと打ち明けられる。17歳のイピファニーは年の離れたエンジェルになつき、誘惑する(ブードゥーは1950年代にはやったのか。アイリッシュ「パパ・ベンジャミン」フレデリック・ブラウンのショートショートなど同時代にブードゥーの登場する小説があった。)
 もう一つのてがかりは、ジョニーが婚約してすぐに解消した相手。海運会社を経営しているクルーズマーク家の娘マーガレットだ。彼女は霊媒の双子の妹ミリセントがいるという。エンジェルはミリセントにジョニーの生年月日をいって占星術の占いを頼んだ。その結果を受けとることになっていたが、彼女も殺されているのを見つける。ジョニーの捜索は暗礁に乗り上げ、ときにチンピラに脅され、廃駅の構内やアパートで殴られたりもする。どうしてジョニーを調査すると妨害があるのか、エンジェルは苦悩する。

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 ここではある重要な情報を故意にまとめに入れなかった。入れると、読み慣れた読者には一発でわかってしまうからね。小説の前半に書かれているから、読み落とさないようにしてください。
 なるほど、みかけはチャンドラーばりのハードボイルド。うらぶれてしょぼくれた私立探偵が奇妙な依頼で家族の経歴を洗っていると、その発覚を喜ばないグループが行く先々で私立探偵を妨害するという話。ここではそのフォーマットにのっとったストーリーが書かれていて、あまりに見事に展開されているだけに、そちらに目を奪われるだろう。そのうえ、1940-50年代のアメリカの風俗が細かに書かれていて、マニアックな固有名の並びとトリビアルな雑学に興奮する。
 でもその裏側(というか書かれない大状況)では、もうひとつの物語が進行している。重要な情報を故意に書かなかったように、ここではその物語は指摘しない(秘密の日記には書いておこう。ひとつだけもらすと、トム・リーミー「デトワイラー・ボーイ」。このブログで言及しているが、リンクは貼らない)。とりあえずは、人の名前に注目しておいてください。それに気づくと、この「ハードボイルド」には解決編が書かれていないのだが、それは表層の事件でのことで、裏側のもうひとつの物語ではラストシーンですべてに決着がついていることがわかる。そうしたうえで、タイトルを見直そう。

 「ポーをめぐる殺人」もすごかったが、最初にヒットしたこちらの方がもっとすごいな。どうやらこの2作しか翻訳されていないようで、なんとも残念。1978年初出。

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