odd_hatchの読書ノート

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プラトーン「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」(新潮文庫)-2

2021/12/27 プラトーン「ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン 」(新潮文庫)-1 の続き

 

 これが書かれたのは今から2500年以上前のこと。国民国家はないし、資本主義もないし、法の意味するところも異なる。しかし、「国家」「法」「共同体」などは現在でもつかわれる言葉であって、ソクラテスプラトンが含意していたものとはずれている。そのことに留意しながら読む。

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クリトーン ・・・ 「弁明」のあと死刑判決が下る。執行前に拘留されているソクラテスのもとにクリトーンがやってくる。典獄を買収し逃亡用の船を用意した、受け入れ先も確保してある、いっしょに出ていこう。しかしソクラテスは「否」という。以下まわりくどい説明をするが、ソクラテスのいうことは、国家は個人より優先されるのであって、そこで定められた法に従うことは市民の義務である。クリトーンのように逃亡は可能であるが、それは国政や国法の破壊である。仮にソクラテスが逃げて生き延びたとしても、他都市はアテネの国政や国法は棄損できる軽いものとみなすであろう。それは耐えられない。国家と法は無謬でなければならず、此度の死刑は世界による人間に加えられた不正であり、それを受け入れるほうが「正しい」「善い」。
 というソクラテスの言い分は、国民国家が成立して、人権尊重に正義を置く立場からすると通用しない。近世であってもマキャベリあたりは冷笑して、さっさと亡命して捲土重来を期せというだろうな。あるいは当時であっても、他の都市にいって自分の考えを売るソフィストから見ても奇妙なことに見えるだろう。なにしろ国家と個人が同一視され、ソクラテスの振る舞いが国家の代表者であるかのようにみているから。
 またソクラテスは正・善・美の価値に重きをおくのだが、以上の説明からすると、正善美よりも国家のほうが優先されるのであり、国家の命令に従わないのは悪であることになる。ここらも受け入れがたい。
(「ソクラテスの弁明」「クリトーン」を読むと、ソクラテスはクーデターに失敗した自称「愛国者」が国家に命じられた死刑判決を受け入れたように思えた。追記:以上はペロポネソス戦争のことを知らないときの感想。田中美知太郎「ソクラテス」(岩波新書)の感想を参照)

パイドーン ・・・ 裁判の決まりで刑の執行が遅れていたが、とうとう翌朝執行することになった。そこでパイドーンらがソクラテスに面会を申し込み、一晩をかけて話し込むことになった。死を前にしてソクラテスは動じない(サルトル「壁」と同じ状況なのにソクラテスは心静かだ)。なんとなれば、死は魂の肉体からの離脱であり、純粋な知恵に到達するから。というのも肉体は様々な制限があって(感覚が誤りをおかしたり感情が偏見を生んだり)、魂を裏切るのである。そのような肉体から離脱するのは知恵が浄化(カタルシス)するためだ。人間はこのように魂と肉体からなるが、それはあらゆる事物も同様で物と「ものそのもの」からなる。その存在の形式や発生か滅び迄の変遷の原因は、物ではなく「ものそのもの」とみなす。というのも知恵者(ソフィスト)らに尋ねても、彼らはメカニズム(機構)を説明するばかりで、原因の良い悪いを説明できないのだ、云々。
 ここの議論は21世紀の我々には難解。というのも、魂と肉体の議論が、上の「ものそのもの」と肉体嫌悪だけにとどまらず、哲学・神話・道徳・心理・政治・自然現象の解釈・数学などにコロコロ転がるから。魂と肉体→大と小→奇数と偶数→火と水→生と不死→冥府論→宇宙の構造と話題は進む。そうなるのは、議論の対象が比喩、アナロジー、類似関係などで結ばれているから。このような神話や呪術のような思考方法は慣れないと理解は困難。古典を現在の価値観で読み評価するのはよくなく、できるだけ書かれた当時の考えを踏まえて作者の論理をなぞるように読むべきだと思うのだが、ソクラテスの本は無理でした。
 無理やり言えば、紀元前の500年前に書かれた書であるが、現象や因果の説明に「神」や超越的存在を持ち出さないのは新しいし、ソクラテスが重視する正・善・美は内実はともあれ神の後ろ盾なく「そのもの」があるとする議論は近世的。そこのところはいきなりデカルト以降につながるとは思えた。プラトンアリストテレスがどう考えているのかはしらないが。
 一方で政治哲学や道徳、正義などの議論では、ニーチェのいうようにソクラテスの命題が人に萎縮や抑圧をもたらすところはよくない。それにソクラテスアテネで考え、アテネの人たちとだけ話すので、外や抑圧者の存在、あるいは商売のような非対称的な関係を考慮していない。彼の国家観と合わせて、彼の考えを閉塞的で内向きにした。


 「白鳥は死ぬ直前に最も美しく鳴く」という話は「パイドーン」が由来のようだ(ソクラテスがそういう話をする)。西洋中世の言い伝えかと思っていた(シューベルトの歌曲集のタイトルなど)が、そうではなかったのだね。逆に言うと、「パイドーン」が翻訳されてから広まった言い伝えなのだろうか。西洋に最初に紹介されたのはいつだろう。

 

    

<参考エントリー>
2021/12/23 田中美知太郎「ソクラテス」(岩波新書) 1957年