odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

夏目漱石「門」(新潮文庫)

 大事なことはすでに終わっている小説。
 ドラマになるのは、学生の宗助が御米と婚前交渉を持って、双方の家から絶縁されたこと、結婚後御米は三度流産して心臓に病を持っていること、宗助の父が死んだとき遺産を叔父に預けていたらすっかりなくされていたこと。どれひとつでも大きな物語ができそうなのに、作家はそのことを書くのを回避する。大きなトラウマになるはずのできごとも、すでに宗助と御米の心配することではなくなっている。
 小説の語りに合わせて起こるのは、宗助の弟で学生の小六の学費と住まいをどうやって賄うかということと、たまたま知り合った小金持ちの坂井にいろいろ融通を聞かせてもらっているうちに御米の兄と再会するかもしれなくなったこと。人生を揺るがす大問題とは思えないことに、宗助は気を取られる。神経衰弱気味になったので、鎌倉に参禅に行くが、十日ばかりでは悟るどころか妄執にとらわれるばかり。俗で小市民なところばかりを見ることになる。その猶予の間に、気を取られていた小問題は解決し、変化のない生活が続くだろうことが予想される。
 タイトル「門」は、参禅しても大悟にほど遠い宗助は何かの象徴であるような門を開けるでも回避するでもなく、その前にたたずむしかないと自己認定するところに由来する。洋書を読み、小理屈をいうくらいはできるが、問題を解決する気概を持たない宗助からすると、門の全体を把握することすら放棄しているので、どうも大仰なタイトルに思える。
 というのも、宗助は前作「それから」の代助同様に、明治の帝国主義国家に現れたモッブ(byハンナ・アーレント)に他ならないからだ。自己肯定感に乏しく、社会の余計者・脱落者と自任し、他人への共感が乏しいモッブの特長は宗助に当てはまる。たとえば、ここらへん。

「彼らは、日常の必要品を供給する以上の意味において、社会の存在をほとんど認めていなかった。彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼らにはまた充分であった。」

 この述懐がのんきだと思うのは、彼が認めていない社会は政治的に参加する共和や民主のそれであって、経済活動の社会にはフリーライドしているから。小役人としての宗助は自分の仕事に価値を認めていないし、意義があるとも思えず、単なる生活費を生み出すための労働でしかない。社会や労働から疎外されているのに/ゆえに社会を斜に眺めるニヒリズムシニシズムが身に染まっているのだ。はたから見ると、資産をもたず金に乏しいのであるが、

「彼らはこの抱合の中に、尋常の夫婦に見出しがたい親和と飽満と、それに伴なう倦怠とを兼ね具えていた。」

 キーポイントは放漫と倦怠(のちには退屈もでてくる)。仕事、労働にも、活動にも注力せず関心を持たない。にもかかわらず宗助は洋書を読み、西洋小間物を見て、金時計を大事にする知的エリートでもある。その彼の心持は倦怠と退屈。現在の宗助の問題は、小六の学資と居候と妻・御米の体調不良にあるが、彼はどの問題も先送りし、自然と解決するのを待つ。あるいは関係者が愛想をつかすのをまつ。この無責任や無関心が生まれてくるところは倦怠と退屈にあるのだ。鎌倉で座禅を組むときにも、真面目に取り組むどころか想念・妄執に取りつかれてしまう。高僧には、最初の対面で、

「『もっと、ぎろりとしたところを持って来なければ駄目だ』とたちまち云われた。『そのくらいな事は少し学問をしたものなら誰でも云える』」

と喝破される。皮相でうわすべりなのだね。(この座禅体験は、ドスト氏のように(「白痴」)終わってから会話で報告すればよかったのに。語りと同じ時間で体験したことを書くと、重要な瞬間を逃してしまう。体験が終わった後に反省的に書けば禅の困難さがもっとはっきりしたと思う。でも漱石のキャラクターはしゃべらないからなあ)。)
 本書では二人の男が蒙古に出かけている。ひとりは板井の弟で、もうひとりは宗助の旧友で御米の兄(御米の件で宗助に怒っていた)。彼らが蒙古に行ったのはそこに資源開拓の夢があったからなのだが、同時に日本には居場所を得られないからだ。あるいは日本の階層や<システム>に入り込むことができなかったからだ。なので、国民国家の領域のあいまいな植民地なら支配体制のどこかに入り込むことができる。二人の蒙古出張者は日本のモッブに他ならない。宗助は彼らほどの気概はないとしても、洋書を読めるくらいの語学があれば(「それから」の代助と同じ)、蒙古や満州で通訳か翻訳の仕事を得られもしように。そうみると、宗助は社会に消極的な抵抗者であり、国家に忠誠を尽くさないものであるが、帝国主義政策を補完するところにいるのだよなあ。
 という具合に、「門」は「それから」の続きで、日本のモッブを描いたものに他ならない。1910年初出。

 

    

 

 冒頭で宗助は、休日になっても終日なにもしない。その言い訳は次の通り。

「なぜって、いくら容易(やさし)い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日(こんにち)の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違ったような気がする。しまいには見れば見るほど今らしくなくなって来る。」

 これはホーフマンスタールの「チャンドス卿の手紙」と同じ事態だね。チャンドス卿はシニフィアンシニフィエの不一致に悩まされてまったく文芸の創作ができなくなった。宗助はそこまでの事態にはいたらない。近代帝国主義体制下のモッブは深刻にならないし、不真面目であるからなのだろうなあ。

 

odd-hatch.hatenablog.jp