odd_hatchの読書ノート

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プラトーン「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」(新潮文庫)-1

 タイトルは出版社のものを使うが、以下の感想では高校で習ったように長引きを消して、「プラトン」「ソクラテス」とする。学術的には出版社のものが正しいのだろうが、長年の習性を変えるのは難しくて。
 多くの人と同じように本書は学部生の時に読んだ。よくわからなかった。後に訳者田中美知太郎の解説書(岩波新書)も読んだが、よくわからなかった。さらに長じてからは、ニーチェ(「偶像の薄明」だったか)や柄谷行人を読んで、ソクラテスにはさほど重要とは思わなくなり、むしろ嫌うようになった。そういうバイアスがあったうえで、ひさびさにプラトンの「ソクラテスの弁明」ほかの本を読む。ソクラテスプラトンを分けるのは難しいようだが、この三つの書に関してはソクラテスのことにしてよいだろう。
 というわけで、サマリーや感想を書くのだが、高校生や大学生はコピペしないように。教育で教わること(自分がそのころ習わされたこと)はほとんど書いていないと思うので。

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ソークラテースの弁明 ・・・ 本来であれば、古代ギリシャの歴史、アテネ直接民主主義、その他のポリスの政治体制などを知っていることが必須。これを知っていないとなぜアテネの民会はソクラテスを弾劾したのかがわからない。ところが本書の解説はソクラテス古代ギリシャの哲学を語り、上の情報をほとんど記さない。それでは、ソクラテスの「罠」にはまることになると思う。
 過去の記憶をもとにざっくりとまとめると、アテネは市民の直接民主主義。市民はこの場合、資産を持っていたり利益を上げたりして納税できる男性成人に限定される。女性、未成年、他のポリスの出身者、奴隷などは除かれる。彼らは労働する必要はないので、娯楽の少ない日々、広場に集まっては議論する。ときに他国や他の都市から問題が持ち込まれば(あるいは交渉事を持ち掛けるのであれば)、市民の中から代表を選び、プロジェクトリーダーになって解決にあたる。戦争になったときには、市民は自費で戦具などを賄い、戦場に赴く(納税と並ぶ市民の義務)。このようなコミュニティの決定には、直接参加の市民討論、公正な代表の選出(必ずしも投票によらなかったような気がする)が必要。アーレントのいう公的自由を行使することが市民に求められているのだ。
村田数之亮/衣笠茂「世界の歴史04 ギリシャ」(河出文庫)
(蛇足を付け加えれば、広場に集まって議論やおしゃべりを楽しめたのは、当時広大な森が広がっていて、気候温暖で夏でも涼が取れる環境があったためと妄想。森のおかげで猟や農の豊かさがあった。しかし、森林は切り倒され、少雨のこの地域に森が復活することはなかった。決定的なのは、十字軍からイタリア商人の地中海貿易のころ。レバノン杉が大量に伐採され、ヨーロッパに輸出され、はげ山がのこり現在に至るも森は再生していない。)
 さてそのような民主制でソクラテスの行動は奇妙だ。すなわち、市民と討論するのではなく、市民権を持たない青年に講演し、彼らの行動を後押しする。青年らはソクラテスの謂われるままに、アテネ市内の知恵者を訪れ、あなたは知恵者といわれるがどこまで知っているのかと問い、誰もが十分にこたえられず知恵者ではないことを暴露する。一方、ソクラテス自身は自分が無知であることを自覚しているから、アテネの知恵者よりも自分は知に優れていると訴える(うそぶく)。ソクラテスのやっているのは、民主制の外側で政治運動をすることであり、ことに非市民である青年を使った扇動をよくする(この記述を読んでいるとき、ロートルの俺は1960年代の全共闘紅衛兵運動を思い出した。雰囲気や方法が実によく似ている)。
 このような分派活動や革命運動の扇動家のソクラテスは、市民の政治は「自分より優れたものに服従せよ」と主張する。では「優れる」をどこで評価するかというと、「神」すなわち知に服しているか、無知の知を知っているかどうか。すなわち、ソクラテスは市民の間の討論や討議によって構成される判断や善よりも、「神」すなわち知の命じることを優先しろというのである。その点においては、ソクラテスが青年らを使って調査したように、ソクラテスその人が最もよく「知っている」人になるのだ。
 21世紀からみれば、アテネの民会も神意に基づく決定をしていた。そこでは、巫女などの神託であろうとくじであろうと、複数の人が神意を確認し、共通了解をとっていた。でもソクラテスの場合、神すなわち知の命令は当人以外には誰にも確認できない。議論に勝利した者の意見が全体の意見になるのだ。これは直接民主制の否定であり、哲人による専制に移行することに他ならない。後の啓蒙にもみられるように、知の光は闇を照らすのであるが、闇とされた意見や人間は駆逐や排除されるべきであるという考えに容易に導かれる。啓蒙が野蛮に転化する危険はソクラテスからあったのだろう。
 もちろんアテネの民会の「共通善」も、マイノリティ(未成年、女性、奴隷、他都市出身者、異民族など)を排除して形成されるという問題がある。でもソクラテスの解決は、21世紀のEUにようなシティズンシップをマイノリティに拡大するのではなく、マイノリティを排除した構造を残したうえで、さらに市民の中でヒエラルキーを作り強化するものなのだ。
 ソクラテスのやり方で気になったのは、議論の手法。この裁判でソクラテスは「あなたは青年に害を与えているか」と問われているのにたいし、「あなたがたは青年を正しく教育できるか」の問いにすり替える。そして弾劾者に「できない」と答えさせて、自分が問われていることには答えない。他にもメタ視点への論点のすりかえ、個別問題の過度な一般化、逆質問などやってはいけない詭弁が頻出する。上の「無知の知」に関しても、知っていることの根拠を問うことを5回も繰り返せば、正義・善・神などの概念に関する問になってしまう。概念に関する当否を答えると、それが目前の個別具体的な問題の解答にされてしまう。問いのレベルを混乱させ、かつレベルの異なる問いに対する答えを別のレベルの答えにすり替える。これは問うほうが有利なゲームだ。アテネの民主制をどう運用するかの問いを「神」すなわち知を知っているかの問いにすり替えるのは、議論のルール違反じゃないか。
 という具合に、アテネの民会がソクラテスを弾劾したのは、僭主になろうともくろみ、青年を使って扇動行為を行ったためだ、とみた。ソクラテスは「神」すなわち知という普遍的(とされる)な概念を、人々の集合知より優先する。人々が公的自由を行使するより、知を獲得する精神の運動を重視する。知の獲得には個人差があるので、優れた人とそうでない人には差があり、優れた人の指示に人は服するべきだという。なるほどそれまでにもアテネは代表選出に失敗し、他の都市や周辺の帝国との争いに負けていた。ソクラテスの時代はたしかアテネの衰退期に重なり、過去の栄光から見ると現在はみすぼらしい。それを挽回する政治体制として、専制を主張したのか(それまでは他の都市出身のソフィストが教育を担当していたとか、政治顧問の役割をしていたとかで、アテネ出身の能弁家は重用されていなかったというから、アテネ出身者によるバックラッシュといえるかもしれない)。アテネの民主制にはまずい点がいくつもあるが、その改善に専制を持ち出すのはダメだ。
 アテネの民会はこれらの弾劾理由でソクラテスに死刑判決を出した。その当否を判定するのは、俺は人権尊重や平和主義のバイアスが強いので、止めておく(たんに「死刑反対」とだけ主張)。そこを抜きにしておいて、ソクラテスのやっていることはおかしいとは思うよ。本書では思想はほとんど語られないので検討しない。ともあれ、おれは本書を政治哲学の書として読んだ。

 

 2021/8/14のNHK第2ラジオ放送の「NHK高校講座 倫理」で「ソクラテス~哲学の出発点~」をやっていたので聞いた。番組の解説によると、
・当時の裁判は、有罪か無罪かをきめるのと、有罪の時に刑罰をきめるのとの2回が行われた。その際に、被告・原告とも主張を延べることができ、有罪とされた被告は自分が望む刑罰を申し出ることができ、原告の求める刑罰といずれかにするかを決めた。
ソクラテスは裁判で、デルフォイの神託で「ソクラテスより知恵のある者はいない」とでたのを根拠に「正しいことをした」と主張。通常の裁判で被告はしおらしいことを言うのだが、そうしないソクラテスは数百人の裁判官の反感を買ってしまった。
・有罪となったあと刑量を決めるための裁判で、ソクラテスは「国家によいことをした人に刑罰を科すことは正しくない」「私は正しいこと・善いことを国家のためにしたのだから、国家は相応の待遇(迎賓館でおもてなし)をするべき」と主張した。裁判で死刑に賛成した人は、有罪に賛成する人より増えた。
とのこと。当時のアテナイの民主制の仕組みやペロポネソス戦争の状況などは番組で説明されなかった。ソクラテスの「正しいこと、善いこと」をアテナイの「正しいこと、善いこと」の違いを説明しなかった。そうすると、ソクラテスは国家の誤謬に服する知的に誠実な人、とみえてしまうな。それが高校生に教えたいことなのかしら。

 

    

2021/12/24 プラトーン「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」(新潮文庫)-2 
2021/12/23 田中美知太郎「ソクラテス」(岩波新書) 1957年