odd_hatchの読書ノート

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田中美知太郎「ソクラテス」(岩波新書) 「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」の引用とその言いかえばかり。

2021/12/27 プラトーン「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」(新潮文庫)-1 
2021/12/24 プラトーン「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」(新潮文庫)-2 

 


 16歳の高校二年生で読んでよくわからなかった。数十年ぶりに読んでも、わからなかった。わかったのは本書がわからなかったのは何も書いていないからということ。「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」の引用とその言いかえばかりなので、目新しいことはない。断定する主張がどこにもなくて、曖昧模糊とした感想を連ねているだけ。
 新潮文庫の「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」は著者による訳だが、文庫にもこの新書にもほとんど書かれていないのは紀元前399年のソクラテスの死の前になにがあったかということ。すなわち、ギリシャ小都市間でいさかい・いざこざがあり、アテナイとスパルタが盟主になる同盟によって数度におよぶペロポネソス戦争があった。結局、独裁制共産制をとるスパルタが勝利し、アテナイはスパルタ人指導の下に寡頭派政権ができ恐怖政治を行った。それが共和派によって打倒されたのだった。

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 で、寡頭派政権を担った政治家がソクラテスの弟子であった。そこで共和派によってソクラテスが糾弾されて、公開裁判となったのだった。そうすると、高校の倫理で習うような「正義を追及する高潔な人が議会による根拠の乏しい裁判で死刑宣告された」という図式をつかうわけにはいかなくなる。ソクラテスの弁明を見る際に、ソクラテスの考える「正義」「徳」がポリスの議会や民主制とどれほどの齟齬があるかを明らかにすることがこの先に必要なのであるが、本書はそこを放棄している。なので、ほぼ「弁明」の陳述をなぞっただけの解説になり、政治の哲学を明らかにしない。
アテナイとスパルタの政治と経済の体制を知るには、大田秀道「スパルタとアテネ」(岩波新書)1970年が出ていたが入手難。今なら何を読むべきか。)

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 それでも教えられたことはある。いくつか気付いたところ。
ソクラテスはBC470年ころ生まれ(プラトンはBC430年ころ)。50歳ころまで独身。10人くらいの奴隷を持つ市民で生活には困らなかったが晩年は貧乏。彼は論争家、自然探求者(途中で止める)、占い者などだった。この人の弁論術(産婆術とも)は「無駄話」とも言われたらしい。議論の前提を問うやり方が、弱論強弁に見えたためらしい。同時代人のアリストパレスの喜劇で揶揄されているのもそこのところ。ちなみにクサンティッペは悪妻とされるが、「クリトーン」「パイドーン」の記述にある行動からはそうは見えない。なにしろ年の差が最低でも15歳、もしかしたらそれ以上あった。くわえて彼女の評価には当時から近代までの女性蔑視が影響しているとのこと。

ソクラテスの方法で重要と思うのは、彼の議論はポリスの広場を歩きながら行うこと。すなわちエクササイズを行いながら考えるのだ。精神や自己自身をすぐれたものにするには、身体を強靭・頑健にしなければならない(そうしないと戦士として出征する市民の義務を果たせないから)。エクササイズしながら考えるのはプラトン教団には伝えられた(プラトンは古代レスリングの猛者)が、古代ギリシャやローマの衰退で失われる。この後中世キリスト教修道院で独り籠って考える方法が作られ、近世の哲学以後現在に続く。すべからく哲学者は体を鍛えるべし、と強く主張するつもりはないが、独我論の罠に陥らない方法としてエクササイズは重要だ。

・ダイモンを訳者は「鬼神」としているけど、説明から連想するのは「胸騒ぎ」「虫の知らせ」のようなものだ。差し止めや禁止の命令が外から根拠なく介入してくる。合理的な説明のつかない心的現象なのだろうと思うが、ソクラテスには役に立ったので他人にも勧めたらしい(でも自分の死刑を知らせなかったじゃないかという突込みが昔からあったという)。そこに著者はソクラテスの自由や自主性をみるが、俺はソクラテスが託宣者であったという経歴のほうが重要に思う。

・どうやら昔から「ソクラテスの哲学は平凡」という評価があったらしい。実際、彼の方法は有名だが、何を言ったか何を確実なものとみなしたか何を世界の根源にしたかなどの論はまったくない。アテナイの外からくる知恵者(ソフィスト)は世界の根源の説明をしたが、アテナイの中の人であるソクラテスは実体から世界がどう成り立つのかやどのように運動するかということを考えない、説明しない。若い時には自然の探求をしたというが、ソフィストらの説明には納得しなかったのだろう。

・というのは、ソクラテスには神(デルポイなど)の命令や指示が大事なのであるから。ソクラテスが強調するのは「精神をすぐれたものにせよ」「自己自身をすぐれたものにせよ」ということ。それは知を愛することで達成されるが、知は神であり、ロゴスであるから、知を愛するとは神(これも問題にしないと。キリスト教の神ではないし、創造神でもない)を愛することに他ならない。ソクラテスアテナイで徳とされること(富、権力、美貌、健康など)を否定した。ギリシャの徳は有能性で測られるのであるが、それに対しソクラテスは精神を重視した。そして精神をすぐれたものにする過程で得られる知は治国としてのものだった。(というわけで、俺の「弁明」の感想につながる。)
ソクラテスの思考は徳や善の理由を神すなわち知(まだ理性という概念はない)におく。アテナイの民主制共和制をみると、それらは社会や共同体の中で作られ検証されて変更されていくものだった。合議が形成されないときは、多数決と使わず、くじで平等を担保した。でもソクラテスは正義や徳の根源を変える。そこに「無知の知」「弁論術」などの方法を追加すると、神や知の理解が不十分なものは正義や徳の内容を決めることから排除される。正義や徳は生活や仕事、活動や公共でつねに試され実践することになるのだが、それを決める人が少数になる。そこには専制権威主義に至る道が用意されている。ソクラテスからプラトンに続き、ルネサンス以降の西洋哲学に現れるエリート主義、哲人政治志向はここから始まるのだ。)
(追記: 吉村正和「フリーメイソン」(講談社現代新書)をみると、近世のヨーロッパはソクラテスを道徳哲学として受容していたようだ。道徳の内実はソクラテスの教え(智恵、勇気、節制、正義)の実現であるとするところなど。)

ソクラテスの訴因は、1.くじ引き反対、2.反民主主義者(上の寡頭派政権の政治家など)とつながる、3.青少年への悪影響(アテナイの徳の否定ほか)、4.詩人や詩作品の侮辱などだった。アテナイの民主制・共和制の破壊者で、スパルタの独裁や寡頭制を導入・扇動したことが問題にされたのだろう。
(19世紀以降の革命を思い出すと、独裁・全体主義国家が潰えた後に、民主制共和制が打ち立てられ、専制国家の主要政治家や有名人が断罪された事例に近いのかしら。1989年の東欧革命の後、東独やチェコの指導者が裁判を受けたのを思い出す。)

 のちにヨーロッパ人がプラトンアリストテレスを読むことで、西洋哲学が始まったとすると、ソクラテスが重要視されたのはプラトンなどの著作で彼の名前と語りが登場したから。そのため、これまでソクラテス以前の哲学は哲学史ではほとんど価値がないかのように思っていたが、ソクラテスからしソフィスト批判から始まった人だった。ソクラテスも資料が十分ではないのに、それ以上に資料が乏しいソクラテス以前の人の考えのほうが重要なように思えた。ソクラテスより前のソフィストの哲学が継承されていれば、いまの西洋哲学の流れとは別の哲学の可能性があったのではないと妄想するのがおもしろそうなので。
 俺の読み間違いを盛大に指摘されるかと思ったが、残念ながらそうはならなかった。自分の感想がどれだけのものか確認したい気はするが、ソクラテスに興味がないから、他の本を探して読むことはもうないだろう。

 

    

ソクラテスの行動が書かれている。物思いにふける・他人の呼びかけに返事をしない・いたずらされても怒らない・観念好き・関心領域は狭い・強いこだわりをもつ・論争は徹底的・饒舌・他人への配慮は少ない、など。著者はそこにソクラテスの哲学や愛智への没頭ぶりを賞賛するのだが、これらの行動から見えるのは、この人は高機能自閉症スペクトラム(古い用語ではアスペルガー症候群)なのではないかということ。俺もこの行動性向をもっているので、ソクラテスの行動はなにかの強い意志や自己規律から生まれたのではなく、生得的な――自分ではコントロールできない――行動に見えるのだ。ソクラテスは他者と対等な関係を作れず、つねに相手を下に見る(しかし親切)非対称な関係を作ってきた。彼に敵が多い理由、ソクラテスの主要な関心事は自分自身で内面重視などもそのあたりから説明できそう。とはいえ、ここを強調するのはまずいし、彼の哲学が行動性向から生まれたとするのもよくない。気づきのひとつとして、メモに残す。)

 さらに余談。BC4世紀ですでに、貨幣を退蔵する、すなわち金を集めることを目的にするフェティシズムがあった。