odd_hatchの読書ノート

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矢野久美子「ハンナ・アーレント」(中公新書) 「戦争の世紀を生きた政治哲学者」の評伝。入門に適している。

 「革命について」(ちくま学芸文庫)に震撼させられたので、ハンナ・アーレントの評伝を読む。振り返ると、自分がもっとも哲学に関心を持っていたのは1980年代だったが、当時アーレントの話題はほとんどなかった。「イェルサレムアイヒマン」に出てくる「凡庸な悪」が孫引きくらいで聞こえるくらいだったか。そのような無関心をへて21世紀になるとアーレントの重要性が認識される。自分も極めて遅くなってから知り、魅了された。

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第1章 哲学と詩への目覚め―一九〇六‐三三年 ・・・ 1906年ケーニヒスベルグ生まれのユダヤ人。マールブルグ大学でハイデガーと恋仲に。離れてヤスパースのもとで勉強。ナチス政権奪取とともに亡命。「もはや傍観者ではいられない」。(トーマス・マンに「混乱と雅な悩み」1925という小説がある。その年の貧乏な若者たちのスケッチ。そういう境遇にアーレントはいた。ポパー(1902年生まれ)も同世代人。
トーマス・マン「マリオと魔術師」(角川文庫)
カール・ポパー「果てしなき探求 上」(岩波同時代ライブラリー)

第2章 亡命の時代―一九三三‐四一年 ・・・ ナチスの政権奪取の時期から反ナチ運動に参加。一週間の拘留。直後にドイツからビザなしでフランスに移動。ユダヤ難民となる。1940年、フランスのドイツ人収容所に入る。そこで討議の末に、収容所管理者と接触をとることを拒否することを決議する(リストを提供したり協力したりした人はナチス占領中に逮捕され強制収容所送りになった)。環境の醜さに感染しないように身なりを整える。アーレントの思考が現場の感覚に満ちているのはこのような経験に裏打ちされているのだろう。同じ収容所にヴァルター・ベンヤミンがいた。期日をたがえてピレネー山脈を越えたがフランス旅券を持たないベンヤミンは強制送還におびえて自死した。アーレントアメリカ到着後に訃報を知り、ベンヤミンの遺稿をニューヨークにいたアドルノに届ける。
ヴァルター・ベンヤミンの参考書。岩波文庫などでベンヤミンの著作を読むことができる。)

  

第3章 ニューヨークのユダヤ人難民―一九四一‐五一年 ・・・ 「全体主義の起源」を発表。本書のサマリーからエッセンスを取り出す。
全体主義の起源の重要な要素は人種主義(レイシズムのほうがいい)。レイシズム帝国主義イデオロギーで、全体主義がさらに強化。特定民族だけでなく、難民、無国籍者のような政治体に属さないものが対象になる。全体主義の支配は、法的人格の抹殺、道徳的人格の虐殺、人間の特異性の破壊であり、人間の複数性の否定である。これが誰でもないものである官僚制の統治で強化される。
(これはナチススターリニズムの分析からでてきたものだが、日本にも当てはまる。在日コリアンレイシズムの標的にされるのは、西洋でユダヤ人が標的になるのといっしょ。)
<参考エントリー>
大澤武男「ヒトラーとユダヤ人」(講談社現代新書) 

第4章 一九五〇年代の日々 ・・・ 主に「全体主義の起源」について。マッカーシズムの渦中にいる。1954年のリトルロック事件(州の法令で黒人を高等学校に入学せよという命令に白人学校と周辺住民が拒否し、厳戒態勢のなかで黒人が登校する。白人が周囲を囲んで罵倒する写真が有名)について、アーレントは子供は私的空間の保護と安全を必要とするのであり、子供だけの同輩集団に無慈悲な公的空間の要素を入れてはならないと主張した。これは社会的差別を容認するような響きがあって反発された。いま読むとアーレントの心配は妥当と思う。社会生活の恐怖に対抗する勇気を持つことは重要であると思うが、学校の閉鎖空間で逃れようのないいじめ・差別にあい続けることは危険なこと(実際、白人学校に通った黒人は教室内の陰湿ないじめや差別のほうが苦痛であり、卒業前に転校したという)。また、差別に「私は人間です」と答える態度はグロテスクで危険な回避であるという。個々人の多様性をカッコに入れて抽象性を持ち込む寛容と偏見のなさは差別と表裏一体であり、単一化・平準化を強要してくるもの。タミーノの君は誰?の質問にパパゲーノは「人間だよ」と答える(モーツァルトの歌劇「魔笛」)が、それは差別のない状態だからありうることで、人種その他の差異を認識している者同士の対応ではやってはならないことになるのだね。ここは目からうろこ。
アーレントユダヤ人であって、アメリカに亡命した余計もの、よそものの意識があったから、差別に鋭敏な感覚をもっていたのだろう。)

第5章 世界への義務 ・・・ 主に「イェルサレムアイヒマン」について。ここでも「凡庸な悪」は激しい反発を招いた。詳細は省く。暗い時代の世界とのかかわり方ではダメな方法がある。自己の内面に退去する、理想郷を打ち立てる、特定の世界観に固執する/科学的客観性を掲げるなど。一つの真理よりも多様な意見の交換が重要で、行為を通じて世界にかかわりあうのがよい。「革命について」でアメリカ革命の基層として「公的自由」に着目したが、それはアーレントが長年培って来た思想だったのがわかる。

第6章 思考と政治 ・・・ 独裁体制の下での個人の責任は、なぜ服従したかではなく、なぜ支持したかを問うべき。まれに独裁体制下で公的参加を拒む人がいるが、それは体制への支持を拒むこと。絶望的な状況では、自分の無能力を認めることが強さと力をもつ。その無能力を選べたのは、自己との対話である思考の能力を保持しえた人たちのみ(ここはフランケル「夜と霧」との関係で考えてみてもいいかも。収容所を生き延びる力はアーレントが示したものと同じだろうか)。

 

 サブタイトルは「戦争の世紀を生きた政治哲学者」。学生になったころから、ナチズムにあい、スターリニズムを横目でにらみ、フランコ軍事政権の空気を吸い、マッカーシズムの渦中にいて、冷戦に恐れを感じ、学生反乱の現場に足を運んだ。ハイデガーヤスパースらと哲学談義をできるほどの素養があるが、実際に書かれたものはとても具体的・現実的な問題を対象にしている(なので俺のような素人にもわかる。ただし思考と文体の密度が濃いので、咀嚼するのは大変だけど)。彼女の思考が生まれたところはこういうところなのだろう。
 アーレントは公的(パブリック)と社会的(ソシアル)を区別しているように思えた。それは彼女が難民であったり、ユダヤ人であったり、女性であったりして、ソシアルな場所からは遠ざけられている余計もの、よそもの扱いされていたからのような気がする。選挙の権利を持たず、生存保障の枠から外され、逮捕と収容所送りの恐怖を常に抱えているとなると、ソシアルなものに頼ることはできないと思ったのか。かわりに多数の人が自発的に参加するパブリックな場所では疎外を感じず、相互扶助と参加の喜びを感じたのだろう。あまり思想の起源を生涯に求めるのは感心できないことであるが、一応メモ。
 本書は長年アーレントを研究してきた人の手になるもの。アーレントの思想は具体的である、実際の活動を踏まえているのだが(「革命について」を読んだきりだけど)、本書の要約からは伝わらない。おそらく著者が活動の経験をそれほど持っていないせいではないかと想像する。主要な著書の要約も短く、自分にはものたりない。アーレントを知らない人が最初にとりかかるにはいいかも。